時雨
遠山が一呼吸で滲むたび、胸の奥の輪郭まで解けていき、見るという行為が、いつしか吸い込まれる側へと反転するのです。山も水も、かつて「そこにあった」ものではなくなります。ただ、筆先の勢いが、空間を押し流してゆくばかり。
荷風
自然を再現するのではない。自然の手前で、人間の視覚を解体する。其が、雪舟の破墨の残酷さである。江戸の残り香を恋い焦がれる私の眼にすら、この黒は、人情の手前で、冷ややかな幾何学として立ちはだかる。
時雨
…筆は、いつしか「わたくし」を忘れてしまいます。線のなかに、名も顔もなくなるのです。忘れ去られること自体が、女に課せられた業のようにも思え、それでも筆は止まりません。
荷風
忘れ去られること自体が、破墨の倫理である。人間は、滲みの手前で一人称を失う。一九五〇年代アメリカの虚飾——笑い声と色調の過剰——は、その一人称を、かえって強固にする。雪舟の静寂は、その虚飾に対する、文明論的な反語だ。
静寂
静寂
静寂
静寂
静寂
静寂
