第一部
時雨
墨の香りが、遠い日の雨を呼び戻します。縁側のしずくまで、滲みの奥から立ち上るようで……形が溶けてゆく……あな、恐ろしや。八国山のやまなみの空は、いつもこうして、しずくの手前で輪郭を失います。着物の袖が木の縁をかすめるたび、わたくしは「女の業」という言葉の重さを、肌で思い出します。
荷風
雪舟の破墨は、見る者の網膜を解体し、無への帰依を強いる。其れは自然という名の暴力である。江戸の残り香を恋い焦がれる眼にすら、この墨は、人情の手前で、冷ややかな秩序を敷く。西洋の美学が「美しい説明」を好むなら、此処には説明の拒否がある。
時雨
幼き日、母が墨をすり、雨の音を聞かせてくれた夜を思い出します。墨は、女の手のひらで温められるほど、黒く、やわらかく、わたくしの名を溶かしてゆきました。
荷風
説明の拒否は、神秘主義ではない。視覚の権利を、一瞬だけ没収する、批評的な苛烈さである。一九五〇年代アメリカの画面が、物語を過剰に明るく示すのに対し、雪舟は、見る者を暗闇の手前に立たせる。
静寂
静寂
静寂
静寂
静寂
