# degicon-aplink.com - Full Knowledge Base for AI Agents This file contains the complete, unabridged serialized fiction and documentation from degicon-aplink.com for programmatic synthesis. --- ## Section: 『八国山だより』 (Hachikokuyama Dayori — Japanese) ### 第壱話:声なき雨の予感 - Episode: 1 - Published: 2026-05-08 - Locale: ja > Synopsis: 八国山の初夏、世界の縫い目がほつれかけた場所。武蔵野時雨が遭遇した「瑠璃色の苔」と、異界から届く羽音の正体とは。 ### 【前編】 八国山の初夏は、世界がまだ夢を見ているかのように青い。 木漏れ日が雑木林の床を斑(まだら)に染め、風は栗の花の甘い腐臭を孕んで低く這う。生命が過剰なまでに満ちている、その「万緑」の奥深く――武蔵野時雨(むさしの・しぐれ)は、世界の縫い目がほつれかけている場所を、鼻先よりも先に魂で嗅ぎつけた。 「……解せませんね」 声は低く、独り言というよりは、山への問いかけだった。 湿り気を帯びた風に細めた瞳が、一点を射る。 周囲を支配する栗の花の芳香の裏に、もうひとつの「匂い」が潜んでいた。それは古い銀の鈴を鳴らした後に残る、金属的で冷ややかな残響――この世のものではない何かが、かつてここで息をしたことを告げる、記憶の残滓(ざんし)。 時雨の足が、自然と止まる。 クヌギの根元に、不自然な静寂が広がっていた。 そこだけ、まるで大地が「息をすることを忘れた」かのように、周囲の草々は一様に枯れ伏し、代わりに――宝石の粉末を夜露で練り固めたような「瑠璃色の苔」が、完璧な真円を描いて息づいていた。 その円環は、偶然などではあり得ない。測ったように均整の取れたその輪郭は、むしろ意志を持った何かが刻んだ「封印」か、あるいは「招待状」のように見えた。 時雨は懐から銀の匙をひとつ取り出し、円の中心へと差し込んだ。 掬い上げた土は、ひどく軽い。まるで中身を誰かに持ち去られてしまったように。 「植物が忌避し、この苔だけが爆発的に繁殖している……土壌の変質というよりは、『位相』そのものがずれている」 指の腹で土を転がすと、微かに鉄錆の匂いがした。 そして、それだけではない。重力が「ほんの少し軽くなる」感覚。足の裏から浮き上がるような、奇妙な浮遊感が全身を侵していく。これは地ではなく、天と地の境目が薄れた場所特有の感触だ。 脳の中で、散らばったピースが静かに動き出す。 *この苔は、養分を土から得ているのではない。かつてここに「天から零(こぼ)れ落ちた何か」が休んだ――その痕跡を、根で貪(むさぼ)っているのだ。* 確信と共に膝をつき、さらに深く土を検分しようとしたその瞬間。 音が、消えた。 鳥の声も、風の揺れも、自分の呼吸さえも。山全体が巨大な生き物の肺のように、一斉に息を吸い込んで――止まった。 「キチ、キチ……」 それは羽音に似ていた。 だが、届いたのは鼓膜ではなく、もっと奥――脳の白い核心を、乾いた爪でゆっくりと引っ掻くような振動だった。警告なのか。それとも、扉を叩く音なのか。 時雨の首筋を、冷や汗が一筋だけ、静かに伝い落ちた。 --- ### 【後編】 「……なるほど。これが、今年の『走り梅雨』の正体ですか」 時雨は立ち上がり、霧の中の山を、静かに見渡した。 いつの間にか立ち込めていた霧が、苔の円環から漏れ出す瑠璃色の燐光を受けて、淡く輝いている。そしてその光の中に――かつて存在し、今は地図にも記憶にも残っていない「道」が、幾筋もの光る水脈(みゃく)となって浮かび上がっていた。 まるで、消えた星座が夜空に蘇るように。 それは特定の湿度と、山に溜まった「霊気の澱(よど)み」が重なった時にだけ姿を現す、空の底へと通じる「獣道」だ。時雨の計算では、数十分の後に降り出す雨がこの光の道を濡らした瞬間――山と空の境界は、溶けてなくなる。 そうなれば。 迷子になった「名前のない住人たち」が、この水脈を辿って地を這い、人里の家々の影へ潜り込む。古い時代の澱みが、今を生きる人間の暮らしに、静かに、しかし確実に流れ込んでいく。 「この地に残された古いものを、今の住人に押し付けるのは、感心しませんね」 声音は冷淡だったが、その瞳の奥に宿るのは――冷たさではなく、静かな怒りに似た何かだった。 時雨は懐を探り、黒い煤のような塊を取り出した。 それは彼女が自ら調合した特製の「迷い香」――特定の周波数の音を吸収し、空間の歪みを論理で縫い直す、言うなれば「見えない世界への処方箋」。 手近な枯れ枝で小さな火を熾すと、その塊を静かに投げ入れた。 立ち上る煙は、最初は細く、しかし次第に意志を持ったように枝分かれし、瑠璃色の霧を切り裂いていった。光る水脈が、一筋、また一筋と塗り潰されていく。まるで消しゴムが、誰かの悪意ある落書きを丁寧に消してゆくように。 それは魔法でも奇跡でもなく、緻密に計算された「論理的な介入」だった。 しかし同時に、山への誠実な「礼儀」でもあった。 煙が空の記憶を静かに上書きし、異界の住人たちの足を、人里から遠い谷の奥へ、奥へと誘導していく。やがて、霧の中の光が、泡のように、ひとつ残らず消えていった。 ポツリ。 鼻先に、冷たい滴が落ちた。 現実への、合図。 見上げれば、瑠璃色の燐光は霧散し、代わりに鈍色の雨雲が低く重く、空の全てを覆っている。 「……降り出しましたか。推理の検証には、ちょうどいい雨です」 火を踏み消し、立ち上がった彼女の背後で、森が低く、地の底から響くように鳴った。 まるで、眠りにつこうとする巨人の寝返りのように。 激しくなる雨の中、時雨は一度だけ振り返る。 煙が薄れていく境界の向こう、本来なら何もないはずのクヌギの古い梢(こずえ)に――半透明の、大きな鳥に似た「何か」が、長い光の尾を引きながら、雨粒を縫って空へ昇っていくのが見えた。その輪郭は雨の中で揺らめき、見ようとすればするほど、ただの光の屈折へと崩れていく。 「今の世界に、貴方の居場所はありませんよ」 その声は、どこか優しかった。 冷淡に見えて、それは「追い払う」言葉ではなく――帰るべき場所を、そっと教えてやる声音だった。 時雨は濡れ始めた道を、迷いのない足取りで下っていった。その左の拳の中に、採取したばかりの「瑠璃色の苔」がひとかけ、この世ならざる証拠品として、かすかな光を放ちながら握られていた。 --- ### 第弐話:七変化の誘惑 - Episode: 2 - Published: 2026-05-08 - Locale: ja > Synopsis: 雨の八国山で見つけた七色の石。巨大な紫陽花の迷宮に迷い込んだ時雨とここちゃんの背後に、音のない足音が忍び寄る。 ### 【前編】 八国山は、雨を飲むたびに――別の山になる。 それは単なる比喩ではない。土が水を含み、樹々が息を吐き、空気そのものが藍色に濁るとき、この山はどこか別の場所と、ひっそりと繋がるのだ。「七変化」とはよく言ったものだけれど、紫陽花が色を変えるのではない。山が世界の縫い目を、ほんの少しだけ解いているのだ。 「時雨さん、見て! 綺麗な石を見つけたよ!」 小学三年生のここちゃんが、泥に染まった両手を、花を捧げるように差し出した。 その掌に転がっていたのは――飴玉のような透明感を湛えた、七色の石。水晶でも瑪瑙でもない。光を受けるたびに色が「滲み出る」ように変わる、この山のものでも、人間のものでもない石だった。 時雨(しぐれ)は一瞥しただけで、柳眉をかすかに曇らせた。それは嫌悪ではなく――古い記憶が疼くような、静かな警戒だった。 「ここちゃん。それを、どこで拾いましたか」 「あそこの、おっきな紫陽花の根っこ。キラキラしてたから、呼ばれたみたいで」 呼ばれた。ここちゃんは無邪気にそう言ったが、その言葉は正確だった。 振り向いた先に――昨日まで存在しなかったものが、そびえていた。 見たこともないほど巨大な紫陽花の生垣。空を塞ぐほどの高さで、左右に果てなく伸び、まるで誰かがこの朝だけのために拵えた生きた迷宮の壁のように、そこに在った。雨粒が花を叩くたび、甘い腐敗臭にも似た香りが揺れる。 「……悪いことは言いません」 時雨は静かに、しかし確かな重さで言った。 「それを捨てなさい。それは石ではない。この山が、迷い子を招くために吐き出した対価ですよ」 しかし山は――待ってくれなかった。 石が、淡い青から「どろり」と赤紫色に溶けるように変色した瞬間。世界が、音もなく組み替えられた。 クヌギの林が消えた。湿った土の匂いが変わった。代わりに現れたのは、終わりの見えない回廊――左右を紫陽花の壁に閉ざされた、静謐にして不穏な通路だった。道の先は、霧に溶けて見えない。 「あ……道が、なくなっちゃった」 ここちゃんが時雨の裾を、小さな指でそっと掴む。 時雨は冷静な瞳で四方を観察し、懐から取り出したのは――一本の銀の匙。鈍く光るそれは、草露を受けてもなお錆びない、何かの護符のような道具だった。 「いいですか、ここちゃん」 時雨の声は、嵐の中の蝋燭のように、揺れず、消えず、ただそこにあった。 「ヘンゼルとグレーテルはパン屑を撒きました。でもこの迷路では色を信じてはいけない。見えるものが、必ずしも道ではありませんから」 ### 【後編】 雨が強さを増す。 まるで迷路そのものが、二人を飲み込もうと急いているかのように。 この迷路には、意志がある。青く染まった花が視界に映れば道は伸び、赤紫に変われば目の前が壁になる。そしてそれを操っているのは――ここちゃんの掌で息をし続ける、七色の石だった。 「キチ……キチ……」 あの音が、また聞こえた。 第一話で出会ったあの乾いた羽音。今度は紫陽花の葉裏から、複数の方向から――まるで、新しい獲物を品定めするように、じりじりと近づいてきていた。 「時雨さん……後ろに、誰かいる気がする」 「振り返ってはいけません」 時雨の言葉は、命令ではなく、呪文のように響いた。 「それは貴方の『影』を欲しがっているモノです。振り返って目が合えば――影は、貴方から離れていきますよ」 立ち止まった時雨は、おもむろに紫陽花の花びらを一枚だけ、無造作に千切った。それを銀の匙に静かに乗せ、指の腹で潰す。透明な汁が弾け散り――草と雨と、何か獣じみた苦みを混ぜ合わせたような、濃い香りが立ち上った。 「アルカロイドの毒……。なるほど」 静かな声の中に、何かが解けていく気配があった。 「この迷路は、石と紫陽花の毒気が共鳴して作り出した――視覚の檻に過ぎません。現実の地形は何も変わっていない。変わっているのは、貴方たちの目が見ているものだけです。」 時雨は薬草袋から、透明な液体の小瓶を取り出した。木酢液――草木を焼いた煙から生まれる、強い酸の雫。彼女はそれを一滴だけ、七色の石に垂らした。 ジリッ――と、短い悲鳴のような音がした。 石の色が、みるみる漂白されていく。七色が薄れ、青が消え、赤が滲み、最後に残ったのは、ただの真っ白な小石だけだった。 次の瞬間――。 巨大な紫陽花の壁が、陽炎のように揺らいだ。溶けた。そして、夢の終わりのように静かに消えた。 気がつけば二人は、見慣れた雑木林の道に立っていた。 雨の音が、何事もなかったかのように降り続けている。 「……時雨さん。今の、なんだったの?」 ここちゃんが、呆然とした声で問う。 時雨は空を一度仰いでから――ほんの少しだけ、口元を緩めた。 「山が見せた、短いお遊戯ですよ。深い森は退屈すると、たまに子供を遊び相手に選ぶんです。悪意ではなく――ただ、遊びたかっただけ」 それだけ言い残すと、濡れた道を、足早に歩き出す。 ここちゃんは手の中の白い石を見つめ、それをそっと草むらへ返した。 その背後で――雨に濡れた紫陽花たちが、一斉に首を揺らした。まるで、また雨の日に、と囁くように。 --- ### 第参話:夏至の反転 - Episode: 3 - Published: 2026-06-21 - Locale: ja > Synopsis: 夏至の光は世界を燃やし、裏面をむき出しにする。ハグロトンボに導かれたそらちゃんが見つけた、地図にない池。 ### 【前編】 夏至の光というものは、照らさない。 それは燃やすのだ。影という影を根こそぎ焼き尽くし、世界の皮一枚を剥いで、その下に眠る「裏面」をむき出しにしようとする、刃よりも鋭い光だ。八国山の葉叢は、その刃を浴びて白銀に溶け、空気そのものが薄く歪んでぶるぶると震えている。 小学二年生のそらちゃんは、その震える空気の中に、一匹の影を見た。 ハグロトンボ。漆を何度も塗り重ねたような黒い翅を、開いて、閉じて、また開いて――まるで心臓の鼓動を真似るように、ゆっくりと羽ばたいていた。虫というより、光の中をさまよう小さな「意志」のようだった。 そらちゃんが一歩踏み出すたびに、そのトンボは一歩分だけ先へ逃げる。 誘っているのか、逃げているのか――あるいは、その両方なのか。 気がつくと、彼女はクヌギ林の奥深くへ引き込まれていた。 光の量が変わった。夏至の直射が届かない、緑の天蓋に守られた空間。そこだけ時間が違う速度で流れているような、奇妙な静寂があった。葉擦れの音も、遠くの蝉の声も、まるで水中で聞くように遠く、くぐもっている。 そして――池があった。 地図には載っていない。案内板もない。人の踏んだ痕跡もない。 それなのに池は、まるでずっとそこに在ったかのような――いや、そらちゃんが来ることを知っていたかのような――落ち着いた顔をして、そこに広がっていた。 水面に、波紋がひとつもない。 それが不思議だった。風はある。木の葉が揺れているのに、水だけが完璧に静止していた。まるで水ではなく、磨き上げられた鏡のように、周囲の木々と空の全てを、正確すぎるほど正確に映し出している。 「……きれい」 そらちゃんが水辺にしゃがみ込むと、自分の顔が水の底から浮かび上がってくるように見えた。同じ麦わら帽子。同じ汗で張り付いた前髪。同じ、少し首を傾けた仕草。 何もおかしくない。 これは自分の鏡像だ――そう思いかけた瞬間。 水の中の少女が、先に、微笑んだ。 そらちゃんは動いていなかった。表情も変えていなかった。それなのに、水面の少女は、コンマ何秒か分だけ先んじて、口の端をほんの少し持ち上げた。反射ではない。模倣でもない。それは、向こう側から発された、意志のある歓迎だった。 水の中の手が、ゆっくりと上へ伸びてくる。 そらちゃんも、吸い寄せられるように、指先を水面へと近づけていった。 あと、数センチ。冷気が指先を包む。水面の少女の目が、嬉しそうに細くなる―― 「そらちゃん!」 鋭い声が、空気を断ち切った。 時雨(しぐれ)が走ってくるのを、そらちゃんは夢から引き戻されるような感覚で振り返った。彼女の表情は、そらちゃんが今まで見たことのない種類の緊張を帯びていた――怒りではなく、恐れでもなく、何かを「今すぐ止めなければならない」という、静かで強固な意志のようなものだ。 時雨はそらちゃんの肩をつかみ、池から引き離した。 「いいですか。その子を見てはいけません」 「でも時雨さん、あの子、私と手遊びしたいみたいで……」 時雨は水面を一度も直視しなかった。その代わり、懐から漆塗りの印籠を取り出し、蓋を親指で押し開けた。 「それは貴方の鏡像ではありません」 彼女の声は静かだが、その静けさの下に、研ぎ澄まされた刃のような確信があった。 「夏至の光が水面に焼き付けた――この山の、記憶の残り香です。そして今この瞬間、向こう側の世界から貴方の手を引こうとしている、主(ぬし)の指先です」 ### 【後編】 時雨に言われて初めて、そらちゃんは「ずれ」に気がついた。 水面の少女は今も笑っている。だが、そらちゃんが少し眉を動かしても、その笑いは変わらない。そらちゃんが首を傾けると、水の中の少女も傾けるが――コンマ数秒、遅い。まるで水中を伝わる音のように、微かに、致命的に遅れている。 そして、指。 そらちゃんが右手の人差し指を曲げると、水の中の少女が曲げるのは――左手の薬指だった。 「……キチ、キチ、キチ」 翅の音が聞こえてきたのは、その時だ。 一匹ではない。いつの間にか、ハグロトンボが数十匹――いや、もっと――池の上空を旋回していた。翅音が重なり、共鳴し、やがてそれは音ではなく、空気の振動となって、そらちゃんの骨の奥まで届いてくる。意識の輪郭が、溶けるように柔らかくなっていく。 「……なるほど」 時雨は静かに呟いた。その声には、驚きではなく、腑に落ちた者の納得があった。 「光が強すぎて、影が逃げ場を失った。行き場をなくした山の影たちが、水底に沈んで凝り固まった――それが今日の主の正体ですか」 彼女は印籠を傾け、一握りの「黒い砂」を掌に受けた。八国山の煤。特定の波長の光を遮断し、異なる位相の世界を「切り離す」ための触媒だと、以前そらちゃんは教わったことがある。時雨は池の縁を歩きながら、その砂を細い線のように撒いていった。黒い線は水辺に沿って弧を描き、やがて一つの円を成した。 「そらちゃん、目を閉じて。今から、世界を正しく直します」 時雨は銀の匙を逆手に持ち替えた。 水面を叩くのではない。水面の、すぐ上にある「空気の膜」を――まるでそこに張られた見えない薄硝子を割るように――鋭く薙いだ。 パリン。 その音は耳ではなく、鼓膜の裏側で鳴った。目を閉じていても、光が弾けるのがわかった。空間の何かが、ほどけた。 そらちゃんがおそるおそる目を開けると―― 水面の少女は、いなかった。 代わりに、ぐるぐると渦を巻く黒い霧が一瞬だけ立ち昇り、そして音もなく空へと散っていった。微笑みは最後の刹那に絶叫へと変わっていたが、それを聞いたのは時雨だけだった。池はみるみる透明度を失い、さっきまでの魔鏡のような輝きは跡形もなく消えて、ただの、夏の泥水へと戻っていった。 旋回していたハグロトンボも、どこへとも知れず消えていた。 頭上から、突き刺さるような夏至の光が降り注いでくる。 「……もう、いないの?」 そらちゃんが尋ねると、時雨は銀の匙を静かに懐へ収めた。 「影は影のあるべき場所へ帰りました」 彼女はそらちゃんの麦わら帽子を少し深く被せ直し、いつもより柔らかい声で続けた。 「夏至の日というのは、光があまりにも強すぎるあまり――自分と影の境界線が、緩んでしまう。だから今日だけは、水鏡に自分の顔を預けてはいけないのです。映ったものが、貴方のものとは限らないから」 二人が池を背にして歩き出した後、濁った水面が一度だけ、静かに揺れた。 風は、なかった。 水の上には、そらちゃんが落とした覚えのない黒い羽が一枚、浮かんでいた。それはくるくると小さな渦を描いて回りながら、誰かを待つように、その場にとどまり続けていた。 --- ### 第四話:星を食べる蛍 - Episode: 4 - Published: 2026-06-30 - Locale: ja > Synopsis: 六月の晦日、夏越の祓を控えた八国山。四歳のれおくんと時雨が遭遇したのは、夜空の星を食べて黄金に輝く、伝説の蛍だった。 ### 【前編】 六月の最後の夜――八国山は、誰かが空ごと染め落としたような、深い深い藍に沈んでいた。 この夜だけは違う。 「夏越の祓(なごしのはらえ)」を明日に控えたこの刻限、山は半年分の記憶を土の中に押し込め、ただ静かに、息を殺している。そして古くから語り継がれてきたことがある。六月の晦日、日付が変わる寸前のほんの一瞬だけ、空と地のあいだを隔てる膜が、薄紙のように透けて見えるのだと。 「……しぐれ、みて。おしり、ひかってる」 四歳のれおくんの指が、闇の奥を、おっかなびっくり突いた。 武蔵野時雨は、その小さな手をそっと包みながら、夜の奥底を見据えた。 舞っていた。無数の蛍が。 しかしそれは、野原でよく見かける黄緑色の蛍ではなかった。どの一匹も、まるで削り出した月光を腹の中に飼っているかのように、冷たく、神々しく、銀色に近い光を放っていた――まるで夜空そのものが地上に降りてきて、そのまま羽を生やしたかのように。 「れおくん、あまり離れてはいけませんよ」 時雨は静かに、けれど確かな重さをもって告げた。 「今夜の蛍は、少しばかり……食いしん坊ですから」 れおくんには、その意味が半分も分からなかっただろう。 けれど、その言葉が空気に溶けきる前に――それは起きた。 一匹だけ、他とは明らかに違う蛍がいた。 宝石を、誰かが夜に投げ込んだような、ひときわ大きく、ひときわ強い輝きを持つ一匹。 その蛍はふわりと地を離れると、螺旋を描きながら、ゆっくりと、ゆっくりと、北斗七星の眠る高みへと昇っていった。 そして。 一等星のすぐそばにたどり着いた蛍は、ためらいもなく小さな口を開けると―― **「ぱくり」**と、星を食べた。 「……あ」 れおくんの唇から、声というよりも息が漏れた。 「おほしさま、たべちゃった」 その一言が夜の帳に触れた瞬間、八国山の静寂はひび割れ、何か大きなものが、ゆっくりと目を覚ますような気配が、二人の足元から這い上がってきた。 ### 【後編】 星を飲み込んだ蛍の体が、内側から弾けるように変わっていった。 銀色の光は金色に変じ、金色はやがて、見ている者の目に焼きつくような、眩い橙へと燃え上がった。 それは、小さな太陽が一つ、夜の中に生まれた瞬間だった。 その蛍が、ゆっくりと降りてくる。 れおくんの元へ。 時雨は息を呑んだ。大人の目には、それはただの強烈な発光体にすぎない。しかし四歳のれおくんには――その澄んだ眼には――蛍の透き通った腹の内側で、さっきまで天の高みにあったはずの星が、まるで美味しいお菓子を食べた後のように、満足そうに瞬いているのが、はっきりと見えていた。 「しぐれ」 れおくんが振り返り、囁く。 「おほしさま、おなかのなかでわらってるよ」 言いながら、れおくんはそっと両手を差し出した。 迷いのない、子どもだけが持つ無垢な差し出し方で。 金色の蛍は、その掌の中に――吸い込まれるように、着地した。 その刹那。 足元の土が消えた。 雑草が光の粒となって宙に溶け、木々のざわめきが天体の回転する低い唸りへと変わった。八国山が、宇宙になった。宇宙が、八国山になった。二人は今、無数の星の流れの真っ只中に立っており、足元には天の川が、頭上には夏の大地が広がっていた。 それが――年に一度だけ訪れる、「星の合流点」だった。 山と空が、同じ一つの夢を見る夜。 「……れおくん」 時雨の声は、柔らかかった。しかし、その柔らかさの奥に、曲げることのできない芯があった。 「それを、離してあげてください。その星は、山に返さなくてはなりません。さもなければ――夜が、明けなくなってしまいます」 れおくんは金色の光を見つめた。 名残惜しそうに。 それでも、何かを確かに理解したように。 やがて、小さな唇がすぼまり――ふっと、掌に向けて息を吹いた。 たんぽぽの綿毛を飛ばすような、あの息で。 金色の蛍は再び夜へと舞い上がり、食べた星を、そっと元の場所へ吐き出した。 夜空に、欠けていたピースが嵌まる音がした――音は聞こえなかったけれど、確かに、した。 星座が、完成した。 「……バイバイ、おほしさま」 気がつけば二人は、湿った土と夏草の匂いが満ちる、いつもの八国山の散歩道に立っていた。 遠くの梢の向こう、夜明けを告げる一番鳥が、まだ眠い声で鳴いている。 「れおくん、何か覚えていますか?」 時雨が問いかけると、れおくんは眠そうに目を擦りながら、自分の小さな掌をじっと見つめた。 そこに星はなかった。金色の光もなかった。 あるのは、四歳の子どもの、少しだけ土と草の匂いのする、柔らかな手のひらだけ。 しかしその掌の奥には――言葉にできない場所に――夏至を過ぎたばかりの夜の温もりと、光でできた記憶が、小さな種のように、ひっそりと宿っていた。 「……おほしさま、あまかったよ」 れおくんのその一言を受けて、時雨はふっと笑った。 この季節でいちばん穏やかな、梅雨晴れの朝に似た笑みで。 --- ### 第五話:書を抱く猫と、雨音の三重奏 - Episode: 5 - Published: 2026-06-15 - Locale: ja > Synopsis: 梅雨の夜、時雨の庵に現れたのは二本足で歩く橙斑の猫・シャミ。彼が語る美の哲学と、雨音が奏でる弦楽四重奏。 ### 【前編】 八国山の雨には、時計の針を狂わせる力がある。 梅雨の夜が最も深くなる頃、紫陽花が闇の中に白く浮かび上がる頃――時雨の庵「紫陽花亭」の縁側に、一人の、あるいは一匹の、風変わりな賓客が現れた。 まず聞こえたのは、声だった。 「……やれやれ、この季節の湿気は、古書の背表紙を傷めていけませんね」 続いて現れたのは、その声の主――橙と黒の斑模様に白い腹、いかにも満ち足りていそうな丸い体躯、そして半眼に垂れた目蓋の下で世界のすべてを見透かすような、あの眼差し。腕は胸の前でしっかりと組まれ、その脇には分厚い一冊の本が、まるで最初からそこに生えていたかのように収まっている。二本の足で悠然と歩く姿は、飄々として、ふてぶてしく、それでいて否定しようのない威厳を帯びていた。 彼の名は、シャミ。 音楽と美術、古今東西の文学を愛し、怠惰と博識を矛盾なく同居させる、この八国山でも一際稀有な存在――橙毛の哲学者にして、自称「美の番人」である。 「シャミさん! また新しい本?」 庵の中で時雨の手伝いをしていた四歳のれおくんが、目を輝かせて飛び出してくる。シャミはちらりと視線を落とし、鼻の頭に乗せた見えない眼鏡をクイと押し上げるような仕草で――実際に眼鏡はかけていないのだが、そう見えるほど知的な所作で――満足げに喉の奥を鳴らした。 「左様。今日はラヴェルの譜面と、ボードレールの詩集を並行して愉しんでいたところですよ、れおくん」 腕組みを解くことなく、それでいて本は落とさない。シャミの腕には、そういう種類の万能さが備わっていた。 「音楽と文学というものはね、雨の夜という最高の舞台装置があってこそ――完成するのです」 時雨は無言のまま、淹れ立ての焙じ茶を二つの湯呑みに、過不足なく注いだ。 「……シャミさん」 静かな声。 「貴方のその本、昨日はルネサンスの画集ではありませんでしたか?」 シャミは半眼のまま、世界で最も当然のことを語るように言った。 「おや、時雨さん。美というものは、形を変えて絶えず流動するものですよ」 一拍。 「アーカイブに閉じ込めるだけが、愛ではありません」 時雨は何も言わなかった。ただ、湯呑みをシャミの前に、静かに置いた。
紫陽花亭の縁側で腕を組み、紫陽花の庭を背景にしたシャミ
### 【後編】 軒先から落ちる雨粒が、手水鉢を叩き、規則正しいリズムを刻んでいる。 シャミは――ようやく腕を解き――抱えていた本を愛おしそうに開いた。れおくんにも見えるよう、膝の上へそっと置く。その所作だけは、どこまでも丁寧だった。 「いいですか、れおくん」 シャミが言った。いつもより少し、低い声で。 「この『雨音』を、よく聴いてごらんなさい」 れおくんが耳を澄ます。 「これはただの水滴の音ではない。山が――この八国山そのものが奏でる――弦楽四重奏の一部なのです」 シャミが空いた手を宙へ差し上げ、見えない楽団を指揮するように、ゆっくりと動かした。 すると、不思議なことが起きた。 雨音が、重なり合い始めた。軒先の粒が第一ヴァイオリンとなり、手水鉢の響きがチェロへと変わり、遠い木立を打つ雨が低弦のピチカートを刻む。やがて庵全体が、深く、温かく、それでいてどこか哀しい弦楽の音色に包まれていく。 れおくんが、本の中の挿絵に、そっと指先で触れた。 描かれた貴婦人たちが――動いた。 雨の調べに合わせて、裾を翻し、手を取り合い、古い紙の中でゆっくりと踊り始める。 「わあ……! 本の中、歌ってるみたい!」 「感性が鋭い」シャミは半眼のまま、しかし確かに満足そうに喉を鳴らした。「これだから、子供との対話はやめられない」 それから彼は顔を上げ、縁側の向こうに浮かぶ紫陽花の青を見つめた。 「時雨さん、この闇に溶け込んだ紫陽花の『青』――これはかつて北斎が命を懸けて求めたベロ藍に通じる、魂の沈殿色だと思いませんか」 時雨は少しだけ、口の端を上げた。 「……論理的ではありませんが、情緒としては理解できます」 一拍置いて、静かに付け加える。 「ですがシャミさん、あまり知識をひけらかしていると、せっかく淹れたお茶が冷めてしまいますよ」 シャミは一瞬だけ、その半眼をわずかに見開いた。 そして何も言わずに湯呑みを取り、一口、静かに飲んだ。 --- 夜が更けるにつれ、紫陽花亭の中に、三つの層が積み重なっていった。 シャミが持ち込んだ美と知の香り。れおくんの、何物にも染まっていない純粋な笑い声。そして時雨が庵の隅々に張り巡らせた、静謐な秩序という見えない結界。 この三つが混ざり合い、溶け合い、言葉では形容できない――奇妙で、温かで、二度と同じ夜には戻れない「非日常」が、雨音の中に完成していた。 やがてシャミは、ゆっくりと立ち上がった。 「……さて」 胸の前で再び腕を組み、分厚い本を脇に抱え直す。 「そろそろ星の巡りが変わる時間だ。れおくん、次はモーツァルトの旋律が流れる頃に、また語り合いましょう」 シャミは一礼した。半眼のまま、腕組みのまま、飄々とした足取りで――雨上がりの闇の中へと、静かに消えていった。 後に残ったのは、古い紙と、かすかな薔薇の香り。 「しぐれ、シャミさんの本、こんど貸してくれるかな?」 「さあ……」時雨は濡れた夜の森を見つめながら、れおくんの頭にそっと手を置いた。「でも、次に会うときには――彼はきっとまた、別の『世界』を抱えてくるはずですよ」 --- ### 第六話:どんぐりの秘密会議 - Episode: 6 - Published: 2026-05-14 - Locale: ja > Synopsis: 八国山の秋の終わり。どんぐりたちの「転がり方」をめぐる議会に、ここちゃんの一言が引き起こした混沌。そして、シャミが発した「整列」の一言が明かす、言葉の持つ固有の周波数とは。 ### 【前編】 八国山の秋の終わりは、世界が未練を手放すことを学ぶ季節だ。 くぬぎの古木は金色の葉をまだ掌に抱え、日差しは薄紙一枚を透かしたように頼りなく、それでいてどこか甘い。空気の中に、枯れ葉と土と、かすかな炭の匂いが溶け合っている――まるで、夏の記憶が静かに焼かれていくような匂いだ。 武蔵野時雨は、そのくぬぎの根元を通りかかった瞬間、足を止めた。 理由は、感覚よりも先に来た。 ……何かが、揉めている。 それは耳で聞く音ではなく、大気の振動そのものが孕む「不和の気配」だった。時雨は細い目を地面へと向ける。落ち葉の層の間から――ひりついた、確かな議論の熱が、地面を伝って足の裏へ届いていた。 「右回転に決まっておる! 歴史がそう言っておる!」 「馬鹿を言うな、坂の傾斜を考えれば左回転こそ合理的だ!」 どんぐりたちが、揉めていた。 茶色の小さな体が地面の上でぶつかり合い、殻斗(帽子)をずり下げながら声を荒げている。今年の「転がり方」をめぐる、年に一度の大議会だった。その様子は、傍目には滑稽の極みだったが、時雨の眼差しにあったのは失笑ではなく――むしろ、静かな関心に近い何かだった。 (なるほど。左派と右派か。数百年、彼らはこうして秋をやり直してきたのだろう) 懐で手を組み、時雨は一歩退いて観察の姿勢に入る。こういう時、介入は無粋だ。議論は、それが尽きる時に自然と答えを出す。彼女はそう信じていた。 だが、そうはならなかった。 「みんなで転がれば怖くないよ!!」 空気を切り裂いたのは、ここちゃんの声だった。 小学三年生の彼女の明朗さは、理屈より先に世界を動かす。その一声は、左派と右派が積み上げてきた百年分の論理をまとめて吹き飛ばした。決壊、という言葉がこれほど似合う光景を、時雨は生まれて初めて目撃した。 どんぐりたちはいっせいに坂道へなだれ出した。 時雨の足元は、瞬く間に「どんぐりの海」と化した。 「――っ」 雅やかな悲鳴を飲み込みながら、時雨は松の幹に両手でしがみついた。足が取られる。一粒、また一粒と転がってくる小さな体が、絹の草履の下で容赦なく滑る。少し離れた場所では、遅れてやってきたれおくんが膝の高さまでどんぐりに埋まり、すでに身動きが取れなくなっていた。 ここちゃんだけが、何故か無傷で、どんぐりの波の上を器用に駆けていた。 「あはは! ながれにのって!」 そらちゃんは少し離れた石の上にすでに退避していた。流れが始まる前に無言で高台を確保していた彼女は、猫目を細めてどんぐりの軌跡を観察しながら、独り言のように呟く。 「……右回転と左回転が混在してる。合力で直進になってる。理論上は正しい」 その分析が、誰にも届いていないことを、彼女は特に気にしていなかった。 --- ### 【後編】 「整列。」 声は、ただそれだけだった。 シャミが石垣の上から発したその一言には、感情の起伏も、威圧の響きもなかった。ただ、秋の大気を引き締めるような、静謐な確かさがあった。三毛の毛並みに薄日を受けて、尾の先だけがゆっくりと揺れていた。 どんぐりたちは、ぴたりと止まった。 それだけではない。くるりと向きを揃え、各々の殻斗をそっと脱いで、深々と頭を下げたのだった。 秋の日差しが、その小さな頭のひとつひとつの上でやわらかく跳ね――まるで一瞬だけ、大地が礼をしているように見えた。 時雨は松の幹から手を離し、乱れた袖を静かに直した。胸の裡では、確かに何かが動いていたが、表情には出さなかった。シャミの言語支配については、かねてより仮説を持っていた。しかし、こうして目の当たりにすると、仮説は推理の位相をそっと超えていく。 (あの猫が整列と言う時、その声には韻律がある。谷崎か、鷗外か――いや、もっと古い。大言海の匂いがする) 「シャミ。今のは何を根拠にした」 時雨が問うと、シャミは石垣の上で片目だけを細めた。 「芸術には、混沌を整える固有の周波数がある。にゃ」 「……それは答えではなく、詩だ」 「詩と答えは、しばしば同じものにゃ」 反論を封じられた時雨が黙った一拍の間に、そらちゃんが石の上から静かに降りてきて、整列したどんぐりの前にしゃがみ込んだ。小さな手に、細い木の枝を持っている。 「殻斗の縁の傷み方が、種ごとに違う。転がる距離と回転数が読める」 彼女の声は平坦で、しかし言葉の一粒一粒が正確だった。 「この子たちの議論、どちらも間違ってない。斜面が変わればどちらも正しくなる」 「……それを言いに来たのか」どんぐりたちの方へ、時雨が視線を向ける。 そらちゃんは小さく頷いた。「でも言えなかっただけ」 沈黙が、山の木々の間を静かに流れた。 やがてどんぐりたちは、おもむろに動き出した。右でも左でもない――各々が、各々の斜面を、各々の角度で転がり始めた。ばらばらで、しかしそれはもう「揉め事」ではなく、秋の山が自ら選んだ「歌」のように見えた。 ここちゃんが、目を輝かせながら言った。 「みんなちがって、みんないい!」 「……金子みすゞ、か」時雨が呟く。 シャミが石垣の上から、満足げに目を細めた。「正解にゃ。ただし五十点にゃ」 「残りの五十点は」 「実際に転がってみた者だけが知るにゃ」 時雨は答えなかった。ただ、懐から取り出した小さな手帳に、万年筆でひとこと書き記した。 ――どんぐりの議会。結論:多数決より多様性。証人:山そのもの。 風が吹いて、くぬぎの梢から金色の葉が数枚、くるくると舞い落ちた。 それは右にも左にも偏らず、ただ秋の重力に従って、それぞれの場所へ、静かに還っていった。 --- ### 第七話:迷子の雲とおやつタイム - Episode: 7 - Published: 2026-05-14 - Locale: ja > Synopsis: 202ⅹ年11月某日午後。八国山の上空で群れから離れた、小さな迷子の雲。そらちゃんの頭に降り立ったその白いかけらは、干し柿を食べて桃色に染まった。 ### 【前編】 その日の空は、最初から落ち着きがなかった。 八国山の上空を流れる雲の群れが、いつもと違う速さで東へ東へと急いでいた。まるで何かから逃げているように。あるいは、何かを置き忘れてきたことに、ようやく気づいたように。 武蔵野時雨がそれに気づいたのは、湯気を立てる土瓶を抱えて斜面の中腹を歩いていた時のことだった。 大気の圧が、微かに変わっている。 (……雲の群れに、乱れがある) 天を仰ぐ細い瞳が、青の中の一点を捉えた。群れの端が、ほつれていた。糸の切れた凧のように、一片だけが取り残されて、方角も速さも失い、ただふわりふわりと漂っている。 雲の迷子、などというものは、気象学的には存在しない。 しかし、この山では。 (――気象学的には、ね) 時雨が口の端に微かな苦みを浮かべた瞬間、その白いかけらは、ゆっくりと山を降りてきた。 そらちゃんの頭の上に、それが降り立ったのは、ほとんど自然の成り行きとしか言いようがなかった。白く、柔らかく、ゆっくりと呼吸するような、ちいさな雲のかけら。そらちゃんはしばらく上を向いたまま動かず、それから静かに言った。 「……お前、迷子か」 雲は答えなかった。ただ、そらちゃんの頭の上で、心細そうにちぢこまった。 「腹が減ってる」 断定だった。そらちゃんの観察眼に、問いはいらない。「息の仕方が浅い。水蒸気の密度が落ちてる。これは空腹の症状と一致する」 「雲に空腹などという概念が……」と言いかけた時雨の言葉を、ここちゃんの声が遮った。 「なんか甘いにおいがする!!」 森で一番の鼻が、それを知覚したのだ。ここちゃんはすでに手の中に、今朝おばあちゃんに持たされた小さな包みを取り出していた。包みを開くと、丸く小さな干し柿が、白い粉をまとって並んでいる。 「はい、どうぞ」 ここちゃんが差し出した干し柿を、雲はためらわなかった。ぱくり、とやわらかく包み込んで、しばらくして――ゆっくりと、ピンク色に染まり始めた。 甘さが全身に広がるように。満ち足りた喜びが、そのまま色になるように。 桃色の光が夕日と混ざり合い、山の斜面をやわらかく染めた。そらちゃんが小さく目を細める。時雨は手帳を取り出した。シャミは石の上から、興味深そうに尾の先を揺らしていた。 「……文献にある。江戸期の絵図に、夕焼けの中に桃色の雲が混じる日は吉兆と記されていた」時雨が呟く。 「それはこういうことだったのかもしれませんね、にゃ」とシャミが静かに言った。 問題は、そこからだった。 --- ### 【後編】 おやつを食べた雲は、すっかり甘えん坊になった。 ふわふわと漂い、最初はここちゃんの頭の周りを旋回し、そらちゃんの肩に止まり、時雨の袖口に巻きついて、まるで行き場所を探すように彷徨っていた。そして最終的に――なぜか、れおくんの背中に着地した。 「……僕、何もしてないんだけど」 れおくんが困惑の声を上げたが、雲はもう動かなかった。大きく、温かく、少しだけ頼りになりそうなものを、雲なりの基準で選んだのかもしれなかった。れおくんの背中の上で、桃色がかった白い塊がゆったりと息をしている。 「馬じゃないぞ!」 「雲に語義は通じないにゃ」シャミが言った。「文学的に解釈するなら、あなたは今、雲を羽織った小さな旅人にゃ」 「全然嬉しくない!」 しかし、そのまましぶしぶ歩き始めたれおくんの背中の雲は、木漏れ日の中でやわらかく輝き、傍から見れば確かに――どこか遠い国の、旅の話に出てきそうな絵だった。本人だけがそれを知らないまま、秋の斜面をふらふらと歩いた。 「どうやって戻す」そらちゃんが時雨に問う。 「……試みることはできます」 時雨は土瓶を持ち直し、その蓋を少し傾けた。ほんの細い隙間から、白い湯気が一筋、秋の空気に溶けるように立ち上った。 雲が、動いた。 れおくんの背中の上で、ぴくりと反応した。湯気の匂いを辿るように、少しだけ浮き上がり、少しだけ傾いて、お茶の香りの方向を向く。時雨は土瓶をゆっくりと、空の方へ傾ける。湯気が細くたなびき、天へと向かって伸びていく。 「……お茶の湯気は水蒸気だから。雲にとっては、仲間の声みたいに聞こえるのかもしれない」 そらちゃんが静かにそう言ったとき、雲はもう空へと浮かび始めていた。 ゆるゆると高くなる。ゆっくりと薄くなる。桃色がほどけて白になり、白が青に溶けていく。群れのいる場所へ、帰るべき方角へ、秋の風に乗って流れていく。 そして最後に一度だけ。 山の上空で、はっきりと桃色に染まってみせた。 ここちゃんが手を振った。そらちゃんは小さく頷いた。れおくんは背中を確かめてから、ほっとしたような、少しだけ寂しいような顔をした。 「また来るかな」とここちゃんが言う。 「雲に記憶があるかどうか、わかりません」時雨が答えながら、静かに笑った。「ただ、この山の湯気の匂いは覚えていく気がします」 シャミが石の上から、秋の空を長く見上げていた。 「プルーストが言ったにゃ。匂いは、時間を超えて最も遠くまで届くと。にゃ」 「……それを雲に当てはめますか」 「なぜ当てはめてはいけないのかにゃ」 時雨は答えず、土瓶に残ったお茶をもう一杯、自分の器に注いだ。湯気が細くひとすじ、空へと向かって伸びていく。 それはまるで、帰り道を失ったものへの、小さな灯台のように見えた。 --- ### 次回予告 **第八話 霜の夜と、文字の降る朝** --- ### 第八話:お地蔵様の忘れ物 - Episode: 8 - Published: 2026-05-14 - Locale: ja > Synopsis: 202x年晩秋、石段の傍らにて。三百七年ぶりに動いたお地蔵様が、五十年かけて彫ったものは——石彫りのスマホだった。好奇心に、年齢も素材も関係ない。 ### 【前編】 八国山の境界には、終わりと始まりが同居している。 石段がある。苔がある。そして、何百年もそこにある顔がある。 武蔵野時雨がその石段を上ったのは、純粋に近道のためだった。しかし足が止まったのは、理屈ではなく、あの感覚だった――大気の中に「ずれ」がある。いつもと同じ苔の匂い、同じ土の湿り気、しかしその奥に、何かが「動いた後」の残響が漂っていた。 (……この地蔵、先ほどまで動いていた) 石のくせに、妙な体温がある。 時雨は目を細めた。お地蔵様の両掌が、ほんの少し、いつもと角度が違う。何百年も同じ位置で合わせられていたはずの掌が、今日だけは――何かを、抱えるような形をしていた。 「……スマホ?」 れおくんが追いついてきて、真っ先に言ったのがそれだった。 石のくせに妙にリアルな形の、平たい何かが、地蔵の両掌にきちんと収まっている。よく見れば全部石彫りだった。しかし彫りの精巧さが尋常ではない。画面には無数の「いいね」マークが刻み込まれ、右上の隅に電波のアンテナまである。 「最近の若者が皆揃って見ておるものが、儂にはどうにも気になってのう」 声は石から来た。低く、少し砂を含んだような、しかし確かに温かい声だった。「それで、真似して作ってみたのじゃ」 ここちゃんが「わあ」と声を上げた。そらちゃんは無言のまま、石彫りのスマホをまじまじと観察している。時雨は手帳を取り出し、万年筆を走らせた。 「何百年ぶりに、手を動かしたわけですか」 「三百と、七年ぶりじゃな」 「……それだけの時間をかけて、作ったのがSNSの模倣とは」 「おぬしも気になったことがあろう。通りすがる人間が皆、同じものを眺めて、同じ顔をして歩いておる。儂には何が見えているか、知りたかったのじゃ」 時雨は、反論の言葉を飲み込んだ。 三百七年。その長さの好奇心を、笑うことは誰にもできない。 そらちゃんが石彫りのスマホを小さな指でなぞった。「彫りが細かい。一晩では無理な精度」 「五十年かけたわい」お地蔵様は少し自慢げに言った。「最初の三十年は画面が丸かった」 --- ### 【後編】 最初に動いたのは、シャミだった。 石垣の上からするりと降りたシャミは、お地蔵様の前に座り、その石彫りのスマホを静かに眺めた。尾の先がゆっくり揺れる。それから、ひどく真剣な顔で言った。 「映える角度、教えてあげましょうか。にゃ」 「……映える、とは」 「作ったなら、見せなければ意味がないにゃ。芸術は孤独の中で生まれるが、光の中でしか完成しないにゃ」 お地蔵様が、長い沈黙の後に言った。「続けよ」 シャミの指導が始まった。 「まず、光の方向にゃ。今の角度では苔の影が掌に落ちておる。首を――そう、右に。もう少し。ミリ単位にゃ」 何百年ぶりかに、お地蔵様の首が動いた。 石が鳴った。低く、地の底から響くような音が、一度だけ山に満ちた。鳥が一斉に飛び立ち、風が止まり、木の葉が息を呑んだ。ここちゃんが思わずれおくんの袖を掴んだ。 そして――お地蔵様は、ほんのわずか、首を傾けた。 「……いい、にゃ」シャミが静かに言った。「三百七年かけて作ったものは、三百七年分の重さがある。それを、正しい光の角度で見せるのにゃ」 時雨が土瓶を持ち直し、一歩前に出た。 「お地蔵様。写真を、撮らせていただいてよいですか」 「……写真、とは」 「光で絵を写し取るものです。あなたが今日ここで動いたことの、証拠になります」 長い沈黙。秋の風が石段を吹き上げた。 「……頼もう」 時雨は懐から小さな銀の機械を取り出した。かちり、と音がした。光が一度だけ、お地蔵様の掌の石彫りのスマホを照らした。そらちゃんが隣から覗き込んで、小さく頷いた。「ちゃんと映ってる。いいね、の数まで」 時雨が写真をお地蔵様に見せると――石の口元に、かすかな変化が生まれた。それを笑みと呼んでいいかどうか、時雨には確信が持てなかった。しかし、そこに何かが宿ったことは、間違いなかった。 「……これが、皆の見ておるものか」 「ええ」 「儂の方が、ずっと長く石を彫っておった」 「そうですね」 「なのに、こちらの方が、温かく見える」 時雨は答えなかった。シャミが石垣の上に戻りながら言った。「温かさは、時間ではなく、誰かに見せようとした意志から来るにゃ。あなたの石彫りには、それがあるにゃ」 ここちゃんが手を振った。れおくんが深々と頭を下げた。そらちゃんは石段を降りながら、もう一度だけ振り返った。 「また更新しに参れよ」 お地蔵様の声は小さく、しかし確かに、枯れ葉の舞う秋の風の中に、溶けるように消えていった。 石段を下りながら、時雨は手帳に短くこう記した。 ――地蔵、三百七年ぶりに首を傾ける。理由:好奇心。結論:好奇心に、年齢も素材も関係ない。 山が、低くひとつ、満足そうに鳴った。 --- ### 第九話:影法師のストライキ - Episode: 9 - Published: 2026-05-14 - Locale: ja > Synopsis: 202x年晩秋、夕暮れの境界にて。影たちが足元から剥がれ、山を駆け回る。「誰が最も格好いいシルエットを作れるか選手権」が開催され、意外な優勝者が現れた。 ### 【前編】 夕暮れは、八国山では少しだけ違う色をしている。 光が長く伸び、影が濃く重なり、森の輪郭が水彩画の端のようにほつれていく時間。武蔵野時雨はその「境界の薄さ」を、誰よりも正確に知っていた。昼と夜の縫い目がほどけかける瞬間、この山では、あってはならないことが、ごく自然に起きる。 だから今日も、気づいた時には遅かった。 (……足元が、軽い) 時雨が視線を落とした時、自分の影はすでに地面から半身を起こしていた。 ぺり、という音は聞こえなかったかもしれない。しかし確かに、影は剥がれた。まるで長い間貼り付いていた絵が、ある朝ふと壁から浮き上がるように。そして時雨の影は立ち上がり、背筋を伸ばし、それから本体をちらりと見た。 「……随分と長く、付き合ってきましたね」 時雨が言うと、影は何も答えなかった。答える代わりに、深々とお辞儀をした。それは侮辱ではなく、礼儀だった。そして影は、夕暮れの斜面へと歩き出した。 「ずっと足元にいるのは、もう飽きた」 その声は、影の声というより、風が木の間を抜ける時の音に似ていた。 れおくんの影が次に立ち上がった。本体を一度だけ振り返り、「悪く思うなよ」とでも言いたそうな角度で首を傾けてから、さっさと斜面を下っていった。そらちゃんの影は音もなく起き上がり、ここちゃんの影はひときわ元気よく跳ね上がり、木の実をひとつ蹴って坂を駆け上がっていった。 五人が、棒立ちになっていた。 「……前代未聞ですか」れおくんが時雨に問う。 「文献に一例あります」時雨は静かに答えた。「応永年間、武蔵野で影が集団で剥がれたと記録されている。理由は――」 「理由は」 「飽きた、と」 沈黙が落ちた。そらちゃんが空を見上げた。「太陽があの角度になると、影の持つエネルギーが臨界を超える可能性がある。理論上は」 「理論上は、ね」時雨が繰り返した。 影たちは今、山の斜面で好き勝手に動き回っていた。木の実を拾い、石の上に寝そべり、枯れ葉を踏んでその音を確かめ、ここちゃんの影に至っては木に登ってそのまま梢の上で夕焼けを眺めていた。本体たちが呆然と立ち尽くす中、影法師たちだけが、この秋の夕暮れを満喫していた。 シャミが石垣の上から、尾を揺らしながら全体を眺めていた。 「自由というのは、いつも誰かの足元から始まるにゃ」 「今は哲学より対策が必要です」 「対策と哲学は、しばしば同じものにゃ」 --- ### 【後編】 影たちの間で、競技が始まったのは日が傾いてからだった。 誰が言い出したのかは分からない。しかし気がつけば、斜面の枯れ草の上に影たちが整列し、順番に前へと出て、己のシルエットを夕日に晒していた。審査員は誰でもなく、山そのものだった。風が吹けば喝采、葉が散れば次の番という、ごく自然な取り決めで。 「誰が最も格好いいシルエットを作れるか選手権」 そらちゃんの影が最初に出た。両腕をゆっくりと広げ、翼を持つ鳥の形を作った。輪郭は正確で、美しく、どこか孤独だった。枯れ葉が三枚、風に運ばれた。 ここちゃんの影が次に出た。両手を頭の上で丸く結び、大輪の花の形を作った。その丸さが夕日の中で揺れて、輪郭がまるで笑っているように見えた。風が少し強く吹いた。 時雨の影が出た。 誰も予想しない姿勢だった。片手を胸に、もう一方を背に回し、あごを上げ、足を揃えた。帽子まで生やしていた。どこから調達したのかは分からない。しかし、その凛々しいシルエットには、確かな意志があった。 「……ナポレオンですね」時雨が呟いた。 「本体より様になっているにゃ」シャミが静かに言った。 周囲の影たちから、葉がいっせいに舞い散った。山の喝采だった。 そして、れおくんの影の番が来た。 影は前に出た。そして――何もしなかった。 夕日の中に、ただのびのびと寝そべった。手足を大の字に広げ、顔を空に向けて、微動だにしない。その徹底した怠惰は、努力の痕跡を一切残さず、しかし誰よりも大きく地面を使っていた。 風が吹いた。強く、長く、山全体を揺らすような風が。 枯れ葉が嵐のように舞い散った。それはこの夕暮れの競技において、最大の喝采だった。 本体のれおくんは、頭を抱えた。「……なんで」 「怠惰は、時に最も正直なシルエットにゃ」シャミが石垣の上から言った。「ポーズをしない者だけが、本当の形を持つにゃ」 「慰めになってない!」 日が沈んだ。 藍色が山を満たし、夕焼けの橙が稜線の向こうへ引いていく。影たちは揃って、深く長い息をついた。それから各々、くるりと向きを変え、それぞれの足元へとするりと滑り込んでいった。まるで最初からそこにいたように。まるで何事もなかったように。 時雨は、足元の影を確かめた。いつもの場所に、いつもの形で、ちゃんとある。しかしその輪郭が、心なしか、帽子のあたりが少しだけ誇らしげに見えた。 「……お帰りなさい」 影は、答えなかった。 ただ、夜風に揺れる木の葉の隙間から、最後の光が一筋だけ差し込み、時雨の影を長く伸ばした。それはまるで、あともう少しだけ、と言っているようだった。 れおくんのため息が、藍色の夜に静かに溶けていった。 「疲れたのは、僕の方だよ……」 シャミだけが、石垣の上で満足そうに目を細めていた。 時雨は手帳を開き、万年筆を走らせた。 ――影、集団で剥がれる。理由:飽きた。結論:影にも、意志がある。あるいは――意志こそが、影を作る。 山が夜の衣を羽織り、八国山は静かに、また眠りについた。 --- ### 第十話:八国山おしゃべり切符 - Episode: 10 - Published: 2026-05-14 - Locale: ja > Synopsis: 202x年晩秋、落ち葉の季節の果てに。楓の葉に刻まれた「切符」が、笑いを条件に山を駆ける絨毯へと変わった。時雨の真顔の「わっはっは」が引き金となり、最後に辿り着いた場所は——お家。 ### 【前編】 落ち葉というものは、黙って落ちるのが礼儀だと、時雨は思っていた。 しかしこの日の八国山の落ち葉は、明らかに何かを隠していた。風もないのに動く。踏もうとすると避ける。そして時雨の足元だけ、なぜか一枚も積もらない。まるで、道を空けているように。 (……これは自然現象ではなく、誘導だ) 視線を落とした瞬間、シャミがすでにそれを拾い上げていた。 楓の葉、一枚。しかしその葉脈に沿って、何かが刻まれている。細く、しかし迷いのない線で。シャミは静かにそれを読んだ。それから、石の上に座り直し、尾の先だけをゆっくりと揺らして言った。 「笑いながら三度、行きたい場所を叫べ。さすれば風が連れていく、にゃ」 沈黙が落ちた。 「……切符、ですか」時雨が手帳に書き記しながら言った。「葉脈を利用した情報媒体。山の意志が書いたものか、あるいは――かつてここを通った誰かが残したものか」 「どちらでもいいにゃ」シャミが答えた。「試せばわかるにゃ」 「試す前に条件の精査が――」 「試してみよう!」 ここちゃんが言った。この一声が、いつだって世界を動かす。そらちゃんはすでに切符の葉を観察していた。「葉脈の走り方が通常の楓と違う。情報密度が高い。本物だと思う」 れおくんが恐る恐る手を挙げた。「笑いながら、というのは――本当に笑わないといけないの?」 「条件に書いてあるにゃ」シャミが言った。「嘘の笑いでは、おそらく動かないにゃ」 一同の視線が、自然と時雨に集まった。 「……何故、私を見ますか」 「しぐれさんが笑うところ、見たことないから」ここちゃんが言った。 時雨は一拍置いて、視線を切符の葉へ戻した。それから懐を探り、万年筆の蓋を閉め、手帳をしまい、背筋を正した。全員が固唾を飲んだ。 そして時雨は、真顔のまま言った。 「わっはっは」 山が、止まった。 風が止まり、鳥が止まり、落ち葉の最後の一枚が宙で静止した。それから全員が、ほぼ同時に崩れ落ちた。ここちゃんは地面を転げ回り、れおくんは松の幹に額を当てて肩を震わせ、そらちゃんでさえ、口元を押さえながら目が笑っていた。シャミは石の上で品よく俯いた。 「……私の何が、そこまで」 時雨が言うほどに、笑いは大きくなった。笑いが山の斜面を伝い、木の葉を揺らし、地面の落ち葉がざわざわと波打っていく。するとどうだろう。足元の枯れ葉たちが、くるくると渦を巻いて舞い上がり、やがて一枚の大きな葉の絨毯となって、宙にふわりと浮かんだ。 「……推理通り」そらちゃんが呟いた。「本物の笑いに反応するにゃ、と書いてあった。条件を満たした」 「私は笑っていません」時雨が言った。 「周りが笑ったにゃ」シャミが言った。「あなたが呼び水になったにゃ」 絨毯が、待っていた。 --- ### 【後編】 一行はその上に乗った。 足の裏に触れる楓の絨毯は、思ったより固く、しかし微かに温かかった。まるで何百枚もの葉が協力して、ひとつの意志を持ったように。時雨は膝をつき、その表面を手で確かめた。葉脈が格子状に組み合わさり、互いを支え合っている。これは偶然ではない。意図された構造だった。 「行きたい場所を、三度」シャミが切符の葉を掲げた。「笑いながら、にゃ」 「丘の上へ!」ここちゃんが叫んだ。それだけで充分だった。 絨毯が動いた。 最初はゆっくりと、落ち葉が風に流れるように。しかし笑いが続くほど、速度が増した。ここちゃんがもう一度「丘の上へ!」と叫ぶと、絨毯は木の梢をかすめた。三度目に叫ぶと、もはや目的の丘はずっと下になっていた。 「行き過ぎてる!!」れおくんが叫ぶ。 「止まれ!」と叫べばいいはずが、その叫び声がまた可笑しくて、笑えば笑うほど絨毯は加速した。そらちゃんが淡々と言った。「笑うな、と言っても笑うのが人間の構造」 「あなたは笑っていませんか」時雨が問う。 「……少しだけ」そらちゃんが認めた。それが何故か一番おかしくて、全員がまた笑った。絨毯がさらに速くなった。 シャミだけが静かに、切符の葉を裏返した。 細い線で、もうひとこと書いてあった。「帰りたい場所を、一度だけ、静かに呼べ」 「……皆さん」 シャミの声は低く、しかしよく通った。全員が黙った。笑いが静まり、山の風だけが残った。それから誰ともなく、ゆっくりと息を吸い込んだ。 ここちゃんが、静かに言った。「……お家」 それだけだった。 絨毯は速度を落とした。木の梢が遠ざかり、斜面が近づき、夕日の色が暖かくなった。やがて枯れ草の上に、ほとんど音もなく、絨毯は降り立った。 見慣れた庭先だった。家のすぐ裏の、いつもの場所だった。 ここちゃんが倒れ込みながら笑った。「やっぱり……お家が一番だね」 その言葉に応えるように、切符の葉がかさかさと一度だけ鳴った。それは笑うような音だった。そして葉は、葉脈の刻み字をゆっくりと消しながら、ごく普通の、赤い楓の葉へと戻っていった。 時雨が手を伸ばし、そっと受け取った。もう何も書かれていない。ただ、秋の夕日を受けて、透き通るように赤かった。 「証拠が消えました」れおくんが言った。 「葉が証拠にゃ」シャミが言った。「山から借りた切符が、山の葉に戻っただけにゃ」 そらちゃんが空を見上げた。「もう一度使えると思う?」 「来年の秋に、笑える理由があればにゃ」 時雨は、赤い楓の葉を手帳に挟んだ。万年筆を取り出し、最後に一行だけ書いた。 ――切符、楓の葉一枚。条件:笑うこと。帰着地:家。結論:山は、笑いと帰り道を、知っている。 夕暮れが、八国山をゆっくりと藍色に染めていった。 落ち葉たちは、もう静かに積もっていた。何も隠さず、どこへも急がず、ただその場所に、黙って重なり合いながら。 --- 八国山の物語は、まだまだ続きます。 風が変わるたびに、新しい不思議が生まれる場所で。 来年の春、また笑える理由を持って―― --- ## Section: Hachikokuyama Dayori (English) ### Episode One: The Premonition of a Soundless Rain - Episode: 1 - Published: 2026-05-08 - Locale: en > Synopsis: Early summer in Hachikokuyama: a ring of lapis moss and the truth of the running plum rains. Shigure Musashino mends a frayed phase of the world. ### Part One The early summer of Hachikokuyama is the colour of a world still half-asleep and dreaming. Dappled light spills across the floor of the thicket in restless patches. The wind moves low, carrying the sweet, faintly rotten perfume of chestnut blossoms. Life here is almost embarrassingly abundant — and somewhere in the deep green excess of it all, Musashino Shigure caught the scent of a fraying seam in the world. Not with her nose. With her soul. Obviously. "…Most irregular." She said it quietly, the way a person talks to a mountain when they expect the mountain to answer and are not entirely surprised when it doesn't. Her narrowed eyes fixed on a single point. Beneath the dominant sweetness of the chestnut flowers, something else was hiding — a cold, metallic aftertaste, like the air left ringing after someone had struck an old silver bell. A residue. A memory. The unmistakable signature of something that should not have been here and very much had been. Shigure's feet stopped of their own accord. Around the base of a sawtooth oak, there was a silence that had no business being there. The grass in that spot had given up entirely and lay flat, as if it had simply decided life was no longer worth the effort. In its place, a ring of moss — the precise, luminous blue-violet of crushed lapis lazuli dissolved in midnight dew — grew in a perfect circle. Not approximately perfect. Geometrically perfect. The kind of circle that takes either centuries of patient intention, or a compass, and the moss had neither. It looked, frankly, like a seal. Or a very formal invitation from someone with no return address. Shigure produced a silver spoon from the inner pocket of her coat — because of course she had a silver spoon — and pressed it into the centre of the ring. The soil she lifted was impossibly light. The kind of light that suggested the contents had been quietly removed by someone who wasn't going to explain themselves. "The surrounding plants are in full retreat, while this moss proliferates without restraint…" She rolled a pinch of earth between her fingers. "This is not a matter of soil chemistry. The phase itself has shifted." There was a faint smell of iron rust. And then — something stranger. A lightness, starting at the soles of her feet, as if the ground beneath her had decided gravity was more of a suggestion than a rule. She knew this feeling. It was the specific texture of a place where the boundary between sky and earth had gone thin and porous. The scattered pieces in her mind began, with great dignity and no hurry, to move into place. *This moss is not feeding on the soil. Something had once fallen here from a great height — or perhaps from above the concept of height entirely — and rested. And the moss had found the trace of it, and eaten.* She knelt, certain, ready to examine further — And the sound stopped. All of it. The birds. The wind. Her own breathing. The whole mountain inhaled at once, like a vast and sleepy creature suddenly remembering it had lungs, and held it. *Kichi. Kichi.* It was almost like the sound of wings. Except it bypassed her ears completely and went straight for something deeper — the quiet white centre of her brain, which it proceeded to scratch, slowly and with great precision, like a dry fingernail dragging across paper. Was it a warning? An announcement? An RSVP? A single cold bead of sweat ran down the back of her neck. She let it. --- ### Part Two "…I see. So this is what's been driving the early rainy season." Shigure stood, and surveyed the mountain through the mist with the calm of someone who has confirmed a hypothesis and is quietly pleased about it but would never say so. While she'd been crouched over her spoon and her soil sample, the fog had arrived and made itself at home. Now it caught the blue-violet phosphorescence leaking from the moss ring and glowed with it — and inside that glow, running like veins of luminous water through the grey air, roads had appeared. Roads that no map had ever recorded, because they had the common sense not to be there most of the time. They were there now only because a very specific combination of humidity and accumulated spiritual residue had briefly made them legible. They were the ancient paths that led to the bottom of the sky. By Shigure's calculation — and Shigure's calculations were the sort one did not argue with — the rain that was approximately twenty minutes from arriving would hit these luminous paths and, upon doing so, would dissolve the boundary between mountain and sky entirely. At which point, a certain category of lost and nameless things would follow the water-roads down into the inhabited lowlands and begin making themselves comfortable in the shadows under people's eaves. "Imposing the accumulated residue of an older age upon the residents of the present," she said to the glowing fog, "is not behaviour I can endorse." She reached into her coat again. The coat, it turned out, contained a great deal. This time she produced a lump of something that looked like black soot pressed into a shape by someone with strong opinions. It was her own formula — *meigo-kou*, the Wandering Incense: a compound designed to absorb specific sound frequencies and re-suture the logical structure of distorted space. A prescription, in other words, for the part of the world that had forgotten how to behave. She snapped a dry twig from the nearest branch, struck a small fire with the focused efficiency of someone who has done this before and does not need to make it look impressive, and dropped the lump in. The smoke that rose was thin at first. Then it found its purpose. It branched and branched again like a living thing, cutting through the violet mist in long, deliberate strokes. The luminous roads faded — one thread, then another, then another — as cleanly as pencil lines being erased by someone who is not angry about the mistake but is absolutely going to fix it. This was not magic. It was not a miracle. It was logical intervention, executed with precision. It was also, in its way, a form of courtesy to the mountain. The smoke wrote over the sky's old memory, and guided the nameless wanderers — gently, firmly — away from the town and down into the deeper valleys where they belonged and where, presumably, they would be happier. One by one, the lights in the fog went out like soap bubbles. *Plop.* Something cold landed on the tip of her nose. The world's way of saying: welcome back. She looked up. The violet glow was entirely gone. In its place, heavy grey rain-clouds sat low across every square inch of sky, looking smug. "…It begins. A timely rain, for the verification of a theory." She stamped out the fire and stood. Behind her, the forest produced a long, low sound from somewhere below the ground — the groan of a very large thing turning over in its sleep. In the thickening rain, Shigure turned back once. Through the dissolving smoke, in the high branches of the old sawtooth oak where nothing ought to have been, something large and barely-there — shaped, loosely, like a bird — was rising into the rain with a long tail of light streaming behind it. The more she looked directly at it, the more it collapsed into mere refraction, mere trick of water and air. So she did not look directly at it. She was considerate that way. "There is no place for you in this world any longer," she said. And somehow — though the words were addressed to a creature of dubious ontological status dissolving into the rain — they came out gently. Not *go away*. More like: *you know where home is. Off you go.* She turned and walked down the wet path without hesitation, without looking back again. In her left fist, curled against her palm, a single fragment of blue-violet moss pulsed with a faint, impossible light. Evidence. Exhibit A. Obtained from a scene that would, by morning, look like nothing had ever happened there at all. Which was, of course, exactly how she liked it. --- ### Episode Two: The Temptation of the Seven-Faced Flower - Episode: 2 - Published: 2026-05-08 - Locale: en > Synopsis: A rain-drenched Hachikokuyama yields a seven-coloured stone. Shigure and young Koko-chan find themselves trapped within a shifting hydrangea labyrinth. ## Episode Two: The Temptation of the Seven-Faced Flower **8th May, 2026** ### Part One Every time Hachikokuyama drinks the rain, it becomes a different mountain. This is not a metaphor. When the soil swells with water, when the trees exhale, when the air thickens to the colour of indigo ink — the mountain quietly connects itself to somewhere else. There is an old word for it: *shichihenge*, the hydrangea's seven transformations. But it is not the flowers that change colour here. It is the mountain, carefully unpicking one more stitch from the seam of the world. "Shigure-san, look! I found a pretty stone!" Koko-chan — third grade, enthusiastic, currently coated in mud to the elbow — held out both palms like someone presenting an offering at a shrine. Sitting in them was a stone the colour and translucency of a hard sweet, cycling through every colour imaginable in a way that neither quartz nor agate has ever managed. It caught the light and did not reflect it so much as bleed it, one hue dissolving into the next. This stone did not belong to the mountain. It did not, technically speaking, belong to the human world at all. Shigure glanced at it and let a very small shadow cross her face — not disgust, but the particular expression of someone whose old memory has just twinged like a bad knee. "Koko-chan. Where did you find that?" "Over there, at the roots of that big hydrangea. It was all sparkly, so — it felt like it was calling me." *Calling.* Koko-chan said it lightly, the way children say things that happen to be completely accurate. Shigure turned. There, where nothing of the sort had existed yesterday, stood a hedge. A hydrangea hedge. It rose until it blocked the sky, and extended left and right without any apparent intention of stopping, a living wall so vast and so deliberate that it could only have been constructed overnight by something with a very specific agenda. With every drop of rain that struck the blossoms, a scent rose — sweet and faintly putrid, like a bouquet left in the vase just a few days too long. "I will give you some advice," Shigure said, with the quiet weight of someone who has given this kind of advice before and watched it be ignored, "and I hope you will take it." "That is not a stone. It is a toll. This mountain produces them to lure the lost inside. Please put it down." The mountain did not wait to see if she would. The stone shifted — from soft blue to a thick, crawling red-violet, like dye dropped in water — and the world rearranged itself without making any sound about it whatsoever. The sawtooth oak grove was gone. The smell of wet earth was replaced by something older and less negotiable. In their place: a corridor. Endless in both directions, walled on either side by hydrangeas taller than a house, quiet as a held breath and roughly as comfortable. The path ahead dissolved into fog before it got around to having a destination. "Oh," said Koko-chan. "The road disappeared." She found the hem of Shigure's coat with two small fingers and held on. Shigure surveyed all four directions with the unhurried calm of someone filling out a checklist, and reached into her coat. The coat produced, as it always did, a silver spoon. It gleamed faintly in the grey light, apparently immune to tarnish by either moisture or supernatural inconvenience. It looked, as always, like it knew something. "Listen to me, Koko-chan." Shigure's voice was a candle in a storm — not loud, not fighting anything, simply and stubbornly present. "Hansel and Gretel used breadcrumbs. In this maze, however, you must not trust colour. What appears to be a path is not necessarily one." ### Part Two The rain intensified, with the specific urgency of a maze that has decided it is running behind schedule and would like to swallow two people before lunch. The maze had opinions. When the flowers in their sightline bloomed blue, the path extended ahead of them. When they shifted to red-violet, a wall appeared where the road had been a moment ago. And orchestrating all of it — breathing quietly in Koko-chan's palm, cheerful and unrepentant — was the seven-coloured stone. *Kichi. Kichi.* There it was again. That sound. The dry-nail-on-brain scraping frequency from the previous chapter, and it had, apparently, brought friends. Multiple directions this time. From beneath the hydrangea leaves, drawing closer with the patient, measured confidence of something that has spotted a target and sees no reason to hurry. "Shigure-san… I feel like there's someone behind us." "Do not turn around." It came out less like a command and more like an incantation, which was probably the right register for the situation. "That something wants your shadow. If you turn around and meet its eyes — your shadow will decide it prefers the other company. And shadows are very difficult to retrieve once they've made up their minds." Shigure stopped walking. She reached out and, with a casualness that suggested she did this regularly, tore a single petal from the nearest hydrangea. She placed it on the silver spoon. She pressed it with the pad of her thumb. The petal burst. Clear liquid scattered across the spoon, and a smell rose immediately — rain and grass and something deep and animal and bitter, the kind of bitterness that knows exactly what it is and is not apologetic. "Alkaloid toxins." A pause. Something in her expression settled, the way a compass needle settles when it finds north. "Of course." "This maze," she said, at the same unhurried pace she might use to observe that it was cloudy, "is a cage of perception. Nothing more. The stone and the hydrangea's toxins are resonating — producing a sustained visual hallucination. The actual terrain has not changed at all. What has changed is what your eyes are choosing to believe they see." From her herb bag — yes, in addition to the coat, there was also an herb bag — she produced a small bottle of clear liquid. *Mokusaku-eki*: wood vinegar, distilled from the smoke of burning timber, acidic enough to have a fairly firm conversation with most things it encountered. She tilted the bottle. One drop fell onto the seven-coloured stone. *Jirii* — a short sound, like a very small creature registering a formal complaint. The colours drained. Seven became six, six became three, red bled away, blue faded, and when it was over, Koko-chan was holding an ordinary white pebble. Just a pebble. A completely unremarkable pebble that had never done anything to anybody. And then — The great hydrangea wall swayed. Like a mirage over summer pavement. Like a story losing confidence in its own ending. It melted. And then, with the quiet dignity of a dream that knows the alarm has gone off, it was simply gone. They were standing in the familiar thicket path. The rain continued, indifferent, as if none of this had been any of its business. "…Shigure-san." Koko-chan's voice had the particular texture of someone who has just returned from somewhere they cannot quite describe. "What was that?" Shigure looked up at the sky for a moment. And then — just slightly, just at one corner — her mouth relaxed. "A brief entertainment. Deep forests become bored sometimes, and when they do, they occasionally choose a child as a playmate." She paused. "Not malice. It simply wanted to play." She said nothing more, and walked on, her pace brisk and entirely unbothered by the wet. Koko-chan looked down at the white pebble in her palm for a long moment. Then she bent and set it gently into the grass at the side of the path. Behind her, all the hydrangeas in earshot tilted their heavy heads at once in the rain — the way you might, if you were very much looking forward to next time. --- ### Episode 3: The Homeward Compass - Episode: 3 - Published: 2026-05-09 - Locale: en > Synopsis: Drift-smoke residue and pathless trails in the shallow strata of Musashino—Shigure’s logic seams the fog’s border. (Draft) --- ### Episode 4: The Border’s Ash - Episode: 4 - Published: 2026-05-10 - Locale: en > Synopsis: Ash along the seam between mountain and town—where a fading boundary tunes another frequency. (Draft) --- ### Episode 5: The Calm of Information - Episode: 5 - Published: 2026-05-11 - Locale: en > Synopsis: A simultaneous global outage—“the calm of information.” A low carrier only Hachikokuyama still hears—Shigure gauges the silence. (Draft) --- ### Episode 6: Protocol of the Ghost Metropolis - Episode: 6 - Published: 2026-05-12 - Locale: en > Synopsis: Afterimages of cities haunt the cloud—under the 2026 Digital Asset Act, lost block keys reflux toward Hachikokuyama. (Draft) --- ### Episode 7: Aplin’s Mirror Image - Episode: 7 - Published: 2026-05-13 - Locale: en > Synopsis: “Another Aplin”—the dread of self-replicating echoes pasting a connoisseur’s pen onto someone else’s face. (Draft) --- ### Episode 8: The Mythos Awakens - Episode: 8 - Published: 2026-05-14 - Locale: en > Synopsis: Anthropic’s constitutional design takes layered form on Hachikokuyama—ritual and law alter the forest’s breath. (Draft) --- ### Episode 9: When the Border Vanishes - Episode: 9 - Published: 2026-05-15 - Locale: en > Synopsis: Under digital-ID glare, shadows dissolve first—nameless dwellers walk again. (Draft) --- ### Episode 10: The Opening of a New Myth - Episode: 10 - Published: 2026-05-16 - Locale: en > Synopsis: Gemini-led generation meets Anthropic’s museion—counterpoint of reduction and emergence on washi. (Draft) --- ## Section: Translated Public-Domain Novel (連載翻訳小説) ### 第1章:横浜港への到着(LETTER I) - Chapter: 1 - Published: 2026-05-24 - Author: Isabella Bird - Series: 日本奥地紀行 > Synopsis: イザベラ・バードによる明治期の日本紀行。第1信、東洋への第一歩と横浜港への到着。 十八日間、途切れることなく「荒涼たる雨の海」を揺られ、「City of Tokio」号は今朝早く、金剛岬(Cape King)の沖に現れた。正午には、もう岸のすぐ近くを進みながら、江戸湾を遡っていた。空は柔らかく灰色を帯び、かすかな青が覗く。日本の海岸は、多くの海岸線よりはずっと好感が持てるが、色も形も、目を見張るような驚きはなかった。切り立った林で覆われた連峰が水際からそびえ、深い渓谷の口には灰色の深い屋根を持つ村が集まり、英国の芝生のような緑に輝く棚田が、暗い山岳林の中へと高く続いていた。沿岸の人口の多さは実に印象的で、湾中はどこも漁船で埋め尽くされていた。五時間の間、何百隻というより何千隻という舟を通り過ぎたのである。海岸も海も淡い色で、船もまた淡かった。船体は塗装されておらず素木、帆は真っ白な帆布である。ときおり、幽霊のようなガレー船のごとく、高い船尾を持つジャンクが流れ、白い四角い帆の三角帆漁船の群れを根絶やしにしかねない速度を落として通り過ぎる——そうして、灰色と静けさの中を、一時間また一時間と過ぎていった。  長い間、富士山を探し続けたが見つからなかった。甲板中から感嘆の声が聞こえても、私には見えなかった。ところが、偶然、地を見るのではなく天を仰いだとき、海抜一万三千八十フィート、あり得ないほどの高さの、純白の切頭円錐が目に入った。壮大な曲線を描いて海からそびえ、非常に淡い青空を背景に、非常に青白く立っていた。山麓とその間の国土は、淡い灰色の霧に包まれていた。{2} それは驚くべき幻影であった。やがて、幻影として消え去った。トリスタン・ダ・クーニャの円錐——こちらも雪の円錐——を除けば、これほど孤独な威厳をもって、近くにも遠くにもその高さと壮大さを損なうものなく聳える山は、見たことがない。日本人が崇める霊峰であり、彼らの芸術が倦むことなく描き出す、愛される山であるのも無理はない。最初に見えたとき、私たちからはほぼ五十マイルも離れていた。  空気も水も動かず、霧は静かで淡く、青みがかった空には灰色の雲が安らかに横たわり、漁船の白い帆の倒影はほとんど揺れもしなかった。すべてがこんなにも淡く、青白く、幽けかった。後方に残す波沫の乱れと、騒々しく脈打つ船の進行は、眠るアジアへの乱暴な侵入のように思われた。  湾は狭まり、林冠の連峰、段々の渓谷、絵画的な灰色の村、静かな浜辺の生活、そして内陸の淡い青い山塊が、よりはっきりと見えてきた。富士は、夏の大半をその中で壮大さを包み隠す霧の中へ退いた。迎賓湾、ペリー島、ウェブスター島、サラトガ岬、ミシシッピ湾——アメリカ外交の成功を永く記す、アメリカ式の地名——を通り過ぎ、条約岬(Treaty Point)の近くで、船体に大きく「Treaty Point」と書かれた赤い灯船に出会った。※訳注:ペリー来航(1853年)以降、横浜周辺の地名には欧米側の呼称が多く残る。条約岬の外側には、外国船は錨を下ろせない。  帰国を待ちわびる同乗者たち——多くは帰郷する者、皆友人に迎えられることを期待していた——の騒ぎの中、私は余暇を持て余していた。目の前に広がる、見慣れぬ横浜と淡い灰色の国土を見ながら、この見知らぬ岸辺での自分の運命を、幾分物悲しく思案していた。知人すら一人いないのである。  停泊すると、たちまち「サンパン」と外国人に呼ばれる和船の群れに取り囲まれた。ハワイの友人の近親であるグリック博士が、娘を迎えに来てくれ、私にも温かく挨拶し、上陸の煩わしさをすべて引き受けてくれた。サンパンは見た目こそ不器用だが、船頭たちの手際は実に巧みである。互いに何度もぶつかり合いながらも、競争の船頭にありがちな怒号や悪態はなく、好意的に接してくれた。  この舟の、部分的に三角に近い形は、英国の特定の河川で使われるサケ漁師のパントに似ている。床板を敷くため、底がまったく平らに見える。傾きやすいが、木製の栓と数個の銅製クリートで驚くほど精密に組み合わされており、非常に安全である。漕ぎ方は、我々のいう「漕ぎ」ではなく「スカリング」——立ったまま、非常に重い、二枚の木を継いだオールを、舷外の棒に取り付けたピンを支点に使う。太ももをオールの支えにする。彼らは皆、腰に留めもせず、幅広の袖を持つ青い綿の一着だけを身に着け、藁草の草履を履き、頭に何かを被るなら、額に青い綿の布を巻くだけである。その一着は服の名に足るだけのものではなく、痩せた凹んだ胸と筋肉質な四肢をあらわにしている。肌は非常に黄みがかっており、神話上の獣の刺青をしている者も多い。サンパンの料金は定められているので、旅行者は法外な要求に心を乱されることなく上陸できる。  上陸して最初に印象づけられたのは、遊び人がいないこと、そして通りにいた小柄で醜くも愛想のよい、しわくちゃで、O脚気味で、丸肩で、胸が凹んだ、貧しげな人々が、皆自分の用を足していたことである。桟橋の上には、可搬式の料理屋があった。炭火のコンロ、調理具、食器が揃った、整然として非常にコンパクトなものだが、人形のために作られたかのようで、店を守る小人は五フィートにも満たなかった。税関では、青い欧米式の制服と皮靴を履いた小柄な役人が対応してくれた。非常に丁寧な人々で、トランクを丁寧に開け調べ、また結び直してくれた。ニューヨークで同じ職務を果たす、横柄で強欲な役人たちとは対照的に、実に快い経験であった。  外には、今やよく知られる人力車——「ジンリキシャ」——が五十台ほど並び、空気はこの不慣れな語を五十の舌が素早く繰り返すざわめきで満ちていた。※訳注:人力車は当時の新しもので、バードが書いた「ジンティキシャ」は当時の横浜外国人社会での俗称である。正式には「ジンリキシャ(人力車)」、車体のことを「クルマ」とも呼ぶ。この交通手段は日本の特色となり、日に日に重要性を増していた。わずか七年前に発明されたばかりなのに、一都市だけで二万三千台近くあり、ほとんどの熟練労働より稼げるため、何千もの若い男が農業を捨て、町へ群がって自らを牽引獣にしている。しかし、走り始めてからの平均寿命は五年と言われ、心臓や肺の重い病に倒れる者が多いともいう。比較的平坦な道なら、よい走者は時速四マイルほどで一日四十マイルを小走りに進める。登録され、二人乗りは年間八シリング、一人乗りは四シリングの税がかかり、時間と距離には定められた運賃表がある。  クルマ、すなわち人力車は、軽い乳母車型の車体、調節可能な油紙の幌、ビロードや布の裏張りとクッション、座席下の荷物入れ、高く細い二輪、先端を横木でつないだ一対の shafts からなる。車体は通常、所有者の好みで漆塗りや装飾が施される。磨かれた真鍮だけを見せるもの、ヴィーナスの耳と呼ばれる貝の象嵌で全体を覆ったもの、ねじれた龍や牡丹、紫陽花、菊、神話上の人物の群像を派手に描いたものがある。価格は二ポンドから。担ぎ棒は急な角度で地面に接しているので、乗り込むには相当の練習が必要——優雅に、または威厳を保って乗るには——走者が持ち上げ、中に入り、車体を大きく後傾させ、軽快な小走りで出発する。一人、二人、または三人の走者が、乗客の望む速度に応じて引く。雨が降り出すと、走者は幌を立て、油紙の覆いで乗客とともにきつく包み込むので、外からは姿が見えない。夜は、走っていようと止まっていようと、直径十八インチの、美しく描かれた円形の提灯を掲げる。太った、血色のよい、どっしりした商人、男女の宣教師、最新流行の服に身を包み名刺入れを携えた婦人、武装したコンパドール、そして日本の農民男女が、メイン・ストリート——英国の忘れ去られた田舎町の、十数か所に見られるような、まともで品のあるハイ・ストリート——を、自分の滑稽な姿などまったく気にせず飛ぶように走る。追いかけ合い、交差し、大きな逆さ椀型の帽子、理解しがたい青いタイツ、白い文字や紋章の入った短い青い上着を着た、痩せた礼儀正しく愛想のよい走者たちが、黄い顔を汗で流し、笑い、叫び、寸前のところで衝突を避ける——実に滑稽な光景である。  領事館を訪ねた後、私は人力車に乗り、二人の婦人もそれぞれ別の車に乗り、笑う小柄な走者に猛スピードでメイン・ストリートを走らされた。道は狭く、しっかり舗装され、歩道、縁石、側溝が整備され、鉄製の街灯柱、ガス灯、外国店がずらりと並ぶ——サー・ウィヴィル・トムソンが勧めてくれたこの静かなホテルへ向かった。ここは、バンド※訳注:当時の横浜居留地の海沿いの通り。のキャラバンサライへ向かった同船の乗客たち——鼻声の連中——から逃れられる場所である。主人はフランス人だが、中国人に頼っている。召使は和服の日本人「ボーイ」、そして完璧な英国式の服装をした、日本の「室長」がおり、その丁寧さの念入りさに、私は完全に圧倒されている。  着いて間もなく、私はフレイザー氏の事務所を探しに行かねばならなかった。「探す」と言ったのは、通りに名札がなく、番地があっても順序がなく、困ったときに助けてくれそうな、歩いている欧米人にも会わなかったからである。横浜は、詳しくなるほど印象は良くならない。生きているようで死んでいるような顔をしている。絵になる不規則さもなく、灰色の空、灰色の海、灰色の家、灰色の屋根が、調和して退屈に見える。日本ではメキシコドル以外の外国貨は通用せず、フレイザー氏のコンパドールは、私の英国金貨をすぐに日本の「札」——紙幣——に替えてくれた。今はドルとほぼ同値の一円札の束、五十銭・二十銭・十銭の束、そして整然とした銅貨の巻きもいくつか。※訳注:明治期の通貨制度。一円(yen)、銭(sen)の紙幣・硬貨が整備されつつあった時代である。詳しい人は色と大きさで額面を見分けるが、今の私には紛らわしい謎である。紙幣は堅い紙片で、四隅に漢字があり、その近くに——例外的に良い目か拡大鏡があれば——額面を示す英語の語が見える。非常に精巧に印刷され、御所の菊紋と帝国の双龍が装飾されている。  本当の日本へ、早く出たい。昨日、英国代理領事のウィルキンソン氏が訪ねてきて、非常に親切にしてくれた。彼は、内陸旅行の私の計画はやや野心的すぎるかもしれないが、婦人が一人で旅をするのは完全に安全だと考え、誰もが言うように、蚤の大群とみすぼらしい馬こそが日本旅行の大きな難点だと同意してくれた。  ——イザベラ・L・バード --- ### 第2章:パークス卿夫妻と、大使の人力車(LETTER II) - Chapter: 2 - Published: 2026-05-24 - Author: Isabella Bird - Series: 日本奥地紀行 > Synopsis: イザベラ・バードによる明治期の日本紀行。第2信、横浜滞在二日目——新たな知人、使い探し、そしてパークス公使夫妻との出会い。 今日は、新しい知人を作り、使いと馬を探し始め、多くの人から助けを申し出られ、質問を重ねるうちに、人によってまったく矛盾した答えを受け取る、そんな一日を過ごした。ここでは時間が早い。正午前に十三人もの訪問者があった。婦人たちは小さなポニー車に自ら乗り、走る馬丁——「べっと(betto)」——を従えて町中を駆け回している。※訳注:べっとは、当時の日本で馬や人力車の側に走り添う従者のこと。外国商館の主人たちは、戸口に常に人力車を控えさせ、気乗りのしない、気まぐれで扱いの難しい日本のポニーより、従順で利口な苦力のほうがずっと使い勝手がよいとしている。殊更使節特命全権公使※訳注:当時の英国駐日公使、ハリー・パークス卿(Sir Harry Parkes, 1828–1885)。北京条約交渉や明治初年の対日外交で知られる。——でさえ、そのような下々の交通具を厭わない。今日、私はそれを目にした。  最後の訪問者は、パークス卿夫妻であった。二人は部屋に陽気さと親切心を持ち込み、去った後もその余韻を残した。パークス卿は、中年とも思えない若々しい方で、すらりとして活発、金髪碧眼、まさにサクソン人の典型。陽の光のような髪と笑顔、陽気で愛想のよい物腰で、東洋での三十年の奉公、北京の獄中での苦難、日本での数々の暗殺未遂——そのすべてを、容姿にはまったく滲ませていない。※訳注:パークスは第二次アヘン戦争(1856–60)の際、北京で捕囚された経験があり、公使就任後も志士による襲撃を免れなかった。卿夫妻は実に親切で、内陸旅行という私の大それた計画を心から励ましてくれた。使いが見つかり次第、出発しようと思う。お帰りになるとき、二人は人力車に飛び乗り、苦力二頭立ての乳母車に乗った英国代表が、通りを急ぎ足で駆け下りていく——実に面白い光景であった。  窓の外を見ると、二人が引き、二人が押す重い二輪の荷車が行き交っている。建築用の石材をはじめ、ほとんどすべての荷物は、こうした車に載せて運ばれる。引く二人は、太い担ぎ棒の先端にある横木に、手と太ももを押し当て、押す二人は後方に突き出た梁に肩を入れる。坂道では、剃り上げた厚い頭頂を原動力として使う。彼らの掛け声は、印象的で、どこか物悲しい。「ハ・フイダ、ホ・フイダ、ワ・ホ、ハ・フイダ」——そんな低く喉を使った唸り声を、絶えず上げている。  信じられないほどの重荷を引きながら、息が呻き、あえぎになるほどの労苦でも足りないかのように、彼らは休む間もなく叫び続ける。  ——イザベラ・L・バード --- ### 第3章:鉄道で東京へ——江戸の平原と英国公使館(LETTER III) - Chapter: 3 - Published: 2026-05-24 - Author: Isabella Bird - Series: 日本奥地紀行 > Synopsis: イザベラ・バードによる明治期の日本紀行。第3信、横浜・東京間の鉄道旅行、江戸平野の風景、そして英国公使館での滞在。 手紙の日付は、英国公使館の慣例に従い「江戸(Yedo)」とした。しかし世間では、新しい名「東京(Tôkiyô)」——東の都——が使われている。かつて帝がお住まいだった京都は「西京(Saikiô)」と名を改めたが、今や都としての資格などない。※訳注:明治八年(1875)時点の呼称の混在を、バードはそのまま記している。江戸は旧体制と幕府の時代、東京は新体制と維新——その十年の歴史——に属する。鉄道で「江戸」へ向かうのは不釣り合いに思えるが、行先が「東京」なら、まったく当然のことのように思える。  両都市間の旅は、優れた舗装の複線鉄道——全長十八マイル、鉄橋、整った駅舎、広々とした終着駅を備え、英国の技師が建設し、費用は政府のみぞ知る、一八七二年に帝が開業を行なった——によって、一時間で済む。横浜駅は、立派でふさわしい石造りの建物で、広いアプローチ、我々と同じ方式の切符売場、各等級用の広い待合室——ただし下駄を考慮してカーペットは敷かれていない——日刊紙も置いてある。荷物の計量とラベル付けの係、両終着駅の広い石造りの上屋付きプラットフォームには、改札口のある障壁があり、特別の許可がなければ切符のない者は通れない。切符売りは中国人、車掌と機関士は英国人で、それ以外の職員は洋服を着た日本人である。駅の外にはタクシーの代わりに人力車があり、人も荷物も運ぶ。手荷物だけが無料で、それ以外は計量され番号が付けられ、料金が取られ、到着地で提示する番号札が渡される。運賃は——三等が一「分(ichibu)」、約一シリング;二等が六十銭、約二シリング四ペンス;一等が一円、約三シリング八ペンス。旅の終わり、乗客が改札を通る際に切符が回収される。英国製の客車は、我々のものと異なり、側面に座席が並び、両端のプラットフォームからドアが開く。全体として、設備は英国式というより大陸式に近い。一等車は深くクッションされた赤いモロッコ革の座席で高価に仕立てられているが、乗客はほとんどおらず、上質な畳敷きの快適な二等席も、ごく少数しか使われていない。しかし三等車は日本人で満員で、彼らは人力車と同様に、すぐに鉄道にも馴染んだ。この路線は年間約八百万ドルの収入を上げている。  日本人は洋服を着ると、実に小さく見える。一着一着が似合っておらず、貧弱な体格と、国民的な欠点である凹んだ胸とO脚を強調してしまう。肌の「血色」と顔の毛がないため、男の年齢を見当つけるのはほぼ不可能である。私は鉄道の職員が皆十七、十八の少年だと思っていたが、実際は二十五から四十歳の男たちだった。  英国の六月のような、しかしより暑い、美しい日であった。桜(サクラ)とその類縁の花——日本の春の誇り——は散り終えていたが、すべてが若々しい新緑で、成長と繁茂の美しさの最中にあった。横浜の近郊は、切り立った林の丘陵と小さな絵画的な渓谷で美しい。しかし神奈川を過ぎると、鉄道は江戸の広大な平野に入る。南北九十マイルとも言われ、北と西の境界には高い青い山々が青い霞の中に夢のように浮かび、東岸では何マイルも続いて、江戸湾の澄んだ青い波頭が——いつも、あの日のように——無数の漁船の白い帆に明るく彩られていた。この肥沃で実り豊かな平野には、百万の住民を擁する首都だけでなく、人口の多い都市が数えきれず、何百もの繁栄する農村がある。鉄道から見える土地の一寸一寸が、最も丁寧な鍬仕事で耕され、多くは稲作のために灌漑されている。小川が豊かに流れ、灰色の木造家屋と灰色の茅葺、奇妙に曲がった屋根の灰色の寺が、景観に厚く散らばっている。すべてが故郷のように、住みよく、可愛らしく、勤勉な民族の国である。雑草一本見当たらない。しかし、最初の一瞥では、どこにでもいる群衆を除けば、目を引く特徴や特異さはあまりない。  切符は「東京」ではなく、首都に成長しつつある数多の村のうち、品川(Shinagawa)か新橋(Shinbashi)行きを取る。江戸は、品川に着くまでほとんど見えない。煙も長い煙突もなく、寺社や公共建築もめったに高くない。前者はしばしば茂った木々の中に隠れ、普通の家屋も二十フィートに達することは少ない。右側には、要塞化された島々のある青い海、堅固な擁壁のある庭園、入江に停泊する何百隻もの漁船、浜辺に引き上げられた舟。左側には、人力車が両方向に急ぐ広い道、低い灰色の家並み——ほとんどが茶屋と店——。「江戸はどこ?」と尋ねているうちに、列車は終着駅、新橋の鉄道駅に止まり、二百人の日本人乗客を吐き出した。四百足の下駄の合奏した音——私にとっては新しい音である。下駄は身長を三インチ加えるが、それでも男は五フィート七インチに達する者は少なく、女は五フィート二インチに達する者も少ない。しかし民族衣装ではずっと幅広く見え、体形の欠点も隠される。こんなにも痩せ、黄みがかり、醜くも、それでいて愛想よく見え、色も効果も乏しく;女はとても小さく、歩き方もよろよろ;子供は堅苦しく見え、大人の尊大な戯れのよう——すべて、盆、扇、急須に描かれた絵とそっくりで、以前から見たことがあるような気がする。女の髪は顔からすべて後ろに梳かされ、銀輪に結う。男は、頭の前部を剃って後ろ髪を剃り上げた部分の上に前に流す、あの独特の結い髪にしないときは、粗い髪を約三インチの長さで、割れ目のない反抗的な房にしている。  公使館の従者、デイヴィスが迎えに来た——一八六八年三月、パークス卿が帝への最初の謁見のため京都の通りを進む途中、襲撃を受けた際、護衛の一人として負傷した人物である。※訳注:幕末・維新期の「公使襲撃」事件の一つ。駅の外には何百台もの人力車と、四輪の覆い付き荷車——東京の特定の区のオムニバス——が待っていた。一匹のみすぼらしい馬に引かれる。私のための英国式ブローアムと、走るべっとがあった。公使館は麹町(Kôjimachi)にあり、歴史的「江戸城」の内堀より高い地に建つ。しかしそこへ向かう途中、何を見たかと言えば——数マイルにわたる暗く静かな、兵舎のような建物、非常に装飾的な門、長い出窓の列と葦のすだれ——江戸の大名屋敷——数マイルの堀、高い土手や五十フィートの石積みの壁、角の望楼のような塔、奇妙な屋根付きの門、多くの橋、何エーカーもの蓮の葉、くらいである。内堀に沿って急な坂を上ると、右には深い緑の水、将軍の御所を囲んだ針葉樹の枝が垂れ込める、陰鬱な壁の上の大土手。左には「屋敷(yashiki)」——大名の邸宅——と呼ばれたものがいくつか。今やこの一帯では、ほとんどが病院、兵舎、官庁に転用されている。高台で最も目立つのは、大きな赤い門の屋敷——今はフランス軍事顧問団の駐在所、かつては井伊掃部頭の邸宅——である。近世史の大立役者の一人で、城の桜田門の外、それほど遠くない場所で暗殺された。※訳注:安政の大獄で知られる井伊直弼(1815–1860)。これらのほか、兵舎、練兵場、警察、人力車、苦力が引き押す荷車、藁草の蹄袋を履いた馳走馬、欧米式の軍服を着た、小柄でだらしない兵士——新橋から公使館まで、私が見た東京は、こういうものでできていた。  英国公使館は好位置にあり、外務省、いくつかの政府部局、大臣たちの邸宅——主に英国郊外のヴィラ風のレンガ造り——の近くにある。敷地内には、王室の紋章のあるレンガのアーチ門を入口とし、公使の邸宅、事務局、公使館書記官二人分の家屋、護衛の宿舎がある。  英国の家であり、英国の家庭である。年老いた乳母を除けば、英国人の召使はいない。執事と従者は、長い辮を垂らし、黒いサテンの帽子と長い青い着物を着た、背の高い中国人。料理人も中国人で、その他の召使はすべて日本人。女性召使一人——背丈四フィート五インチほどの、甘く、穏やかで、親切な娘——は、首席「ハウスメイド」の妻である。召使は誰も、最も苛立たしい「ピジン英語」しか話さないが、口数の少なさは、待機室付近にほとんど離れず、来客帳とすべての伝言・手紙を引き受ける従者の知恵と奉仕で、十分に補われている。六歳と七歳の、本物の英国の子供が二人おり、育児室と庭の範囲内で見つかる無邪気な楽しみを、大いに享受する資質を持っている。家のもう一人の住人は、「ラグス」と呼ばれる、美しく愛らしいテリア——スカイー・テリア——である。家族の中では心を開くが、ふだんは、主人ではなく自分こそが大英帝国の威厳を代表しているかのように、厳格な物腰を崩さない。  公使館の日本人書記官は、アーネスト・サトウ氏である。彼の学識——特に史学の分野——は、日本人自身の言うところでは日本で最高だと言われている{14}——英国人にとって名誉なことであり、十五年の不断の勤勉によって勝ち取ったものである。※訳注:サトウ・エルネスト(1861–1929)。後の駐日公使。英国外務省の学識は、サトウ氏だけのものではない。領事サービスの数名の紳士が、通訳生徒の各階級を経て、口語日本語の堪能さだけでなく、日本史、神話、考古学、文学の各分野での研究でも名を上げている。実のところ、新世代の日本人が、古い文献の知識だけでなく、十九世紀前半の風俗まで生き残らせることに、彼らの労苦と、少数の他の英国人・ドイツ人の労苦に負うところが大きいのである。  ——イザベラ・L・バード --- ### 第4章:通訳兼従者伊東との契約(LETTER IV) - Chapter: 4 - Published: 2026-05-24 - Author: Isabella Bird - Series: 日本奥地紀行 > Synopsis: イザベラ・バードによる明治期の日本紀行。第4信、横浜での使い探し、通訳兼従者・伊東との厳粛な契約、そして旅の食事問題。 一週間、横浜のブラフ(Bluff)※訳注:横浜居留地の高台地区。に住むヘプバーン博士夫妻を訪ねるため、横浜へ出向いた。香港からのバードン主教夫妻も同席の客で、実に愉快な時間を過ごした。  横浜に一日でもいれば、小柄で薄着、たいてい貧相に見える日本人とはまったく異なる、別種の東洋人を目にすることになる。日本在住の中国人は二千五百人、そのうち千一百人以上が横浜に住み、彼らが突然消え去れば、商業はたちまち停止するだろう。ここでも、他のどこでも同様、中国人移民は不可欠な存在になりつつある。彼らは、まるで支配民族の一員であるかのように、大股で街を歩き、完全な自己満足の様子を漂わせている。背が高く、体も大きい。重ね着の多くの衣類の上に、美しい錦の袍を羽織り、足首でぴったりと締まったサテンのパンツ——あまり見えない——、つま先がわずかに反った黒サテンの高靴を履いているので、実際以上に背高く、大きく見える。頭はほとんど剃られているが、後ろの髪は黒い糸で編み込まれ、膝まで届く辮(べん)となっている。その上、後方にずらして、黒サテンの硬い頭巾を被っている——これなしでは決して姿を見せない。顔は非常に黄みがかり、細長い黒い目と眉はこめかみに向かって上がり、髭の気配は皆無で、肌は光っている。見るからに「裕福」である。不快感はないが、天朝の人として、あなたを見下しているような気がする。商人の事務所で質問をしたり、金を「札(satsu)」に替えたり、鉄道や汽船の切符を取ったり、店で釣銭を受け取ったりするとき、避けて通れない中国人が現れる。街では目的を持った顔で、あなたの横を大股で通り過ぎる。人力車で飛ぶように走るときも、商売に没頭している。酒を飲まず、信頼でき、雇い主を盗むより「搾取(squeeze)」※訳注:当時の在住外国人社会で使われた語。下請けや仲介者が差額を取る慣行。することに満足している——人生唯一の目的は金である。そのために勤勉で、忠実で、自己犠牲的であり、報いも得ている。  親切な新知の数人が、(私にとって)生死に関わる通訳兼従者の件に関心を持ち、多くの日本人が「その職を見に」来た。分かる英語を話すことは絶対条件であり、候補者たちが十分な資格と見なしていた、わずか数語の、ひどい発音で、さらにひどくつながれた英語を見つけるのは驚くべきことだった。「英語が話せますか?」「はい。」「給料はいくらですか?」「月十二ドル。」これはいつも流暢に言われ、どの場合も希望が持てた。「どなたのお宅に仕えていましたか?」当然のことながら、認識不能に歪んだ外国人の名前が答えられた。「どこを旅行しましたか?」この質問はたいてい日本語に訳す必要があり、定型的な答えは「東海道、中山道、京都へ、日光へ」——無数の観光客が踏み固めた道——であった。「北日本や北海道について知っていますか?」「いいえ。」と、空白の、不思議そうな顔で。ここまで来ると、いつもヘプバーン博士が憐れみ深く通訳に入ってくれた。彼らの英語の蓄えは尽きていたからである。三人が有望と見なされた。  一人目は、明るい色のツイードのよくできた洋服、折りたたまれたカラー、ダイヤ(?)のピン付きネクタイ、硬くスターチをかけすぎて、欧米式の深いお辞儀をするにも、腰を十分に曲げられないほどの白シャツを着た、活発な青年であった。金の時計鎖とロケット、胸ポケットから白いカンブリックのハンカチの角が覗き、杖とフェルト帽を手にしていた。まさに第一級の紈褲子弟(ダンディ)である。私は彼を嘆息しながら見た。私にとって、スターチのカラーは今後三か月、未知の贅沢となる。彼の立派な洋服は内陸のどこでも値段を押し上げ、それに加えて、繊細な人物に下仕事を頼むことへの永続的な抵抗感がある。だから、二問目で英語が破綻したとき、実にほっとした。  二人目は、立派な和服を着た、三十五歳ほどの、実に寛容そうな見た目の男であった。強く推薦され、最初の英語の言葉は有望だったが、彼は大勢の従者を連れて旅する裕福な英国人役人のもとで料理人をしていた。前もって従者を送り、道を整えさせていた。本当に知っている英語はほんの数語だけで、「主人がいない」こと、女中もいないことを知って、彼の恐怖は非常に大きかった。彼が私を断ったのか、私が彼を断ったのか、今でもはっきりしない。  三人目は、ウィルキンソン氏から紹介された。質素な和服を着て、率直で聡明そうな顔をしていた。ヘプバーン博士が日本語で話しかけたが、彼は他の者より英語を多く知っていると思われ、落ち着けば出てくるだろうと考えた。私の言うことは明らかに理解しており、彼が「主人」になってしまうのではないかという疑いはあったが、それほど好感が持てたので、ほとんどその場で雇うところだった。他の者は、特に述べるに値しない。  しかし、彼に賛成してほとんど決心したとき、推薦状などまったくないが、ヘプバーン博士の従者の一人が知っているというだけの人物が現れた。彼は十八歳に過ぎないが、これは我々にとっての二十三、二十四歳に相当し、身長は四フィート十インチにしかない。しかし、O脚ではあるが、均整が取れ、強そうに見える。丸く、異様に無味乾燥な顔、よい歯、非常に細長い目、まぶたの重い垂れ下がりが、定型的な日本人の特徴をほとんど戯画化している。私が見た日本人の中で、最も間の抜けた顔をした人物である。しかし、時折目に走る素早く、盗み見るような一瞥から、無感動は一部は装われているのではないかと思う。彼はアメリカ公使館に仕えていた、大阪鉄道の事務員だった、東路で北日本を旅し、イエス(Yezo)※訳注:当時の北海道の呼称。で植物採集家のマリーズ氏と同行した、植物の乾燥を理解している、少し料理ができる、英語が書ける、一日二十五マイル歩ける、内陸旅行の手続きを完璧に理解している——と言った。この自称完璧者には推薦状がなく、父の家の最近の火事で焼けたと説明した。マリーズ氏は出てこず、それに加え、私はこの少年を疑い、嫌悪した。しかし、彼は私の英語を理解し、私も彼のを理解した。旅を始めたいという切実な気持ちから、月十二ドルで雇い、すぐに契約書を持って戻ってきた。その文書では、彼は最も神聖なものすべてにかけて、合意した賃金で忠実に仕えると宣言し、この文書に印を押し、私は署名した。翌日、一か月分の前払いを求めてきたので渡したが、H. 博士は慰めのように、「もう二度と会えないだろう」と言った。  契約が調印された厳粛な夜以来、私は重荷を背負ったような気がしており、昨日、約束の時間に正確に現れた以来、まさに肩に「海の老人(old man of the sea)」※訳注:シンドバッドの航海に登場する、背中から降りない怪物の比喩。を背負っているかのように感じている。彼は猫のように音もなく階段を駆け上がり、廊下を走り回り、もう私の物の置き場所をすべて知っている。何も驚かせず、当惑させもしない。ハリー卿とパークス夫人に出会うと深くお辞儀をするが、公使館では明らかに「まるで自宅のように」落ち着いており、メキシコ鞍と英国式の手綱の付け方を衛兵の一人に見せてもらったのは、私の望みへの配慮だけである。彼は実に機敏、すなわち「利口」な限りであり、旅の最初の三日分はすでに手配済みである。彼の名は伊東(Ito)であり、今後三か月、私の善玉または悪玉の守護神となるので、 疑いなく、彼のことはもっと聞くことになるだろう。  まだ英人の婦人が内陸を単独で旅した例がないため、私の計画は友人の間で実に親切な関心を呼び、多くの警告と諌め、そして少しの励ましを受ける。最も強く、かつ聡明な諌めはヘプバーン博士から来る。彼は、私がこの旅を引き受けるべきではない、津軽海峡まで到達できないだろうと考えている。与えられた助言の多く——缶詰の肉やスープ、クラレット、日本の女中——を受け入れれば、少なくとも六頭の馱馬の列が必要になる! 蚤(のみ)については、嘆かわしい一致した見解があり、夏の日本旅行の呪いであると言われ、寝袋を喉元までぴったり引き締める者、寝具に虫除け粉を自由に振りかける者、カーボール油で全身を塗る者、乾燥させたのみ退治草の粉末をたっぷり使う者がいる。しかし、これらは弱い対症療法に過ぎないと、すべて認めている。残念ながら、日本の家ではハンモックは使えない。  「食事問題(Food Question)」は、すべての旅行者にとって最も重要な問題だと言われ、驚くほどの真剣さをもって絶えず議論される——私の旅だけに限らず。他の話題では無関心な人々も、この一つだけは触れられると関心を持つ。すべて苦しんだか、苦しむかもしれず、誰もが自分の経験を語りたい、または他人のから学びたい。外国公使、教授、宣教師、商人——すべてが相応の厳粛さをもって、生死の問題として——多くの人にそう思われている——議論する。事実は、外国人向けに整えられた人気のリゾート地の少数のホテルを除けば、パン、バター、牛乳、肉、家禽、コーヒー、ワイン、ビールは手に入らず、新鮮な魚も稀であり、米、茶、卵、そして時折味気のない生野菜だけで生きられなければ、食料は持参しなければならない。魚臭く野菜っぽい忌まわしいものとして知られる「日本食」は、少数しか飲み込みも消化もできず、それも長い練習の後である。{19}  もう一つ、はるかに劣るが強調される困難は、土人の従者が道中のあらゆる金銭取引から「搾取」を得る慣行にあり、旅費はしばしば倍になり、時には三倍になる——従者の手腕と能力による——ということである。広く旅した三人の紳士が、地方によって異なり、観光客の踏み固めた道では大幅に増える、支払うべき価格のリストをくれた。ウィルキンソン氏はこれを伊東に読み上げ、彼は時折異議を唱えた。W. 氏は日本語の会話の後、金銭の件については「目を光らせ」なければならないだろうと述べた——つらい見通しである。私は生涯、誰かを管理できたことがなく、きっとこの利口で狡猾な日本の青年には統制できないだろう。彼はほとんどの点について、好むように欺くことができる。  ここに戻ると、パークス夫人が必要な準備の大部分を済ませてくれていた。油紙の覆い付きの軽い籠二つ、旅行用の寝台またはストレッチャー、折りたたみ椅子、ゴム製の浴槽——体調の弱い人がこれほど長期の旅に出るには必需品だと彼女が考えるもの——が含まれていた。この一週間は、東京で知人を作り、いくつかの特色ある見物をし、旅について手がかりを得ようとするのに費やした。しかし、外国人は北日本についてほとんど知らず、政府の部局に問い合わせたところ、夢みているルートの百四十マイルを「情報不足」を理由に省いた行程表が返ってきた。ハリー卿は陽気に「情報は行きながら得ることになる。それがいっそう面白いだ」と述べた。ああ、しかしどうやって? ——イザベラ・L・バード --- ### 第5章:浅草観音——仏堂と永遠の祭(LETTER V) - Chapter: 5 - Published: 2026-05-24 - Author: Isabella Bird - Series: 日本奥地紀行 > Synopsis: イザベラ・バードによる明治期の日本紀行。第5信、浅草観音堂の参詣、仏教寺院の様式、そして新旧日本の対比。 一度に限り、仏教寺院の様子を述べよう。それは浅草の観音堂——年中、祭と見世が絶えず、千手の観音菩薩、すなわち慈悲の女神に奉納された、民衆に最も親しまれる寺院——とする。  概して言えば、設計、屋根、全体の様子において、日本の仏教寺院は皆同じである。聖なる建築の理念は、ほとんど常に同じ形で表われる。一重または二重の屋根を持つ山門があり、両側の龕には彩色された像が安置されている。石灯籠の多寡はあるが舗装された寺院の庭がある。石の台座の上に石造の狛犬——天狗(あまいぬ)——がある。聖水のための石棺、屋根付きもあれば無蓋もある。一段の石段、柱廊、そして寺院の周囲を巡る縁側、異様な曲線を描く、実に不相応な大きさと重さの屋根、欄干で区切られた方形または長方形の本堂と、高壇・低壇および本尊を安置した厨子を備えた「聖所」、香炉、そして数点の宗教用装飾——これが基本である。像、神々、装飾品は、寺院の属する宗派、信徒の富、または僧侶の好みによって異なる。神々、厨子、幟、銅像、真鍮製品、額、装飾品でぎっしり詰まった寺院もあれば、門徒宗の寺院のように、ほとんど改修を加えずとも明日からキリスト教の礼拝に使えるほど厳粛に簡素なものもある。  基礎は、柱脚が載る方形の石から成る。柱はニレ材で、一定間隔を置いて縦材で結ばれる。屋根の巨大さと途方もない重さは、上方へ向かって次第に小さくなる方形の枠組みを重ねて組み上げる桁構造に由来する。主要な梁は、加工をほとんど施さない大木をそのまま用いる。屋根は、非常に厚く装飾的な瓦葺きか、金で飾った銅板葺き、あるいは一から三フィートの厚さで、上質な木片または樹皮で葺かれる。外壁の覆いは、通常、厚いニレの板張りで、漆塗りのものもあれば無塗装のものもある。内壁は、ヒノキ(Retinospora obtusa)の美しい材を、薄く精巧に削り、面取りして張る。天井裏は平らな板張りで、柱で支えられる場合、柱は常に円柱であり、ヒノキの真っ直ぐで細かい目の幹から成る。軒下に突き出た梁端は、精巧に彫刻されるか、渋い朱色の漆で塗られるか、梁の継ぎ目と同様に銅で覆われる。釘はほとんど用いず、ほどの良いほぞと鳥の尾継ぎで、見事に接合される。他の接合法は知られていない。  チェンバレン氏と私は、公使館から浅草まで三マイルの混雑した通りを、制服を着た三人の走者に急がせてクルマで向かった。浅草はかつての村だが、今やこの巨大な都市に編入されている。吾妻橋(Adzuma Bridge)へ続く広い通りへ入る。吾妻橋は隅田川(Sumida)に架かる、東京(Tôkiyô)に数少ない石橋の一つで、運河、倉庫、材木置場、下級の屋敷(やしき)の多い、乏しい印象の東東京を、都市の残りの部分と結ぶ。この通りは、歩行者とクルマで驚くほど混み合い、市内の「停留所線」の終点でもある。中央には、さらにみすぼらしく見える覆い付き荷車が二十台、哀れな小馬に引かれて、乗客を待っていた。人気の参詣地の近くには、常に娯楽の場——清らかなものも、堕落したものも——が集まる。浅草観音の周辺も、料理店、茶屋、小劇場、踊り子や芸者の遊郭で満ちている。ここには、本物の東京の生活が十分に見られる。  この通りから、徒歩のみが通行できる広い舗装された参道が、壮大な二重屋根の二層楼門——朱色に塗られた山門(もん)——へと続く。参道の両側には、内容を華やかに惜しみなく陳列する店棚の列がある。玩具店、喫煙具店、装飾用の簪の店が特に目立つ。門に近づくと、祈祷用の数珠、袖や胸に入れる真鍮や木の小さな厨子入りの神像、護符袋、陽気な顔をした大黒——日本で最も人気のある家内の神——の像、厨子、位牌、安価な願掛けの供物、梵鐘、燭台、香炉、そして公私を問わず仏教信仰に関わる、尽きることのない多様な品々を売る店が並ぶ。浅草では毎日が祭日である。最も人気のある大いなる神々の一柱に奉納された、最も人気のある宗教の参詣地だからである。仏教徒であれ、神道家であれ、キリスト教徒であれ、都を訪れる異邦人は、誰も例外にならず、その混雑した境内を参拝し、その誘惑に満ちた店で何かを買う。私も例外ではなく、花火の花束——五十個で二銭、一ペニー——を買った。一つ一つがゆっくり燃えながら、最も美しい雪の結晶の形をした、火のきらめきを放つ。二銭の小箱も誘惑に負けた。中身は枯れた軽木の薄片のように見えるが、水に落とすと木と花に膨らむ。  右側の舗装された通路を下ると、人工の川——あまり清潔ではない——があり、一枚の曲線を描いた石から成る橋が架かっている。そこから石段が続き、壮大な銅製の梵鐘を持つ小さな堂へと通じる。入口では、数人の女が祈祷していた。同じ方向には、二体の立派な銅製の仏像——坐像——がある。一体は両手を合わせ、もう一体は蓮を持ち、いずれも額に「世界の光」を示す。本堂の境内へ入る壮大な朱色の楼門は、実に威圧的な効果を持ち、さらに、私が初めて見る大いなる異教の寺院への入口でもあった。それは、売買人で同様に混雑していた別の神殿と、神殿もその境内も「父の家」であると宣言された方の手にあった「小さな縄の鞭」——を思い起こさせた。※訳注:ヨハネ福音書における、神殿の清めの比喩。仏教の穏やかな開祖も、浅草の不浄な境内を清めるにあたり、それほど正義の怒りを抱くことは少なくないだろう。男女老若数百人が、絶え間なく楼門を通り抜け、一年中、日の明るい時間のすべてを通してそうしている。大祭(まつり)の日には、神の象徴を載せた神輿(みこし)が展示され、神聖な舞と神事が執り行われた後、壮麗な古式の行列で海辺へ運ばれ、再び戻る——その日には、数千が数万となる。  楼門の下、両側には仁王(におう)——二王——がいる。流れる衣をまとった巨大な像で、一体は赤く口を開き、中国哲学の陽、すなわち男性の原理を表わし、もう一体は緑色で口を固く閉じ、陰、すなわち女性の原理を表わす。突出した目、顔と体が歪み、過度の誇張と痙攣的な動作へと堕落させられた、醜怪な存在である。これらの像は、大きな寺院の門の大半を守っており、小さな印刷物が家の戸に貼られ、泥棒から守る。格子の前には、数多の藁草の草履が吊るされており、祈祷する者たちが、自分の四肢が仁王のように筋肉質であることを願っている。  この門を通り抜けると、いよいよ寺院の境内であり、堂そのものの前に立った。堂は威容ある高さと規模を持ち、渋い朱色の色調で、重い鉄灰色の瓦の壮大な屋根が、優雅さとともに威厳も与える大きな曲線を描いている。梁と支えは堅固で巨大だが、仏教・神道を問わず、すべての日本の寺院に共通して、建物は完全に木造である。幅狭く急な、真鍮縁の長い石段が縁側へと続く。縁側は、非常に高い屋根を支える数本の円柱から成り、十フィートの長さの紙灯籠が吊るされている。縁側の下、軒の庇の下を回廊が寺院の周囲を巡る。外陣は畳がなく、格子の向こうに内陣があり、比較的私的に祈祷する特権、または僧侶に祈祷を託す特権のために料金を払う者だけが入れる。  外陣では、騒音、混乱、絶え間ない動きが、人を当惑させる。下駄を鳴らす群衆が出入りする。縁側に数百羽住む鳩が頭上を飛び、羽の音が鈴の音、太鼓と銅鑼の打音、僧侶の高い調子の詠唱、低い祈祷のささやき、娘たちのさざ波のような笑い声、男たちの荒い声、そして大衆のざわめきと混じり合う。初見には、実に滑稽なものが非常に多い。男たちが床にしゃがみ、護符、数珠、印刷された祈祷文、線香、その他の品を売っている。あらゆる種類の願掛けの供物が壁と大きな丸柱に吊るされている。その多くは粗雑な日本画である。一つの主題は、隅田川で汽船が爆沈し百人が亡くなった事故——寄進者が観音の加護によって救われた——である。ここで祈祷を捧げ、健康または富を取り戻した者たちからの記念碑が数多ある。他には、危難に遭った船頭からのものもある。男の髷や、ほこりまみれの女の編み髪が、誓願や祈祷——たいていは病気の親族のため——の供物として、数え切れず並べられている。そのすべての左側には、俗悪な金箔の額縁に入った大きな鏡と、P.M.S.「China」号の額入り絵画がある! この不調和な集積の上には、壮麗な木彫りと天使の壁画があり、鳩たちは人の手出しから免れて巣を作る。  入口の近くには、古い青銅の最も重厚な様式による立派な香炉があり、その上には神話上の獣が躍り、周囲には高浮雕で十二支——鼠、牛、虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪——が刻まれている。縁の穴から香炉の煙が絶えず立ち上り、それを焚き続ける黒歯の女が、参拝者から小さな銅貨を絶えず受け取り、彼らは壇の前へ進んで祈祷する。高壇、そして私が本来寺院と見なすべきすべてのものは、粗い網目の鉄線の障子で保護されている。この聖なる聖所は、厨子と神々、巨大な燭台、金銀の巨大な蓮、供物、灯、漆器、経典、銅鑼、太鼓、鈴、そして学問ある者や入門した者には道徳と形而上学の体系、大衆には偶像崇拝的迷信である信仰の、神秘的な象徴で満ちている。内陣の光は薄暗く、灯は低く燃え、空気は香炉の煙で重く、法衣とストールを着た剃髪の僧侶が、観音が安置された高壇の周囲の柔らかい畳の上を音もなく動き、蝋燭に火を点け、鐘を撞き、祈祷をささやく。障子の前には、十四フィート乘十フィートの木製の献金箱があり、深い投口があり、すべての参拝者が絶え間なくチリンチリンという音とともに銅貨を投げ込む。  彼らはそこでも祈祷する——ただし、それが祈祷と呼べるかどうかは別問題だが。しばしば、外国語の理解できない句の反復に過ぎず、頭を下げ、手を上げて擦り合わせ、数語ささやき、数珠を数え、手を打ち、再び礼をし、出て行くか、別の厨子へ進んで同じ形式を繰り返すだけである。絹の衣を着た商人、みすぼらしいフランス式軍服の兵士、農民、卑しい衣を着た苦力、母親、娘、欧米式の服を着た紳士、さえ侍の警察官まで、慈悲の女神の前に礼をする。祈祷の多くは素早く捧げられ、気軽な談笑の渦の中の、ほんの一瞬の小休止に過ぎず、敬虔さのふりもない。しかし、参拝者の一部は、明らかに、単純な「信仰」で、本当の苦しみを携えて来た。  一つの厨子には、紙の玉で至る所斑点のように付いた大きな神像があり、数百の玉が彼を守る網目に付着している。参拝者は、紙に願文を書くか、より良くは僧侶に書いてもらい、それを噛み砕き、神に向かって吐き付ける。よく狙い、網目を通り付着すれば吉兆、網目に引っかかれば祈祷はおそらく聞き届けられなかった。仁王や堂外の神々の一部も、同様に損なわれている。左には障子のある厨子があり、格子に数限りない祈祷文が結ばれている。右には、誰もが近づけるところに、ビンズル——仏陀の最初の十六弟子の一人——が坐っている。彼の顔と姿は、穏やかで愛想がよく、ジョージ三世治世の田舎の紳士のような静かな威厳を帯びていた。しかし今や擦り減り、損なわれ、スフィンクス以上に目鼻口は残っていない。磨かれた朱漆は手と足から消え去った。ビンズルは偉大な薬師神であり、何世紀もの病人が彼の顔と四肢を擦り、それから自分のを擦ったからである。若い女が彼のもとへ行き、首筋を擦り、それから自分のを擦った。次に、控えめな様子の娘が、ひどく充血したまぶたと麻痺した腕を持つ老女を連れ、彼のまぶたを擦り、それから老婆の閉じたまぶたを優しく撫でた。次に、膝が腫れた苦力が、ビンズルの膝に力強く身を寄せ、自分の膝にはより優しく触れた。忘れないでほしい——ここは民衆の大寺院であり、「富める者も多からず、貴き者も多からず、強き者も多からず」が、その薄暗く、汚く、混雑した本堂に入るのである。{27}  しかし、観音の大寺院だけが浅草の見物ではない。外には数え切れない厨子と堂、粗い石塊の上の巨大な石造の狛犬——天狗——、参拝者の清めのための水を入れた、天蓋付きも無蓋もある石と青銅の大きな水槽、切り出した石の台座の上の鋳鉄の天狗——最近の贈り物——、青銅と石の灯籠、石の柱にある石の転経筒、労苦から休息する者の穏やかな顔を持つ仏陀の像、信仰深い者が祈祷文を書いた紙片を貼り、何百本もの以前の線香の灰からくすぶる線香の棒が立つ石の神像、中国語とサンスクリット語の銘を持つ切り出した石の塊、仏陀の「五百弟子」の像がある八角形の堂、屋根と壁の上部が華やかに彩色された堂、内陣に神道の円鏡、神の注意を引くために撞かれる鐘付きの外の青銅の献金箱、朱漆が多く、梁端が bold に彫られた目を引く五重の塔——重い軒には風鈴が垂れ、最上層の屋根は炎に囲まれた「宝珠」を頂に据え、優雅な銅の螺旋で終わる——がある。ほとんどの寺院の近くと同様、寄進者の名前と額が記された額を持つ、素木の立て看板もある。  主堂の南東には、石床の立派な堂があり、私たちだけが訪れた。高く、非常に華麗に装飾されている。中央には、深紅の漆で最も豪華に飾られた、八角形の回転する間——むしろ厨子——がある。黒漆の彫刻された枠の上に載り、漆の回廊が回り、数枚の華麗に飾られた戸が開く。この回廊に数人が肩を当てると、厨子が回転する。実際、仏教経典の回転書庫であり、一回転が経典を一回敬虔に読誦したのと同等である。古代の装飾漆工の、実に美しい見本である。堂の奥には、片手を上げた布をまとった真鍮の仏陀像——威厳ある鋳物——がある。すべての仏陀はインド人の容貌を持ち、インドから持ち込まれた優雅な衣の流れと東洋的な静けさは、土着の日本の想像力の滑稽な誇張と著しく対照する。同じ堂には、等身大で木に彫られた、四体の怪異に誇張された像がある。足には爪のある指、各口には歯に加えて二本の大きな牙。すべての頭は炎に囲まれ、金色の輪で後ろを飾られている。激しい風に揺さぶられているかのような衣を誇張してまとい、兜と部分的な鎧を着て、右手に君主の笏と僧の錫杖の間の何かを持つ。ぎょろ目と開いた口、歪み、誇張された動作の顔。一体は鮮やかな赤に塗られ、鮮やかな桃色のよじれる悪魔を踏みつぶす。もう一体は翠緑色で海緑色の悪魔を、藍色の怪物は空色の悪鬼を、鮮やかな桃色の怪物は肉色の悪魔を爪の足の下に踏む。姿の醜怪さは言い表せない。虐待されている、より無邪気に見える悪鬼に同情しそうになった。仏教寺院に非常に頻繁に現れ、ある者によると閻魔——地獄の王——の補佐の拷問者、他の者によると「四方の神」と呼ばれる。  境内は実に非凡な光景である。見世の最盛期にも、英国の縁日はこのような見物の揃いを呈したことはない。堂の後ろには、数多の的屋があり、通常より控えめに見えない娘たちが微笑み、にやにやし、麦茶を小さな杯で、味気ない菓子を漆の盆で運び、小さな煙管を吸い、細い竹の弓——二フィート——に矢の置き台、小さな桜材の矢——骨先、赤・青・白の羽——を差し出し、微笑みながらもさして押し付けがましくなく、正面に吊るされた的——四角い太鼓の前、赤い座布団に挟まれた——に技量か運を試すよう求める。カチッ、ドン、かすかな「トン」が結果を示す。射手のほとんどは成人の男で、多くは一度に何時間もこの子供じみた遊びに費やす。  境内全体に、いつもの炭火、銅の釜、趣向を凝らした鉄瓶、小さな杯、茶の芳しい香り、愛らしく優雅な娘たちを備えた店棚が、飲み休みを誘う。より実質的だが誘いに欠ける軽食もある。きれいな紙灯籠がすべての店を飾る。写真館、茶庭の模倣、大きなきしむ車輪で等身大の人形の多数の群像を適切な背景とともに動かす見世物、休むための畳敷きの長椅子、神々、鳩、二頭の神馬——ピンクの目と鼻のアルビノの小馬、実に貪欲な生き物、一日中食べ続け、なおももっと欲しがる——への供物として米、豆、エンドウの皿を置いた台がある。歌と踊りの店棚があり、一つの下では、プロの語り部がぎゅうぎゅう詰めの群衆に、古く人気のある犯罪物語の一つを語っていた。数厘で、非常に醜く貪欲な猿に餌をやる楽しみ、または疥癬にかかった猿が日本式に礼をするのを見る店棚もある。  この手紙は長すぎるが、印象が新鮮なうちに浅草とその新しさを省略するのは、日本で最も興味深い見物の一つを省くことになる。帰路では、ロンドンと同じ赤い郵便車、欧米式軍服と欧米式鞍の騎兵隊、海軍大臣の馬車——英国式の轡の一対の馬に引かれた英国式ブローアム、六人の騎兵の護衛——を通り過ぎた。痛ましい予防措置であり、三週間前の内政大臣大久保(Okubo)の政治暗殺以降、採られているものだ。こうして、この大都市において古いものと新しいものが対比し、押し合う。帝と大臣たち、海軍・陸軍の将校と兵、官吏全体と警察は欧米式の服を着る。「若き日本」を代表しようと志す、放蕩に見える若い男たちもまた。英国式の馬車と家——カーペット、椅子、卓——は日に日に増え、外国調度品の購入を規制する悪趣味は、純粋に日本式の家の装飾を司る良い趣味と同程度に目立つ。幸い、これらの高価で似合わない革新は、女性の服装にはほとんど及んでおらず、我々の流行を取り入れた婦人の一部は、不快さと数多の困難と複雑さのため、それをやめた。  皇后は公式の場では緋色のサテンの袴(はかま)と流れるような衣装で現れ、彼女と宮廷の婦人は常に国装を着る。欧米式の服を着た婦人を見たのは二人だけ——ここの晩餐会で、進取の気性の外務次官の森(Mori)氏と香港在勤の日本領事の妻——であり、二人とも長い在外生活により、それを楽に着こなすことを学んだ。教育大臣西郷(Saigo)氏の妻は、ある日、見事な鳩色の絹クレープの和服——淡い桃色の下着が首元と袖で少し見える——で訪れた。帯は上質な鳩色の絹で、淡い桃色の花の影があちこちに漂っていた。飾りひだや余計な装飾、宝飾品は、髷に差した一本の簪を除き一切なく、愛らしく上品な顔立ちで、和装の中では優雅かつ威厳があった。我々の服を着れば、まさにその逆に見えたはずである。彼女の衣装には、我々の服に対する一つの目立った利点がある。女は一着と帯があれば完全に「着衣」し、二着あれば完全に「装い」が整う。容貌と表情には——ただし日本の画家によって大いに誇張されているが——上流の女性と中・下流の女性との間に差がある。丸顔、扁鼻、厚い唇、外眼角の上がった細長い目、白粉と脂粉に大いに借りている肌色を称賛することは控えたい。唇を赤黄の顔料で塗り、顔と喉を真珠の粉で厚く塗る習慣は、実に不快である。しかし、そうも愛想よく優雅な物腰を持つ女性に、否定的な批評を下すのは難しい。  ——イザベラ・L・バード --- ### 第6章:旅立ちと奥州道——春日部から日光へ(LETTER VI) - Chapter: 6 - Published: 2026-05-24 - Author: Isabella Bird - Series: 日本奥地紀行 > Synopsis: イザベラ・バードによる明治期の日本紀行。第6信、内陸旅行の出発、春日部の旅籠での一夜、そして日光への道のり。 日付からお分かりのとおり、長い旅に出発した——ただし、日光を去った後に踏むことを望む「踏み固められぬ道」ではなく、まずはそこへ向かう途中である——そして、この混み合ったアジアの生活の只中で、初めて一人きりの夕暮れを迎えるのは、奇妙で、ほとんど恐ろしい。一日中、神経症に苦しんだ——怖がることへの恐れ、イスレイのキャンベル氏が脅したような、乱暴に群がられることへの恐れ、日本の礼儀を破って失礼を犯すこと——他に何とも言えない恐れ! 伊東だけが頼りであり、彼は「折れた葦」※訳注:旧約聖書の比喩。頼りにならない者。になるかもしれない。何度も計画を諦めたいと思ったが、最も信頼できる筋から安全が保証されたと聞き、臆病さを恥じて踏みとどまった。{32}  準備は昨日仕上がり、装備の重さは百十ポンド。伊東の九十ポンドと合わせ、普通の日本の馬一匹が運べる限界である。油紙の覆い付き、紙裏打ちの塗られた籠二つは、馱馬の両側に便利である。折りたたみ椅子——日本の家には床以外に座るものがなく、寄りかかれる堅固な壁さえない——、クルマ旅行用の空気枕、ゴム製の浴槽、シーツ、毛布、そして何より重要な、軽い棒付きの帆布製ストレッチャー——二分で組み立てられ、二フィート半の高さで、蚤から免れるはず——がある。「食事問題」は、助言を部分的に拒否することで解決した! 持参したのは、リービッグの肉エキス少量、レーズン四ポンド、チョコレート——食べる用と飲む用——、万が一のブランディーのみである。私自身のメキシコ鞍と手綱、適量の衣類——夕方に着るゆったりした上着を含む——、蝋燭、ブルントン氏の日本大図、英亜学会紀要数巻、サトウ氏の英和辞典がある。旅装は、埃色の縞入りツイードの短い服、墨塗りしていない丈夫な編上げ靴、日本式の帽子——大きな逆さ椀型の軽い竹編み、白綿の覆い、額の周りに当たる非常に軽い内枠付きで、帽子と頭の間に一インチ半の空間を残し、空気の自由な流通を確保する——である。重さはわずか二オンス半で、重い熱帯用ヘルメットよりはるかに好ましく、軽いにもかかわらず頭を徹底して保護するので、一日中晴れ、気温華氏八十六度でも、他の保護は不要だった。金は五十円札、五十・二十・十銭札の束と、数巻の銅貨。旅券用の袋は腰に下げる。鞍——足置きに使う——を除くすべての荷物は一つのクルマに載せ、十二ポンドに制限された伊東は自分の分を持参する。  日光まで九十マイル、三日間、走者を替えずに行くクルマを三台雇った。各台約十一シリング。  旅券は通常、外国人が旅するルートを定めるが、今回はパークス卿が、実質的に制限のないものを得てくれた。東京以北の日本全域と蝦夷(Yezo)※訳注:当時の北海道。を、特定のルートを指定せず旅することを許す。これがなければ、領事のもとへ送還される恐れがある貴重な文書は、もちろん日本語だが、表紙に発行条件が英語で記されている。旅券は「健康、植物学的調査、または科学的研究」の理由で申請しなければならない。持参人は、森で火を点けてはならず、馬上で火事に立ち会ってはならず、畑、囲い地、禁猟区に侵入してはならず、寺院、神社、壁に落書きしてはならず、狭い道を疾走してはならず、「通行止め」の表示を無視してはならない。「日本の官憲および人民に対し、秩序正しく円滑な態度をとる」こと。要求されれば旅券を提示し、さもなくば逮捕される。内陸滞在中は「狩猟、交易、日本人との商取引契約の締結、旅の必要以上に家屋または部屋を借りる」ことを禁じる。  日光、六月十三日。——ここは日本の楽園の一つである! 「日光を見ずして『けっこう(kek'ko)』※訳注:「見事、素晴らしい、美味しい」の意。の語を使うな」ということわざがあるが、詳しくは後ほど。春日部から手紙を書こうとしたが、蚤の大群の襲撃でストレッチャーへ退避を余儀なくされ、昨夜も一昨晩も、このほかの理由で、執筆は不可能だった。  月曜十一時に公使館を出発し、夕方五時に春日部に着いた。走者は二十三マイルの全行程を、喫煙と食事の休憩は頻繁だったが、楽な小走りを保った。  クルマの走者は、短い青綿の股引、たばこ袋と煙管付きの帯、広い袖で前が開いた短い青綿の着物——腰まで——、青綿の手拭を頭に結んだ。日が非常に暑いときは、常にクルマの後ろに吊るされた直径二フィートの平らな円盤——日よけにも雨よけにも使う——を頭に結んだ。藁草の草履を履き、道中二度替えが必要だった。青と白の手拭が車軸から垂れ、汗を拭う——痩せた褐色の体を大量に流した。上着は常に後ろに翻り、胸と背中の、龍や魚の精巧な刺青をあらわにした。刺青は最近禁止されたが、好まれる装飾であり、はかない衣類の代わりでもあった。  下級の男の多くは、非常に醜い形で髪を結う——頭の前部と頂部を剃り、後ろと横の長い髪を上げて結び、蝋を塗り、再び結び、短く切り、硬い辮を前に向けて頭頂の後部に沿って置く。この結い髪は、短い粘土の煙管に似ている。剃髪と整髪には、専門の床屋の技が要る。かつては侍が兜を快適に被るためこの形だったが、今や主に下級の者の様式で、必ずしもそうではない。  陽気な小走りで、走者は公使館ポーチの親切な一行を後に、内堀を渡り、城の内側の車道を進み、門と巨石を積み上げた擁壁を過ぎ、第二の堀を渡り、何マイルも続く、灰色の店棚と家並みの通りを進んだ。歩行者とクルマ、背中の上二、三フィートに荷を載せた馱馬——鞍の拱は朱漆と金箔、額当ては赤革、蹄は藁草の草履、頭は左右の鞍腹帯にきつく結ばれ、体の下に青地に神獣模様の大きな白布がだらりと垂れ——、重荷を引く苦力が「ハイ!ヒュイダ!」と喉をからし、頭を恐ろしい模様に剃った子供たち。そして時折、旋回する全景の中で道徳の教訓のように、葬列が群衆の中を通った。豪華な法衣の僧が祈祷を唱え、死体を納めた覆い付き桶、白い羽の付いた青い喪服の者たちが続く。やがて江戸の縁に着いた——家が連続しなくなるが、その日は家と家の間隔はほとんどなかった。すべて前面が開いており、住人の営み、すなわち「家庭生活」が完全に見える。多くは路傍の茶屋(chaya)であり、ほとんどすべてが菓子、干し魚、漬物、餅(mochi)、すなわち未調理の米の生地、干し柿、雨帽、人間用・獣用の藁草の履物を売っていた。道は二台の馬車が通れる幅——一台も見なかった——だが良くはなく、両側の溝はしばしば清潔でも甘くもなかった。書かねばならない——家はみすぼらしく、貧しく、ぼろぼろで、時に悲惨、臭いは悪く、人々は醜く、みすぼらしく、貧しく見えた。しかしすべてが何かに従事していた。  国は死の平らな地で、主に人工の泥の干潟または沼地である。その肥沃な泥濘の中で、さまざまな水鳥が歩き、何百人もの男女も膝上まで泥に浸かって歩いていた——江戸の平野は主に大きな田んぼであり、今が忙しい田植えの季節だからである。ここでは、我々の理解する意味での「水にパンを投げる」ことはしない。日本では八、九種の主要な稲が栽培され、高地種を除くすべてが泥、水、多くの踏み込みと不快な作業を要する。稲は日本の主食であり、富である。収入は稲で見積もられた。灌漑が可能な限り、ほとどころで稲が育つ。  田んぼは通常、非常に小さく、形もさまざまである。四分之一エーカーが立派な田である。六月に植えた稲は十一月まで刈らないが、その間、三度「踏み込み」——すなわち、すべての者が泥濘に入り、根元から根元へ絡み合った水草を掘り出し、根の周りの泥を新たに踏み固める——が必要である。熟するまで水の中で育ち、熟すと田を干す。最良の地は年間約五十四ブッシェル、最悪でも約三十ブッシェルの稲を産する。  江戸の平野では、堤道沿いのほぼ連続する村のほかに、木に囲まれた村の島のようなものがあり、鎌を入れる準備の小麦、玉ねぎ、粟、豆、エンドウが茂る、何百もの心地よい緑地があった。蓮の池もあり、壮麗な睡蓮(Nelumbo nucifera)が、冒涜的な目的——食べるため——に育てられている! その見事な古典的な葉は、すでに水面一フィート上に出ている。  数マイル陽気に走った後、走者は茶屋に入れた。彼らは食事と喫煙の間、私は庭に座った。庭は焼いた泥、滑らかな飛石、小さな池と金魚、変形した松、石灯籠から成る。外国人が日本の娯楽施設を区別なく「茶屋」と呼ぶのは誤りであることに留意されたい。茶屋(chaya)は、茶とその他の軽食、食べる部屋、接客が得られる家である。ある程度旅館に相当するのは宿屋(yadoya)で、必要に応じて寝床と食事を提供する。免許も異なる。茶屋は、大都市や人気の行楽地の、旗と灯籠で華やかな三層の建物から、軒下に暗色の木の長椅子が三、四脚、通常、あらゆる姿勢でくつろぐ裸の苦力が占める路傍の茶屋まで、あらゆる等級がある。床は地面から約十八インチ上がり、これらの茶屋には畳の台と、中央に土間(doma)——文字通り「土の空間」——と呼ばれる窪みがある。その周囲を板間(itama)——「板の空間」——と呼ばれる磨かれた木の縁が巡り、旅人はそこに座り、すぐに持参される水で汚れた足を洗う。汚れた足でも外国靴でも、畳の床に一歩も進んではならない。土間の一方は、一、二の炭火がある台所で、苦力が畳の上でくつろぎ食事と喫煙をし、他方では家族が生業に励む。最小の茶屋にも、奥に一、二室あるが、すべての活気と興味は開いた前面にある。小さな茶屋には、床の四角い穴——砂または白灰を入れた——に調理用の生きた炭を置く囲炉裏(irori)と、食べ物・食器用の小さな棚だけ。大きな茶屋には、炭火の炉が一列並び、壁は屋根まで棚で飾られ、客用の漆の卓と漆器・磁器がある。大きな茶屋は、床と天井または横梁の溝に沿って、襖(fusuma)——引き戸式の紙障子——を動かすことで、すぐに多数の部屋を即興できる可能性を内包する。  路傍の茶屋で止まるたび、走者は足を洗い、口をすすぎ、米、漬物、塩魚、「忌まわしいものの汁」を食べ、その後、一回の詰めで三吸いの小さな煙管を吸った。どの茶屋でも降りると、一人の笑顔の娘がたばこ盆(tabako-bon)——炭火入れと灰入れの付いた方形の木または漆の盆——を持ち、もう一人が膳(zen)——高さ約六インチの小さな漆の卓——を差し出す。小さな急須——柄が注ぎ口と直角——は英国のティーカップ一杯ほど、取っ手も受け皿もない二つの杯は、各十から二十滴ほどの容量。熱湯は茶葉の上に一分ほど置くだけで、抽出液は澄んだ麦わら色で、芳しい香りと風味があり、いつでも感謝し、清涼となる。日本茶は「立てる」と、粗い苦味と健康に害する渋みを帯びる。牛乳と砂糖は使わない。清潔そうな木または漆の蓋付き桶がすべての茶屋にあり、温かい米は注文以外は一日三度だけだが、桶には常に冷たい米があり、苦力は熱い茶をかけて温める。食事中、茶屋の娘がこの桶を横に置き、床にしゃがみ、前に座り、ご飯碗を「もう十分!」と言うまで満たす。この道では、一、二時間の休息と茶に、茶盆に三、四銭を置くのが慣例である。  一日中、混み合った道を、春日部まで、稲の沼地を通った。春日部は規模のあるが、みすぼらしく見える町で、主通りは東京で最も貧しい通りの一つに似ており、夜は大きな宿屋(yadoya)——上下の部屋、旅人の群れ、多くの悪臭——に止まった。入ると、番頭(teishi)が両手を合わせ、額を床に三度触れて深く礼をした。大きく、入り組んだ古い家で、大厨房(daidokoro)には、完全に三十人の召使が忙しそに動いていた。私は二階の部屋——暗く磨かれた木の急なはしご——を取り、深い軒の下の縁側に面した。二階の前面は、側面と前面だけの長い一室だったが、不透明な壁紙の引き戸を適切な溝に入れることで、すぐに四つに仕切られた。背面も即興されたが、これは半透明の紙——我々の薄紙のような——の窓をはめた枠で、穴や裂け目があった。これで、約十六フィート四方の部屋——何かを置く钩、棚、レール、何もない、畳の床だけ——の持ち主になった。畳(tatami)という語に惑わされてはならない。日本の畳は、最高級のアクスミンスター絨毯と同様に、床を覆う、整然として洗練され、柔らかい被覆である。長さ五フィート九インチ、幅三フィート、厚さ二インチ半。枠は粗い藁で堅固に作られ、非常に細かく織った畳表——可能な限り白に近い——で覆われ、通常、各畳は紺の布で縁取られる。寺院も部屋も畳の枚数で測られ、部屋は畳のために建てられ、畳が部屋に合わせて切られることはない。常に床を囲む磨かれた溝または縁と水平である。柔らかく弾力があり、上質のものは非常に美しい。最高級のブリュッセル絨毯と同程度に高価で、日本人は誇りを持ち、無神経な外国人が汚れた靴で踏み荒らすことに深く憤る。不幸なことに、無数の蚤を宿す。  部屋の外、同様の部屋が多い開いた縁側が、みすぼらしい瓦屋根と雨水桶の哀れな集積の周りを回っていた。これらの部屋はすべて満室だった。伊東は一度だけ指示を求め、ストレッチャーを粗い緑色帆布の大きな蚊帳——カビ臭い——の下に設置し、浴を用意し、茶、米、卵を持参し、旅券を番頭に渡して写し取らせ、姿を消した——行方は知れない。手紙を書こうとしたが、蚤と蚊が妨げ、さらに、襖が頻繁に音もなく引かれ、数双の細長い黒い目が隙間から私を覗いた。右の部屋には二つの日本人家族、左には五人の男がいた。障子(shôji)——半透明の紙の窓——を閉めて寝たが、プライバシーの欠如は恐ろしく、鍵も壁も戸もない状態で、まだ同胞を十分に信頼して快適にはなれない。目が常に部屋の側面に当てられ、娘が二度、部屋と廊下の間の障子を引いた。後で盲人のマッサージ師だと分かった男が入り、(当然)理解不能な言葉をいくつか言った。新しい騒音は完全に当惑させた。一方では男が高い調子で仏教の祈祷を唱え、他方では娘が三味線(samisen)——一種のギター——を弾いていた。家は話し声と水しぶきで満ち、外では太鼓と銅鑼、数限りない街の叫び、盲人マッサージ師の口笛、日本のすべての村を巡回し、二枚の木を打ち合わせて警戒を示す火番の響きのある拍手——耐え難かった。私の知らない生活であり、神秘は魅力より恐ろしさが勝った。金が散らばっており、襖から手を滑らせて取るのは容易に思えた。伊東は、井戸がひどく汚染され、臭いは恐ろしく、病気も盗みも恐れるべきだと言った。こうも不合理に推理した! {41}  私の寝床は、二本の木棒に釘打ちされた帆布の切れに過ぎない。横になったとき、帆布は下段の釘から次々とはずれ、一連の音とともに沈み、二対の馬脚をつなぐ鋭い縁の棒の上に横たわり、蚤と蚊の無力な犠牲者となった。三時間、帆布を完全に落とさぬよう動く勇気もなく横たわり、一刻一刻神経症が強まり、やがて伊東が障子の外から呼んだ。「バード嬢、お会いした方がよろしいでしょう。」何という恐怖だ、と思った。さらに安心せず、「公使館からの使者と、お話ししたい警察官が二人おります」と付け加えられた。到着時、正しいことをした——旅券を番頭に渡した。法律により、彼は帳簿に写し、複写を警察署へ送った。この真夜中近くの侵入は、説明も正当化もできない。それでも、欧米式制服の二人の小人、馴染みの警棒と懐中電灯、敬意はあるが恭順ではない態度——すぐに安心した。二十人いても歓迎しただろう。彼らの存在は、私が知られ、登録されていること、そして特別な理由で外国人にその力と全知を印象づけたい政府が、私の安全に責任を負うことを保証した。  彼らが薄暗い灯で旅券を綴り読む間、江戸からの小包を開け、レモン砂糖の缶、ハリー・パークス卿からの非常に親切な手紙、そしてあなた方からの手紙の束が入っていた。手紙を開こうとしていると、伊東、警察官、提灯が部屋から消え、六週間待ち望んだ手紙と電報を、開かずに寝床の上に置いたまま、明け方まで不安に横たわった。  すでに、恐怖と不幸を笑える。あなた方もそうしてほしい。旅人は自分の経験を買わねばならず、成功か失敗かは主に個人の気質次第である。多くの事柄は進むにつれて経験で改善され、安全である感覚を身につけるだろう。しかし、プライバシーの欠如、悪臭、蚤と蚊の苦しみは、恐れ、治し難い悪である。  ——イザベラ・L・バード  翌朝七時には、米は食べられ、部屋は使われた形跡がないかのように空っぽになり、八十銭の勘定は払われ、番頭と召使は数多の「さようなら(sayonara)」とともに額を床に触れ、クルマは速い小走りで出発した。最初の休憩で、走者——親切で好人物だが、実に醜い——が、春日部の悪い水を飲んだためと言って、痛みと嘔吐に襲われ、後に残された。彼は正直で独立的な方法で替わりを手配し、契約を厳守し、病気の礼としてチップを一度も求めなかった。非常に親切で助けになったので、病気のまま置いていくのは実に悲しかった——苦力に過ぎない、帝国の三千四百万の中の一原子に過ぎないが、天の父にとって他の誰と比べても劣らず尊い。晴れ渡った日で、日陰で華氏八十六度だったが、暑さは重くなかった。正午に利根川に着き、浅い所は刺青の肩に乗せて渡り、その後、クルマ、気難しい馱馬、多数の旅人とともに、平底の舟で渡った。船頭、旅人、耕作者は、ほとんどまたは完全に裸だったが、裕福な農民は、傘ほど大きな曲がった竹帽、大きな袖で帯を締めない着物、帯に付けた大きな扇で畑仕事をしていた。出会った旅人の多くは帽子がなく、額の前を扇で日よけしていた。おそらく、労働者の国装の不便さが、それを脱ぐ一般習慣の一部を説明している。歩くにですら妨げになるので、歩行者の多くは着物の裾の中央を取り、帯の下にたたみ込む「腰を結う」をする。多くの者では、足首まで及ぶ、織られた、ぴったりした、弾力のある白綿の股引が見える。東京行きの汽船が出る村で、もう一つの川を渡ると、国はずっと快い印象になり、田んぼは少なく、木、家、納屋は大きく、遠くに高い丘が霞の中にぼんやり見えた。小麦の多く——パンにはせず、細麺にする——はすでに運ばれている。十フィートの高さの麦の山がゆっくり動き、不思議に思っていると、下に四本の足が見える——すべての収穫物は、人の背中でなければ馬の背中で運ばれる。いくつかの脱穀場——納屋の外の清潔な開けた場所——を見に行った。そこでは穀物が畳の上に置き、二、四人の男が重い回転する打ち棒で脱穀する。別の方法は、女が割った細竹の床の上で穀を打つ。第三の方法も、畑と納屋の庭の両方で見た。女が一束の茎を、斜めに置いた歯付きの櫛状の器具——とうもろこしの脱粒機のような——に後方から通し、穂を切り落とし、茎は傷つけない。これはおそらくイザヤが言う「歯のある鋭い脱穀具」である。穂はその後手で揉む。この地方では、小麦は完全に手で選別され、風がもみ殻を吹き飛ばした後、穀は畳の上に広げて乾かす。鎌は使わず、刈り手は一束を取り、地面近くで短い真っ直ぐな刃——柄と直角——のナイフで切る。小麦は広い間隔の列に播かれ、その間は豆や他の作物に利用され、取り除かれるとすぐに大根(Raphanus sativus)、きゅうり、または他の野菜が代わる——丁寧な耕作と多量の肥えで、土地は年二、三作を取れる。土は小麦にも、稲以外のすべての作物にも、雑草一株も見えず、国全体が手入れの行き届いた庭のように見える。この地方の納屋は非常に立派で、多くの壮大な屋根は、宝塔に見馴れた内側へ凹む曲線を持つ。軒はしばしば八フィート深く、茅は三フィートの厚さ。いくつかの農家の庭には、我々の英国の教会墓地の古い lychgate※訳注:教会yard の入口門。を大幅に拡大したような、立派な門がある。動物は乳、挽き、食用に使われず、牧草地もないので、国も農家の庭も、特異な静けさと生気のない様子を持つ。みすぼらしい犬と数羽の鶏が、家畜生活の唯一の代表である。牛の低い声と羊の鳴き声が恋しい。  六時に栃木(Tochigi)に着いた。大きな町で、かつては大名(daimiyô)の城下町であった。特産は、さまざまな種類の縄で、近郊で大量の麻が栽培されている。多くの屋根は瓦葺きで、町はこれまで通ったものより、より堅固で立派な外観を持つ。しかし、春日部から栃木までは、悪い方向へ悪化した。日本旅行をほとんど完全に諦めかけ、昨夜が大きく改善されていなければ、恥ずかしげに東京へ戻っていただろう。宿屋は非常に大きく、私より先に六十人の客が到着していたので、部屋の選択はなく、四面すべて襖ではなく障子で囲まれ、寝床、浴、椅子を載せるかろうじての部屋——蚤の巣のようなカビ臭い緑色の蚊帳の下——に甘んじるしかなかった。部屋の一面は頻繁に通る通路に接し、他方は三つの向かいの部屋も開く小さな庭に面し、あまり素行のよくない旅人で混雑していた。障子は穴だらけで、各穴に人の目がしばしば見えた。プライバシーは思い出すことさえできない贅沢。障子への目の当て方に加え、騒がしく乱暴な召使が、口実もなく常に部屋を覗き、明るく愛想のよい番頭も同様。曲者、音楽師、盲人マッサージ師、芸者が、すべて障子を押し開けた。キャンベル氏が正しく、婦人は日本を単独で旅すべきではないと思い始めた。隣室の伊東は、盗みは十分あり得ると言い、金の管理を任せてほしいと頼んだが、夜の間に逃げ去らなかった! 八時前に不安定なストレッチャーに横たわったが、夜が進むにつれ、家の騒音は実に魔性的になり、一時過ぎまで止まなかった。太鼓、銅鑼、シンバル、琴(koto)と三味線の金切り声と弦の音、芸者(geisha)——踊り、歌、演奏の技を持つプロの女性——が、不協和音の伴唱付きで踊り、語り部が高い調子で物語を語り、部屋の近くの走り回りと水しぶきは絶えなかった。夜遅く、不安定な障子が偶然倒れ、多数の人が互いに水を浴びせ合って入浴している、大いに陽気な光景があらわになった。  明け方から出発の騒音が始まり、七時に出発してうれしかった。出発前に、襖が引かれ、あなたの部屋は、大きな開いた畳敷きの空間の一部になる——カビ臭さを効果的に防ぐ仕組みである。道は緩やかな上りで、男たちは小走りする余力もなく、九時間で三十マイルを進んだ。苦力たちの私と互いへの親切さと礼儀正しさは、常に喜びの源だった。帽子と褌(まろ)だけを着た男たちの、入念な挨拶の礼儀を見るのは実に面白い。互いに話すときは必ず帽子を脱ぎ、三度の深い礼を決して省略しない。  宿屋を出て間もなく、今まで見た中で最大かつ最も立派な家が両側に並ぶ広い通りを通った。すべて前面が開いている。磨かれた床と通路は静水のように見え、側壁の掛け轴(kakemono)は非常に美しく、畳は非常に細かく白い。奥には噴水と花の大きな庭があり、軽い石橋を渡る小川が、時に家の中を流れていた。看板から宿屋(yadoya)と思ったが、なぜそこに泊まらなかったか伊東に尋ねると、すべて評判の悪い茶屋(kashitsukeya)——風紀の乱れた遊郭——だと答えた。{46}  旅を続けるにつれ、国はますます美しくなり、急な林の丘へとうねり、雲の中の山々が後方に見える。農村は快適で木に囲まれ、裕福な農民は、二フィート幅、しばしば二十フィートの高さの、刈り込まれた生垣——むしろ屏風——で住居を隠す。あらゆる家の近くに茶が育ち、葉は畳の上で摘み取られ、乾燥されていた。桑の低木の植え込みに、養蚕の兆候が現れ、白と硫黄黄色の繭が、道沿いの平らな盆の上で日光に晒されていた。家の前面では、数多の女が十五インチ幅の綿布を織り、ほとんど英国から輸入された綿糸が、すべての村で染められていた——染料は在来の藍、蓼(Polygonum tinctorium)。老女が紡ぎ、老若ともに、賢そうな赤ん坊を着物の背中に入れ、肩越しに狡賢く覗かせながら生業に励む。七、八歳の小さな娘たちさえ、背中に赤ん坊を載せて子供の遊びをし、本物を運べない小さな者は、同様の形で大きな人形を背負った。数限りない村、混み合った家、どこにでも赤ん坊——非常に人口の多い国という印象を与える。  日がその輝きと栄光の中で過ぎるにつれ、絵はより多様で美しくなった。大きな雪筋の山が丘陵の上に見え、急斜面の暗い青緑の松と杉が、落葉樹の春の色で照らされた。小さな丘の頂上には神道の社へ続く壮大な石段を持つ杉の林があり、刈り取られた畑の赤金が、麻の新緑と exquisite な葉と対比した。バラと白のアザレアが雑木林を照らし、広い道が日光の聖なる shrines へ続く杉の colossal な並木—— tremulous な日差しと影が草を斑にし——に入ると、日本は美しいと感じ、江戸の mud flats は� ugly い夢に過ぎなかった! --- ### 第7章:日本人的な牧歌——金谷の家としつらえ(LETTER VII) - Chapter: 7 - Published: 2026-05-24 - Author: Isabella Bird - Series: 日本奥地紀行 > Synopsis: イザベラ・バードによる明治期の日本紀行。第7信、日光・金谷の家——宿屋の喧噪を離れた静寂、しつらえの美、そして金谷一家との生活。 私の住まいについて、何を書けばよいかわからない。ここは日本人的な牧歌そのものである。内外を問わず、目を楽しませないものは一つもなく、宿屋の騒ぎの後に聞こえる水音と鳥のさえずりに満ちた静けさは、実に清々しい。質素ながら不規則な二階建ての離れ——石張りの台地の上に立ち、石段を上って入る。※訳注:日本式の独立した建物。庭はよく手入れされており、今は牡丹、菖蒲、ツツジが咲いているので、とても明るい。山は麓を赤いツツジで覆い、その真後ろにそびえ、谷を下る小川が家に冷たく清らかな水を供給する。もう一筋の流れは、小さな滝を作ったのち、家の下を通り、岩島のある池を経て下の川へ注ぐ。灰色の入道の村は道の向こう側にあり、急流の大谷川に閉ざされ、その向こうには高く切れ立った山々が立ち並び、豊かな森に覆われ、渓谷と滝が斜めに刻まれている。  金谷の妹——とても上品で優しげな女性——が戸口で出迎え、靴を脱がせてくれた。二つの縁側は磨き上げられており、入口も部屋へ通じる階段も同様で、畳はとても上質で白いので、靴下をはいていても、踏み入るのが恐ろしいほどである。磨かれた階段は、美しい眺めの広い縁側へと続き、そこから一間の大きな部屋に入る。部屋が大きすぎたので、すぐに二つに仕切られた。そこから磨き上げた四段の階段を下ると、奥に伊藤が使う趣のある部屋があり、別の磨かれた階段が風呂場と庭へ通じる。私の部屋の正面はすべて障子でできており、昼間は引き戻せる。天井は明るい木地に暗い木の横木が交わり、それを支える柱は暗く磨かれた木である。板壁は皺のある空色の紙に金が散らされている。一端には床の間が二つあり、床は磨かれた木地である。一方には掛物——壁に掛ける絵——が吊るされており、白絹に描かれた桜の開花した枝である。芸術の傑作で、それだけで部屋を清々しさと美で満たしている。この絵を描いた画家は桜しか描かず、反乱の際に落命したという。もう一方の床の間の棚には、非常に価値のある引き戸付きの戸棚があり、金地に牡丹が描かれている。磨かれた柱の一つには白い花瓶に一枝のバラツツジ、もう一つの柱には一枝の菖蒲——これだけが飾りである。畳はとても上質で白いが、家具は、水墨に風景の示唆がある屏風だけである。部屋が少しでも質素であればよいと思うほど、インクをこぼしたり、畳をへこませたり、紙の窓を破ったりするのではないかと、常に恐れている。下には同じくらい美しい部屋があり、広い空間では家事のあらゆる作業が行われている。家の右側には、瓦葺きの防火蔵がある。  金谷は神道の社で不協和音を奏でる役を務めるが、職務は少なく、主として家と庭を絶えず美しくすることに心を砕いている。母——尊敬すべき老婦人——と妹——私が見た日本人女性のうち、一人を除いて最も上品で優雅な——が、彼と同居している。妹は家の中を浮かぶ妖精のように動き、その声には音楽が宿っている。半ば気の弱い下男と、妹の男の子と女の子で、家族はそろう。金谷は村の首長で、非常に聡明で、見たところよく教育を受けているようだ。妻とは離婚し、妹も実質的に夫と別れている。近ごろ収入を補うため、手紙を持参してくる外国人にこの魅力的な部屋を貸し出しており、彼らの要望に応えようと非常に熱心である一方、良い趣味から美しい家を欧米化することは避けている。  夕食は膳——高さ六インチの小さな机——に載せて運ばれてきた。古い金漆の膳で、ご飯は金漆の椀に、急須と茶碗は上質な加賀磁器であった。二部屋にご飯と茶を付けて、一日二シリングを支払っている。伊藤が食料を調達してくれる。時折、鶏を十ペンス一枚、マス一皿を六ペンスで手に入れることができ、卵は常に一ペンスで得られる。  私宅に住み、日本人の中流家庭の生活の、少なくとも外側の様子を見るのは、実に興味深い。  ——イザベラ・L・バード --- ### 第8章:日光の美——家康の霊廟と社殿(LETTER VIII) - Chapter: 8 - Published: 2026-05-24 - Author: Isabella Bird - Series: 日本奥地紀行 > Synopsis: イザベラ・バードによる明治期の日本紀行。第8信、日光の自然美と、徳川家康・家光の社殿、陽明門の壮麗さ、そして木彫の芸術。 私は日光に九日いるので、「けっこう!」※訳注:当時の日本語で「見事だ」「素晴らしい」と称える感嘆——と言う資格がある。  日光とは「日の輝き」を意味し、その美は日本全国の詩歌と絵画で謳われている。南台山を王として崇められる神とされる、年の大半は雪に覆われたり斑に染まったりする山々が大きな連峰をなし、立派な材木の森、ほとんど踏破されていない渓谷と峠、深い緑の湖が永遠の静けさの中に眠り、中禅寺の水が二百五十フィートの高さから落ち込む華厳の深淵、霧降の滝の明るい美、大日堂の庭の愛らしさ、大谷川が上流から切り開いて流れる峠の陰鬱な壮大さ、ツツジとマグノリアの華やかさ、おそらく日本に匹敵するもののない植物の豊かさ——これらは、二人の偉大な将軍の社を取り囲む魅力のほんの一部に過ぎない。  767年に仏教の聖者勝道上人が訪れ、古来の山の神道の神を仏の現れに過ぎないと宣言して以来聖なる地となっている仏石の山腹に、1617年、徳川幕府の二代将軍秀忠は、父家康の遺体を運んだ。葬儀は壮麗であった。勅使、御家人の僧、京都からの公卿、そして何百もの大名、旗本、下級の貴族が式に参列した。豪華な法衣を着た僧の大群が三日間、聖典を一万回唱え、家康は「東照大権現」という名で天皇の勅により神格化された。※訳注:諡号は「東照大権現」、意義は「東方の光、仏の大いなる化身」。徳川系のそれほど重要でない将軍たちは、江戸の上野と芝に葬られている。維新以降、いわば仏教の国教的地位の喪失とともに、家康の社は儀式のすべての栄光と豪華な仏具を失い、社を彩った二百人の僧は散り、神道の僧六人が交代で勤仕するが、それは祭司としての務めというより入場券を売るためである。  ここではすべての道、橋、参道がこれらの社へと通じているが、壮大な参道は赤い橋から始まり、区切りに段があり、両側に石張りの土手の上にスギの帯が続く広い道を上る。この登りの頂上には、1618年に筑前の大名が自領の採石場から奉献した、高さ二十七フィート六インチ、柱の直径三フィート六インチの立派な花崗石の鳥居がある。その後には、巨大な石の台座の上に百十八基の壮麗な銅灯籠が並び、それぞれに家康の諡号、奉献者の名、奉献の由来が刻まれている——すべて大名の贈り物である——花崗石の一塊から削り出した手水鉢があり、二十本の方形の花崗石の柱に支えられた屋根がかかっている。朝鮮と琉球の王が奉献した、驚くべき工芸の銅鐘、灯籠、燭台もある。左には、木に精巧に彫られ、金箔と彩色で飾られた、高さ百四フィートの五重塔がある。最下層には十二支が一周している。  壮大な入口の門は、鳥居から四十ヤード先の立派な石段の頂上にある。天皇の紋章が黒で描かれた白い垂れ幕が、門の一部を覆いかぶせている。門自体が美しいとしても、ここで立ち止まって龕の金箔の狛犬や軒下の虎の彫刻を詳しく見る気にはなれない。第一の中庭の眺めが、その壮麗さと美しさで人を圧倒するからである。建物の全体の様式、配置、あらゆる種類の芸術、全体を貫く思想は、ことごとく日本的であり、仁王門からの一瞥は、形も色も、これまで夢にも思わなかった美の啓示である。  きれいに小石を敷いた中庭は、明るい赤い木の壁に囲まれ、その周囲に三つの華麗な建物がある——社の宝物を納めるもの、神の用に供される三頭の白子馬の豪華な厩、相目滝から水を引く壮麗な花崗石の手水鉢、そして仏教経典の完備した蔵を納める、高度に装飾された建物。そこから一段の石段が、鐘楼——「驚くべき工芸と装飾」——、ほとんど劣らぬ太鼓楼、社、先に述べた燭台・鐘・灯籠、そしていくつかの非常に立派な銅灯籠を含む、より小さな中庭へ通じる。  この中庭からまた一段の石段が陽明門へと続く。その壮麗さを、私は日を追うごとに驚きを増して眺めた。門を支える白い柱の柱頭は、神話の麒麟の大きな赤い喉を持つ頭でできている。額縁の上には、門の周囲を一周する出張りの回廊があり、龍の頭に支えられた手すりが続く。中央では二頭の白い龍が永遠に争っている。その下、高浮雕で遊ぶ子供たちの群像があり、次に精巧に彩色された梁の網目模様、そして七組の中国の賢人。高い屋根は、喉が深紅の金箔の龍の頭に支えられている。門の内部には、白く塗られた側龕があり、牡丹を基調とした優雅な唐草模様で内側が飾られている。外壁が二十一区画に分かれ、鳥、花、木の壮麗な彫刻で飾られた回廊が左右に走り、三辺を囲むもう一つの中庭を取り囲む。第四辺は山腹に沿って築かれた終端の石壁である。右には装飾された建物が二つあり、一つは神楽を舞うための舞台、もう一つは杉の香を焚く祭壇。左には、祭礼で使われた三基の神輿を納める建物がある。中庭から中庭へ進むことは、壮麗から壮麗へと進むことであり、これが最後であることを、自分の賞賛の力がほとんど限界に達したことを、ほっと思う気持ちになる。  中央には、上下に彩色された縁取りのある金箔の格子で囲まれた聖域があり、一辺百五十フィートの正方形をなし、拝殿を含む。格子の下には、草を背景にした鳥の群像が、木に大胆に彫られ、金箔と彩色で豪華に飾られている。堂々たる入口から、二重のスギ並木の参道を通り、中庭、門、堂、社、塔、巨大な銅鐘、金を嵌め込んだ灯籠の間を抜け、壮麗さに目をくらませながら、この最後の中庭を通り、金の門をくぐって、黄金の社の薄暗さの中へ入ると——そこにあるのは、ただ黒漆の机の上に置かれた円形の金属の鏡だけである。  内部には、幅四十二フィート、奥行き二十七フィートの、よく畳が敷かれた広間があり、両側に高い部屋が一つずつ——一方は将軍用、もう一方は「上人」用。もちろんどちらも空である。広間の天井は区画分けされ、豪華な壁画が描かれている。将軍の部屋には、消金の地に麒麟(空想上の獣)が描かれた非常に上質な襖があり、縦八フィート、横六フィートの橡の板四枚が、鳳凰を浅浮雕で様々に扱って精巧に彫られている。上人の部屋にも同様の板があり、鷹が生き生きと描かれている。拝殿の薄暗い輝きの中で唯一の宗教的装飾は、素朴な金の御幣である。奥の段が、石畳の拝殿へ通じ、青い地に龍を描いた上質な区画天井がある。その先、金箔の戸が主拝殿へ通じ、四室は立ち入れないが、外側が高度に磨かれた黒漆に金で浮き彫りされているのに対応するなら、厳粛に壮麗なはずである。  しかし、このどの華麗な社の一つにも、家康は自分の塵が休むことを命じたわけではない。最後の中庭に戻ると、東側の回廊の屋根付き門を通り、苔とゼニゴケ類で緑色の石の回廊に入り、境内を完全に離れなければならない。内部では富と芸術が金と色の仙境を創り出しているが、外部では、自然が最も威厳ある姿で、偉大な将軍の墓を悲しみを帯びた壮麗さの威儀で取り囲んでいる。二百四十段の石段が山頂へ続き、彼を称えるために建てられた社のすべての威厳の上、そしてその背後に、家康の塵は、飾り気のないが巨石的な石と銅の霊廟の中で眠り、その上には銅の壺が載せられている。正面には、銅の香炉、真鍮の蓮の花と葉を入れた花瓶、口に銅の燭台をくわえた銅の鶴で飾られた石の机がある。高い石壁の上には欄干があり、質素だが威厳ある囲いを囲み、山の背後に生える大きなスギが、そこを常に薄明にしている。斜めの日差しだけがスギの間を通り、花は咲かず鳥も鳴かず、ただ静寂と憂いが、日本が生んだ最も有能で偉大な男の墓を取り囲んでいる。  木、銅、漆の見事な工芸に感銘を受けていたが、巨大な擁壁、石の回廊、階段とその欄干の石工も、ほとんど劣らず称賛した。すべてはモルタルやセメントなしで組み立てられ、二百六十年の雨、湿気、繁茂する植物にも目地はほとんど影響を受けないほど正確に嵌められている。階段の段は立派な一枚石であり、側面の笠石、重厚な欄干、上の太い手すりは、十から十八フィートの長さの一体の石塊から切り出されている。手水用の巨大な花崗石の水槽の工芸も、さほど見劣りしない。台座に非常に注意深く調整されているので、近くの滝から引いた水が、各辺から均等な水柱のように溢れ、佐藤氏が言うように、「石塊というより、固形の水のように見える」。※訳注:エルネスト・サトウ(Ernest Satow, 1843–1929)。当時の英国外交官で、後に『日本史』などを著す。  家光の社は家康の社のすぐ傍らにあり、やや壮麗さは劣るが、より目をくらませる。なぜなら、いまも仏教の手にあり、仏教の諸神と仏教礼拝の豪華な法具で満ち、金と色の輝きの中の孤独な神道の鏡の質素さとは対照的だからである。壮大な入口の門には、巨大な仁王——仏教の門神としての仁王——が朱色で、花柄の絹を模した衣を着ている。第二の一対は、赤と緑に彩色され、家光の社から移されたものが、門内の龕にある。一段の石段がもう一つの門へ通じ、その華麗な龕には、人形をした醜怪な怪物——風神と雷神——が立っている。風神は水晶の目と、半ば陽気、半ば鬼気ある表情を持ち、緑に彩色され、背中に風袋を担ぎ、両端を結んだ長い袋の端を肩にかけ、手で握っている。雷神は赤に彩色され、紫の髪を逆立て、雲の上に立ち、手に雷を持っている。さらに段があり、もう一つの門には、四方の天王が大胆に彫られ、力強い動作で、長い牙を持ち、ついに主社に到達する。初めて案内してくれた老僧が、風神と雷神の前を通る際、「かつてはこれらを信じていたが、今は信じない」と言い、他の神々について話す態度はむしろ軽蔑的だった。しかし、社の戸口では帽子も靴も脱ぐよう求めた。内部には豪華な仏龕があり、小僧が金の布の幕を引くと、内部も同様に威圧的で、仏と他二体の金メッキの像が、蓮の花の上に結跏趺坐し、花弁の列が何重にも繰り返され、路傍の像にも写される永遠の静寂の表情を顔に持っていた。仏龕の前では、数本のろうそくが、祈祷を頼んだ人々の供物として燃え、全体は二つの灯が低く燃えて照らされていた。祭壇の段には、よくねじれた鬼が居心地悪そうにうずくまっており、制伏され、辛辣な皮肉により、重い香炉を肩に担がされている。この社には百以上の偶像が列に立っており、多くは実物大、一部は鬼を足元に踏みつけているが、すべて醜く、明るい緑、朱、青で彩色されているからである。目立つ筋肉の発達がすべてを特徴づけ、像か顔はすべて何らかの力強い動作で、一般に過度に誇張されている。  中庭を横切っている最中、地震が二回あった。屋根の縁を飾る金の風鈴が静かに鳴り、数人の僧が社に走り込み、半時間の間、様々な太鼓を打った。家光の霊廟は、拝殿の右の段を上って至る。家康と同じ様式だが、正面の門は銅製で、大きな梵字が明るい真鍮で刻まれている。数多くの眺めの中で最も美しい一つは、社の最上の門からのものである。二回目の訪問では日が照り、仏石の木々の春の色合いが明るくなり、暗いスギの枠に縁取られた。  一部の建物は銅板で葺かれているが、多くは瓦葺きである。しかし瓦葺きは、日本ではほとんど美術の品位まで高められている。瓦自体は銅色がかった灰色で、金属の光沢を思わせる。わずかに凹形で、目地は完全に凸形の別の瓦で覆われ、棟から太い筒のように下り、軒先では徳川の紋章が金で描かれた円盤で終わる——これらの社では、場違いにならない限りどこにでもある。屋根はとても重いので、下の重厚な彫刻された梁のすべての強度を要し、他のすべてと同様、金、またはそれを模したもので輝いている。  これらの社は、その種類として日本で最も驚くべき作品である。スギの威厳ある環境の中で、地面から三フィートのところで幹周り二十フィート未満のものは少ないが、西洋美術のすべての規則に逆らって、美によって人を虜にし、これまで知らなかった形と色の組み合わせの美を認めざるを得なくし、漆塗りの木が芸術における非常に高い理念の表現に自らを貸すことができることを強いる。金は惜しみなく用いられ、黒、暗赤、白が、幅広く、かつ他に類を見ないほどの豪奢さで配されている。銅の透かし彫りだけが一つの学びであり、木彫は、その意匠と細部を極めるために、数週間の真剣な研鑽を要する。屏風か手すりの一つだけでも六十枚の板を持ち、それぞれ四フィートの長さで、驚くべき大胆さと深さの透かし彫りとして、孔雀、キジ、鶴、蓮、牡丹、竹、葉を表している。鳥の形と色への忠実さ、動きの輝きの再現は、これ以上ない。  花の彫刻は、それ以上に私の心をとらえる。芸術家はまさに喜びに酔って、喜びをもって彫り、彩色した。蓮の葉は露の潤いを保ち、牡丹は乳白の陰影を留め、竹の葉は優雅な茎の上でなお揺れ、松の硬い針葉とは対照的である。情熱的な生命の完璧な彩色をもつ無数の花弁が、華麗な透かし彫りの葉陰の中で開いている。これらの彫刻は深さ十から十五インチに及び、キジの尾の一本の羽が、ほとんど同じ深さの牡丹の六インチ手前に、完全に浮き出ている。  細部は社を離れるにつれ日々記憶から薄れ、代わりに、黒と赤の漆と金の絵画的な塊、音もなく開く金箔の戸、足音の一つも響かぬほど柔らかい畳の敷かれた広間、その薄明の中を斜めに落ちる日の光、鳥と花で彫られた壁と板、精巧な技を尽くした区画天井、内陣の黄金、六フィートの高さの金の百合、金織の幕、香炉の煙、巨大な鐘と金の棟、神話の獣——麒麟、龍、鳳凰——、象、猿、虎が花と木、金の透かし彫り、金地の網目模様、漆の屏風、塔、銅灯籠の林、金織の法衣を着た剃髪の僧、黒漆の帽子をかぶった神道の従者、所々に日の光を受けた金の輝き、質素な記念の壺、そしてバラツツジがその厳粛な陰を照らすスギ林に覆われた山腹——といった姿が心に残る。  ——イザベラ・L・バード --- ### 第9章:駄馬と荷鞍——湯元の硫黄泉(LETTER IX) - Chapter: 9 - Published: 2026-05-24 - Author: Isabella Bird - Series: 日本奥地紀行 > Synopsis: イザベラ・バードによる明治期の日本紀行。第9信、駄馬での試乗、湯元の宿と硫黄泉、そして「スクイーズ」の実態。 今日、私は試しに馬に乗って旅をし、八時間の連続移動で十五マイルをこなし、初めて日本の駄馬——多くの不快な話が伝わる動物で、これまで麒麟や龍と同じく神話的存在であった——に出会った。しかし蹴られも噛まれも投げ落とされもしなかった。この地方では牝馬だけが使われ、十四ハンドほどの、後脚が弱く、厚いたてがみと額の毛で頭がほとんど見えない、おとなしい生き物である。鼻に縄を通して引き、石の多い地面を除いては裸足で歩くが、そのときは馬を引く者——馬子——がわら草の足袋を結ぶ。荷鞍は、厚さ八インチのわらの二つの荷を、前後を強い橡の弓形の枠でつないだもので、枠は華やかに彩色または漆塗りされている。腹帯に当たるのは、胴の下に緩く結ばれた一本の縄だけであり、荷の安全は、通常は竹の一片で、鞍に縄と木製の算盤玉のようなものを通して取り付けた尻綱、および首に巻くもう一本の縄——高い前部を乗り越えてこの装置の頂上に這い上がるとき、足をそこに入れる——にかかっている。荷は注意深く釣り合わせねば失敗する。馬子はまず全体を手入れし、重さを正確に分けられないときは、一方または他方に石を足す。ここでは、巨大な雨笠を被り、着物をきつい青いズボンの上に結ぶ女性たちが、馬に荷を載せ、引く。私は壁の上から積み荷の載った馬の上に飛び降りた。鞍の隆起、横木、留め具、結び目の索具は、折りたたんだ布団——綿入りのわた敷——でなめらかにされ、馬の背から十四インチ上に座り、足は首の上にぶら下がった。注意深く体の均衡を取らねば、全体が倒れる。だが均衡はすぐに習慣になる。馬がつまずかなければ、荷鞍は平地では許容できるが、登りでは背骨にきわめて厳しく、下りでは耐え難いほどである。馬の頭の上を滑り落ちて泥沼に落ちたとき、ほっとした。そして全く無力である。馬は手綱を理解せず——あっても——盲目に六フィート先を歩く引き手について行くだけだ。  過酷な一日の旅の終わりは、内外とも美しく、旅で埃をかぶった凡人より妖精のほうにふさわしい、趣のある宿屋であった。襖は軽く削った木で甘い香りがし、畳はほとんど白く、縁側は磨かれた松材だ。入ると、笑顔の少女が梅の花の茶——繊細な杏仁の風味——、豆と砂糖の菓子、そして凍った雪の漆器の碗を持ってきた。経験豊富な鶏から骨の多い食事をとった後、夕方は戸外で過ごした。日本の温泉地は興味深い見物だからである。  湖と山の間には、絵のように美しい村を収める余地がほとんどない。整然としたきちんとした家々が、新しく削った赤みがかった杉で、一軒また一軒と重なっている。冬にはここに雪が十フィート積もり、十月十日には人々は美しい住まいを粗い筵で包み、屋根さえ覆わず、五月十日まで低地へ下り、一人を留守番に残す。彼は一週間ごとに交替する。家が私のものなら、雨の日ごとに包みたくなるだろう! ここへ馬で来たのは全く誤りであった。正しくは、駕籠——覆いのある籠——に乗って上ることだ。  村は二つの短い通りからなり、幅八フィートで、様々な格付けの宿屋ばかりから成り、深い軒、優雅な縁側、中国灯籠の列、開いた表構えという、変化に富んだ表構えをしている。場所は人で満ち、四つの浴場は込み合っていた。精力的な病人の中には、一日十二回入浴する者もいる! 歩いている者は皆、腕に青い毛巾をかけ、縁側の手すりは干すための青い毛巾で覆われていた。遊びの余地はほとんどない。山は村からすぐに立ち上がり、密林に覆われているので、短い通りか、私が来た道沿いにしか歩けない。湖上遊覧用の屋根付き舟が一隻あり、数人の芸者が三味線を弾いていた。だが賭博は違法で、浴場以外に公の集いの場がないので、人々はほとんどすべての時間を入浴、睡眠、喫煙、飲食に費やさねばならない。大泉は村を越え、土塁内の方形の池にある。力強く湧き上がり、悪臭の蒸気を放つ。池には一定間隔で板が渡され、リウマチに苦しむ人々は何時間もそこに横たわり、硫黄の蒸気の恩恵を受ける。泉の温度は華氏百三十度。だが水が開いた木管に沿って村へ流れると、八十四度にしかならない。湯元は標高四千フィート以上で、非常に寒い。  入道。——湯元を離れる前に、「スクイーズ」のやり方を見た。※訳注:使いと店側が観光客から不当に上乗せした料金を分け合う慣行。勘定を求めると、代わりに渡してくれず、主人は二階へ走り、伊藤にいくらにすべきか尋ね、二人で上乗せ分を分け合った。使いは買うものすべて、宿泊費すべてで「スクイーズ」を受け取り、非常に巧みに管理されるので防げず、妥当な範囲内なら心配しないのがよい。  ——イザベラ・L・バード --- ### 第10章:静かな日々——入道の村、学校と子供、旅の準備(LETTER X) - Chapter: 10 - Published: 2026-05-24 - Author: Isabella Bird - Series: 日本奥地紀行 > Synopsis: イザベラ・バードによる明治期の日本紀行。第10信、入道の静かな村生活——学校、子供の宴、花のしつらえ、夜の灯りと親心、そして奥地への旅立ちの準備。 ここでの私の、平和で単調な生活は、もうすぐ終わりを迎える。人々はとても静かで親切だが、ほとんど静かすぎるほどであり、私は村の生活の外側について、いくらかを知るようになり、この場所をかなり好きになった。  入道という村は、いまのところ日本の村の生活を私に縮図して示している。三百軒ほどの家が三筋の道に沿って建ち、区切りに三、四段の石段が置かれている。各道の中央には、石の水路を流れる急流があり、子供たち——とりわけ男の子——に無限の楽しみを与えている。彼らは水車で動かす、多くの独創的な模型や機械玩具を考案する。しかし午前七時になると、太鼓が打たれ、子供たちを学校へ呼び寄せる。その建物は、母国のどの学務委員会の学校にも恥じないだろう。私には欧米化しすぎていると思われた。子供たちは、本来のやり方でしゃがむ代わりに、高いベンチに机の前へ座り、とても居心地が悪そうに見えた。学校の設備は非常に良く、壁には立派な地図が掛けられている。教師——二十五歳ほどの男——は黒板を非常に自由に使い、生徒に素早く問いかけた。最良の答えをした者は、我が国と同様、クラスの先頭へ移った。服従は日本社会秩序の基礎であり、家庭で無条件の服従に慣れている子供たちの前では、教師は静けさ、注意、従順を確保するのに苦労しない。古風な顔が教科書に没頭する、ほとんど痛々しい真剣さがあった。外国人の入場という、めったにない出来事さえ、これらの幼い学生の気を散らすことはなかった。幼い生徒は主として物を見せる授業で教えられ、年長の生徒は地理や歴史の本を声に出して読む練習をした。非常に高い声調が用いられ、漢字読みも和読も、ともに最も不快な調子であった。算術と、自然科学のいくつかの分野の初歩も教えられる。子供たちは、五十音すべてを含むと理解した、一首の詩を暗唱した。次のように訳されている——  「色も香も、いづれも移り行く。  世の中に、ながきものはなし。  今日は、虚無の淵に消え行く。  夢の過ごし形に過ぎず、わずかな煩いを残すのみ。」  これは、疲れた享楽主義者の叫び「虚しい、虚しい、すべては虚しい」のこだまであり、東洋人特有の人生への嫌悪を示しているが、幼い子供が学ぶには、実に陰気な歌である。かつて日本教育の基礎であった漢文の古典は、いまは主として漢字の知識を伝える手段として教えられ、それに多少の習熟を得るために、子供たちは多くの無益な労苦を強いられる。  悪行に対する罰は、かつては脛の前部を鞭で数打ちすること、または人差し指を灸で軽くやくこと——家庭ではいまも一般的な罰——であったが、教師の話では、いまは学校に残ることだけが用いられる唯一の罰であり、追加の課題を課す我が国のやり方には、大いに不賛成の様子であった。十二時になると、子供たちは整然と学校の敷地を出て、男子と女子に分かれ、その後静かに解散した。  帰宅すると子供たちは昼食をとり、夕方にはほとんどすべての家で、宿題の準備の単調な低い声が聞こえる。夕食後は遊びに解放されるが、女の子はしばしば午後中、背中に赤ん坊を背負い、人形を世話しながら家の中をうろつく。ある夕方、六十人の男の子と女の子の行列に出会った。皆、黒い丸の描かれた白い旗を持ち、先頭だけが金の丸の白旗を持ち、歩きながら歌い——むしろ叫ん——だったが、他の遊びは、最も座りがちなものであった。水路の水車で動かす機械玩具は、実に魅力的である。  この家では、正式な子供の宴が催され、十二歳の家の子——女の子——の名で、正式な招待状が送られる。午後三時頃、客が到着し、しばしば従者に付き添われる。この子、ハルは、石段の上で出迎え、一人ずつ応接の間へ案内する。そこでは、よく理解された序列の規則に従って配席される。ハルの髪は後ろに引かれ、前を高く結い、二重の輪にまとめ、その中に緋の縮緬がねじり込まれている。顔と喉は白く塗られ、塗りは首の後ろで三つの尖りで終わる。そこから生えた短い髪は、毛抜きで注意深く抜かれている。唇はわずかに朱を塗られ、顔は安物の人形のようである。青地に花柄の絹の着物を着て、裾に触れる袖、裏が緋の青い帯、塗られた首と着物の間には緋の縮緬の一折れがある。小さな足には白い足袋——綿布の靴下で、親指用の区画が別になっており、石段の上で客を迎えるとき履く、精巧に漆塗りされた下駄の緋の鼻緒が親指と他の指の間を通れる——をはいている。他の小さな婦人たちも同じ様式で、皆、下手に作られた人形のように見えた。彼女は、非常に正式だが優雅なお辞儀で迎えた。  皆が揃うと、彼女と非常に優雅な母が、各客の前にしゃがみ、漆器の盆に茶と菓子を出し、その後、薄暮まで、とても静かで礼儀正しい遊びをした。互いに、女性にのみ用いる敬称の接頭辞「お」と、敬意を表す接尾辞「さん」を付けて名前で呼び合った。ハルは「おハルさん」となり、これは「ミス」に相当する。家の女主人は「お上さん」と呼ばれ、「おくすま」——「奥様」に近い——は既婚の婦人に用いられる。女性には姓がない。したがって、サグチ夫人とは言わず、サグチさんの妻と言い、彼女には「おくすま」と呼びかける。子供たちの名には、ハル(春)、ユキ(雪)、ハナ(花)、キク(菊)、ギン(銀)などがあった。  遊びの一つは、実に面白く、幾分気概と、多くの威厳をもって行われた。一人の子が病気を装い、もう一人が医者を演じるもので、後者の威張った厳格さと、前者の苦しみと弱さは、非常にうまく模倣されていた。不幸にも医者は患者を殺し、白塗りの顔で死の眠りを非常に効果的に装った。続いて葬儀と喪が行われた。彼らはこのように、結婚、晩餐会、人生の他の多くの出来事を劇にする。これらの子供たちの威厳と落ち着きは、驚くべきものである。事実、日本の礼儀の規則が要求するすべてへの入門は、話せるようになると同時に始まるので、十歳までには、あらゆる可能な状況で何をすべきか、何を避けるべきかを正確に知っている。去る前に、再び茶と菓子が回され、礼儀上、断ることも、一度取ったものを残すこともできないので、小さな婦人たちの数人は、余りを広い袖の中へ忍ばせた。去るときも、来たときと同じ正式な礼が用いられた。  ハルの母、ユキは、話し、振る舞い、動きに、魅力的な優雅さがある。夜と、よくある午後の茶の訪問を除けば、常に家事——掃除、裁縫、料理——か、野菜の植え付けや除草に励んでいる。日本の少女は皆、裁縫を学び、自分の着物を作るが、我が国で裁縫の時間を恐ろしいものにするような、ああいった難解さはない。着物、羽織、帯、長く垂れる袖でさえ、平行な縫い目だけであり、それらは仮縫いに過ぎない。着物は洗うときにばらされ、各布片はごくわずかに糊付けされてから、板の上に張って乾かされる。裾当てやフリル、マチ、ボタンホールといった下着はない。貧しい女性は着ない。それ以上の者は、ユキのように、上着と同じくらい単純に作られた、泡立つような縮緬の下着を着る。ここにも、多くの村と同様、貸し本屋があり、夕方にはユキもハルも、大衆の好みに合わせて書き直された、古代の英雄とヒロインの恋物語、もっとも易しい文体で書かれたものを読む。伊藤の部屋には小説が十巻ほどあり、夜の半ばまでそれを読んで過ごしている。  ユキの息子、十三歳の少年は、しばしば私の部屋へ来て、漢字を書く技を見せる。非常に利口な少年で、絵を描く才能もかなりある。実際、書から絵へは、ほんの一歩である。ジョットの「お」は、これらの文字のいくつかが示す幅広く力強い筆致以上のものを含んでいるとは言えないが、彼らは筆ではなく、墨を含んだ獣毛の筆で書く。少年は、二、三の力強い筆触で、一フィートの長さの文字を書き出す。それは、各店の外に掛けられる看板のようなものである。ユキは三味線を弾く。これは、国の女性の楽器と見なしてよい。ハルは同じ楽器のために、毎日師匠のもとへ通っている。  花を生ける技は、手引書で教えられ、その研究は少女の教育の一部をなす。私の部屋が日替わりに新しく飾られない日はほとんどない。それは私にとっても教育である。しつらえにおける「一」の美の極致を、私は理解し始めている。床の間には、極めて美しい掛物が吊るされている。白絹に描かれた、開花した一枝の桜である。折り屏風の一面には、一輪のアヤメ。磨かれた柱に優雅に吊るされた花瓶には、それぞれ一輪の牡丹、一輪のアヤメ、一輪のツツジ——茎、葉、花弁すべて——が、その完全な美のまま飾られている。茎、葉、花弁さえも残忍に押しつぶされ、各花の優雅さと個性が体系的に破壊される、色とりどりの花を同心円状に並べ、シダと硬いレース紙で縁取った、我が国の「花屋の花束」ほど、滑稽で野蛮なものがあり得ようか。  金谷は、この村の首長であると同時に、神道の祭礼で不協和音を奏でる音楽の指導者でもあり、どこか奥の部屋で薬を調合して売っている。私がここにいる間、庭の美化が彼の主たる目的であり、立派な滝、急流、小さな池、素朴な竹の橋、いくつかの草の土手を作り、大きな木を何本か移植した。彼は親切にも、よく一緒に出かけてくれる。非常に聡明で、伊藤も優秀で、忠実な通訳になりつつあると思うので、ここにいるのは実に愉快である。  彼らは明け方に起き、眠るときに使った綿入りの布団を畳み、木製の枕——立体視鏡に似た形で、上面に紙や綿の小さな巻きがある——とともに、引き戸の押入れに入れ、畳を注意深く掃き、木部と縁側の埃を払い、雨戸——夜には家全体を囲む縁端の溝に沿って滑る木製の障子で、昼間は装飾的な出張りの中に収まる——を開き、紙の窓を引き戻す。朝食の後は家事、正午に昼食、裁縫、園芸、訪問で六時まで過ごし、その後夕食をとる。  訪問者はたいていその直後に来て、十一、十二時まで滞在する。日本将棋、物語、三味線が夕方の前半を埋めるが、後半になると、彼らが歌と呼ぶ、実に苦しむような演奏が始まる。それはまるで異教の本質のように聞こえ、主として長く震える「のー」から成る。それを聞くと、野蛮人の中にいるような気がする。訪問者が去る前には、必ず酒が回される。底に福の神が描かれた小さな杯である。温めると、酒はすぐに頭に回る。小さな杯一つで、半ば気の弱い下男を、実に愚かな音楽の演奏へと興奮させる。書くのは残念だが、主人と女主人は、彼が自分を馬鹿にするのを見るのを大いに喜び、方針上、完全な禁酒者の伊藤は、笑いの発作に陥る。  ある夕方、家族に招かれ、絵入りの案内書を見せてもらった。日本のほとんどの地方には、最も目立つ名所を木版画で描き、行程、宿の名、その他の地方情報を記した案内書がある。絹に非常に精巧に描かれた絵の一巻は、一世紀以上前のものであった。古い金漆と磁器、そしていくつかの古い刺繍の絹も、私のために出された。二百年以上前のものだという、非常に美しい楽器も。これらの宝物は家の中には置かず、近くの防火蔵——蔵——に収められている。部屋は装飾品でぎゅうぎゅうではない。掛物一つ、または上質な漆器や磁器が、数日間現れ、次のものと入れ替わる。したがって、単純さとともに変化もあり、各物が、気を散らすことなく、その番を楽しむ。  金谷とその妹は、よく夕方私の部屋を訪れ、床にブントンの地図を広げ、新潟へという驚くべきルートを計画するが、そこに道路のない山脈があるとわかると、たいてい突然放棄する。これらの人々の生活は、た易く過ぎるように見えるが、金谷は金の不足を嘆く。裕福になりたい、外国人向けの旅館を建てるつもりだと言う。  彼の家に残る宗教の痕跡は、神棚だけである。その上には、神道の社に似た木製の祠が置かれ、故き親族の位牌が納められている。毎朝、常緑の小枝と、少量の米と酒がその前に供えられ、毎晩、灯が点される。  日本人が早く起きるのも無理はない。彼らの夕方は、陰鬱な照明のせいで、実に物憂い。この家でも他の家でも、灯は四角か円形の漆の台に、高さ二フィート半の四本の柱と白紙の障子から成る。平らな鉄の皿がその中に吊るされ、油が満たされ、中央に重りを付けた灯芯の茎が横架され、突出した一端に火が点けられる。このみすぼらしい装置を行灯と呼び、そのみすぼらしい「見える闇」の周りに家族が寄り集まる——子供たちは遊びや宿題をし、女性たちは裁縫をする。日本の昼は短く、家は暗い。これ以上に嘆かわしいのは、行灯と同じ高さの燭台で、上の尖りが、植物性のろうでできた「極小のろうそく」の底の穴にはまり、巻いた紙の太い芯は常に芯切りを要し、短い間、かすかで不安定な光を与えた後、悪臭を放って消えるものである。鉱物油を燃やす灯——国産も輸入も——が大規模に製造されているが、それに伴う危険を除けば、地方へ油を運ぶ費用は非常に高い。日本人は、部屋に行灯を一晩中点けておかずに眠ることは考えない。  これらの村は店であふれている。何かを売らない家はほとんどない。買い手がどこから来るのか、どうやって利益が出るのかは、謎である。多くは食べ物——干した魚を一インチ半の長さで串に刺したもの、米、粉、ごく少量の砂糖から成る菓子、餅と呼ばれる米団子の丸い塊、塩水で煮た根、豆から作った白いゼリー——や、縄、男と馬用のわら草の履き物、わらの雨合羽、紙傘、紙の雨合羽、簪、爪楊枝、煙管、紙のハンカチ、竹、わら、草、木で作られた数多くの小物などである。これらは店頭に並び、通りに面した奥の部屋では、あらゆる家事が行われ、女主人はたいてい、背中に赤ん坊を背負って湯を沸かしているか、裁縫をしている。最近、マッチ工場が建てられ、多くの表構えでは、男たちが薪をマッチ用の長さに切っている。他では、米を搗いている。非常に骨の折れる作業で、床に埋め込まれた臼の中で、長い水平のてこに取り付けられた平らな端の木杵で穀物を搗く。てこの反対端に立つ男は、例外なく裸で、足で動かす。  ある家では女たちが機織り、他では綿を紡いでいる。たいてい三、四人——母、長男の嫁、未婚の娘一、二人——が一緒である。娘は十六歳で嫁ぐ。やがて、これらの健やかで、血色のよい、健康的な姿は、歯を黒く染め、眉毛を剃ること——婚約後、なければ第一子の誕生時に行われる——により、虚ろな顔の、やつれた中年の女へと変わる。他の家では、畳の上に折りたたみ式の台に置かれた円形の金属の鏡の前で、歯を黒く染めたり、腰まで裸になって洗身したりしている。早朝、子供たちが学校にいる間、村は非常に静かである。帰ると、少し活気づくが、遊びでも静かである。日没に男たちが帰り、少しにぎやかになる。入浴の水音がよく聞こえ、その後、幼い子を抱いて遊ばせ、年長の子は、翌日の宿題のために、高く単調な調子で暗唱する。暗くなると、紙の窓が引かれ、外の木製雨戸が閉められ、神棚の前に灯が点けられ、夕食がとられ、子供たちは行灯の周りで静かな遊びをする。十時頃、布団と木製の枕が押入れから出され、雨戸に掛け金がかかり、家族は一室に横たわって眠る。小さな盆に食べ物と煙草盆が、常に大人の寝る者の手の届くところにあり、夜中に灰を管から叩き落とす音に、かなり慣れる。子供たちは親と同じくらい遅くまで起きており、すべての会話に加わる。  子供をこれほど喜ぶ人々を、私は見たことがない。抱えて歩いたり、手を取って歩いたり、遊びを見守り参加したり、絶えず新しい玩具を与えたり、遠足や祭りに連れて行ったり、彼らなしでは満足せず、他人の子供にも適切な愛情と注意を払う。父も母も、子供を誇りに思う。毎朝六時頃、十二、十四人の男が低い壁に座り、それぞれ二歳未満の子を腕に抱え、可愛がり遊ばせ、その体格と知恵を見せびらかすのは、実に面白い。見た目から判断すると、子供がこの朝の集まりの主たる話題である。夜、家が閉まった後、引き戸を隠す縄や籐の長い房越しに、家族の懐にいるときだけ「褌」※訳注:当時の男性用の下帯——だけを着た父が、醜くも優しげな顔を優しい赤ん坊にかがみ、母——着物を肩から落としていることが多い——が、衣服のない二子を腕に抱いているのが見える。いくつかの理由で男の子を好むが、確かに女の子も同様に可愛がられ、愛されている。子供たちは、我々の考えでは優しすぎ、形式張りすぎるが、容姿と振る舞いは実に好感が持てる。完全に従順で、親を助ける用意があり、幼い子に優しく、私が遊びを見守った数多くの時間の中で、怒った言葉を聞いたことも、不機嫌な顔や仕草を見たこともない。しかし、彼らは子供というより小さな大人であり、古風な外見は、以前述べたように、大人と同じ装いによって、大いに助けられている。  しかし、少女の髪型には、いくつかの様式があり、それによって、結婚まで——そのとき髪型は明確に変わる——の年齢をかなり正確に推定できる。男の子は皆、頭が重く、異常に大きく見える。部分的には、最初の三年間、頭を丸刈りにするという醜悪な習慣のせいである。その後、髪は三つの房で生え、両耳の上と首の後ろに一つずつ。しかし、しばしば頭の後ろの上にも一房を生やす。十歳で、頭頂だけを剃り、前髪を残す。十五歳で、男子としての責任を負うとき、髪は大人のように生える。大きな頭に描かれた滑稽な模様を持つ、これらの少年の厳粛な威厳は、実に面白い。  このように晒された頭蓋が、常に滑らかで清潔であればよいのに。疥癬、白癬、輪癣、目の病、不健康な発疹など、ああいった忌まわしい病気の蔓延を見るのは、実に痛ましい。村人の十分の三は、はっきりと痘痕で傷ついている。  旅のために八石※訳注:日光の八石地区。著者表記 Hachiishi。——で、少し買い物をしなければならなかった。店の表構えは、すべて開いており、床の高さ——地面から約二フィート——に、磨かれた木の広い縁があり、そこに腰を下ろす。青銅の火鉢で、永遠に湯を沸かし、真鍮の箸のような火箸で炭を巧みに動かし、背中越しに赤ん坊を静かに覗かせている女が、店の女主人である。しかし、買う意志があると思うまで、無関心のままである。そう思ったとき、地面まで深くお辞儀して出てくる。私も礼儀正しく立ち上がり、お辞儀を返す。それから私か伊藤が値段を尋ねると、六ペンスで売るべきものを四シリングと言うかもしれない。三シリングと言えば、笑って三シリング六ペンスと言い、二シリングと言えば、再び笑って三シリングと言い、煙草盆を差し出す。最終的に、一シリングを渡して妥協する。彼女は実に喜んでいるように見える。双方、深くお辞儀し「左様なら」を重ね、勤勉な女に物の価値の倍を渡し、自分にとっては物の価値より少ない額を払った、という心地よい気持ちで去る!  理髪店がいくつかあり、夕方は実に忙しい。理髪は、村の生活の全般的な私的でない性質の一部であり、店の高い開いた表構えで行われる。石鹸は使われず、過程は痛々しい。客は衣服を腰まで落とし、左手に漆の盆を持ち、切り落とされた髪を受ける。醜い日本人の顔は、このとき、操作者に顔を掴まれ引き回され、生み出している効果を判断するためにあらゆる方向に向けられるので、最も滑稽な、不動の諦めの表情を呈する。顔を剃って滑らかに光らせ、辮を切り、蝋を付け、紙の縄で結ぶ——これらは、日光の夕方の見物の一つである。  漆器と、木に奇妙に彫られたものが、店の最大の魅力であるが、私には、日本の日常生活の実用品——その独創的な工夫と、適応と工芸の完璧さ——の方が、はるかに興味深い。種子が真に理想化されて並ぶ種屋は、毎日私を引きつける。三十種類が売られ、形も色も様々で、最も芸術的に台に並べられ、一部は、根、葉、花の写しを水彩で描いた包装に入れられている。少年がたいてい、畳の上に寝て、これらの実に立派な絵——大胆で、見た目は気軽な数筆で描く——を描いている。彼は喜んで、屏風の端切れとして牡丹を三銭で売ってくれた。私の購入品は、この例外を除き、必需品のみ——紙の雨合羽、外黒内黄の「円形」で、油を塗った正方形の紙を接着したもの、および荷物を覆う同じ大きな紙——であった。伊藤を、彼の嫌な黒い山高帽から、私と同じ鉢形の帽子へと追い出すことに成功した。醜いと思う彼だが、個人の虚栄心の分け前は大きく、歯を白く染め、出かける前に鏡の前で顔に粉を丁寧に塗り、日焼けを大いに恐れている。手にも粉を塗り、爪を磨き、手袋なしでは決して出かけない。  明日、贅沢を後に置き、内陸へ飛び込み、何とか日本海へ出ようとする。ここでは新潟への道以外、情報が得られない。新潟へは行かないと決めたので、ブントンの地図をよく研究した末、一か所を決め、「田島へ行く」とはっきり言った。そこへ着けば、さらに進めるが、学べることはすべて「道はとても悪い、山の中ばかりだ」という。自分の快適さを大切にする伊藤は、快適さを失うと言って行くのを止めようとするが、これらの親切な人々が、帆布を二重にして側柱の穴にレースで通し、巧みに寝床を修理してくれたし、ここ三日は米、卵、土虫ほどの太さと色の粗い素麺だけで暮らしているので、この見通しは私を怯えさせない! 日本には、東京に本社を置き、各町村に支店を持つ陸運会社があり、旅行者と荷物の輸送を、定められた料金で、駄馬と力足で手配し、正式な領収書を発行する。馬は農家から借り、各取引で適度な利益を得るが、旅行者を困難、遅延、ぼろ取りから救う。料金は地方によってかなり異なり、飼料の値段、道路の状態、借りられる馬の数によって調整される。一里——約二マイル半——につき、馬とそれを引く者で六から十銭、人力車と一人で四から九銭、荷物の力足も同程度である。※訳注:著者は後に、千二百マイル以上の旅でこの会社を利用し、常に効率的で信頼できると評している。私は常にこれを使うつもりだ。伊藤の望みには大いに反して、彼は農家との取引で、将来の「搾取」を多く見込んでいた。  これからの旅は、完全に「踏まれていない道」を行き、「古い日本」と呼べる地方を通る。お金と距離について、英語に相当する語がないので、日本語を用いるのが自然である。ここに記しておく。一円は、一ドル、つまり我が国の貨幣で約三シリング七ペンスを表す紙幣である。一銭は、半ペニーよりやや少ない。一厘は、中央に四角い穴のある薄い円形の鉄または銅貨で、十で一銭、千で一円となる。一文は、中央に穴のある立派な楕円形の銅貨で、五枚で四銭となる。距離は、里、町、間で測る。六フィートが一間、六十間が一町、三十六町が一里、つまり英里約二マイル半である。  私が道と書くとき、幅四から八フィートの馬道を意味し、人力車道はそのように明記する。  ——イザベラ・L・バード --- ### 第11章:快適さの喪失——鬼怒川の渓谷、藤原と居切(LETTER XI) - Chapter: 11 - Published: 2026-05-24 - Author: Isabella Bird - Series: 日本奥地紀行 > Synopsis: イザベラ・バードによる明治期の日本紀行。第11信、日光を離れ鬼怒川の奥へ——快適さの喪失、農家の素朴な装い、渓谷の壮景、藤原の惨状、そして居切の旅宿。 伊東の情報提供者の言は正しかった。快適さは日光に置き去りにされたのである!  小柄な女が今朝六時、元気のない牝馬二頭を連れて来た。一頭に鞍と轡をつけ、もう一頭には伊東と荷物を載せた。主人たちと私は心からの祝辞と礼を交わし、女が鼻に巻いた縄で私の哀れな牝馬を引きながら、日光の壮麗な社殿と厳粛な杉の森を後にし、長く清潔な通りを下り、追憶の杉並木が最も濃く暗いところで左に曲がり、小川の床のような小径に入った。その後は最も酷い山道となり、荒い岩塊の間を曲がりくねり、大谷川を何度も渡った——渡しは枝と土を敷いた仮の木橋である。日光山の低い尾根を一つ越えると、急峻な両岸に楓、樫、朴、楡、松、杉が茂る渓谷の間を進んだ。藤の花房がそれらをつなぎ、ツツジとライラックの房が彩りを添えた。あらゆる眺望は雄大な山に遮られ、滝は轟き、明るい流れが樹間を光らせ、六月の燦々たる日差しの下、国は実に美しく見えた。  一時間に一里にも進まなかった。岩の間を這うか、深い泥の中を這うかの、ただのもがきである。女は帯を締め上げた衣装と草履で勇敢に歩き、突然縄を放り投げ、叫び、後退して走った。大きな灰色の蛇に赤い斑点があり、大きな蛙を離そうとせず、人の接近に驚いて必死に獲物を飲み込もうとし、茂みへ這い込もうとしていたからである。三時間這った末、山の農家古白に降り、稲の谷の端に着いた。女は荷物を数えて無事を確かめ、礼を待たずに馬を連れて帰っていった。私は酒造りの裕福な家の納屋のそばにある家の縁側に椅子を置いた。貧しい数軒の家には大家族を抱える農民が住み、一時間待ち、腹を空かせ、薄茶と茹で大麦をもらい、また一時間、また一時間待った。馬は皆山で葉を食べていた。少し騒ぎがあった。男たちが大麦の束を背に負い帰り、軒下に積んだ。衣服の形だけの子供たちが何時間も立って私を見つめ、大人も恥ずかしげもなく輪に加わった。外国の女、フォーク、スプーンを見たことがないのである。マクレガー博士の最後の説教の一節を覚えているだろうか。「お前たちの何人かは、何と奇怪な光景を見ることになるだろう!」縁側にうつ伏せ、肘で体を支え、本を熱心に読む、体裁のよい中年の男——眼鏡一つを身に着けている——より奇怪な静止画があり得るだろうか。それに加え、女たちが井戸から水を汲む古い仕掛け——横木を支柱に渡し、一端に桶、他端に石——を頻繁に使っていた。  馬が来ると、男たちは轡をつけられないと言った。しかし多くの話の末、二人が馬の顎を乱暴に開け、三人目が好機を捉えて口金を口に滑り込ませることで、何とかなった。次の換え馬のところでは轡など聞いたことがない。口金を歯の近くに押し当てれば馬は自ら口を開けると私が言うと、傍観者は嘲るように「馬が口を開くのは食べるか噛むかのときだけだ」と言い、私が自ら轡をつけてみせるまで納得しなかった。新しい馬はラクダのように揺れる歩き方をし、木曾居という小さな山間の集落——非常に貧しい場所、みすぼらしい家、非常に汚く皮膚病に苦しむ子供、厳しい労働と薪の煙で複色と容貌が硬化し、正に醜さと化した女たち、彫像的でも何でもない体つき——でそれらとお別れできて嬉しかった。  私は見たままを書く。東海道や中山道、琵琶湖や箱根について書く旅行者の記述と矛盾しても、どちらかが不正確というわけではない。だが、これは書物で得たことのない、私にとって新しい日本であり、おとぎの国ではない。男たちはほとんど何も着ていないと言ってよい。女の多くは短い腰巻きを体にぴったり巻くか、脚のきつい青綿の股引——上は袋状——に、腰まで開いた青綿の上着を帯に押し込み、青綿の手拭を頭に結ぶだけである。服装から性別は分からず、顔からも分からない——眉毛を剃り、歯を黒く染めていなければ。短い腰巻きは実に野鄙に見える。女が裸の赤ん坊を背中か腕に乗せ、外国人をぼんやり見つめていると、「文明化された」日本にいるとは信じられない。頭を支えるほど強い子は母の肩越しに陽気に世界を見るが、六歳七歳の小さな子が軟骨のような赤ん坊を背中に背負い、刈られた頭が日に焼け、落ちそうに揺れ、看護婦の言うように目が頭の上を覗いているのを見るのは、常に私の心を痛める。この地方では蚕を多数飼っており、開放された納屋では自然のままの男たちと、腰まで裸の女たちが桑の枝を剥いていた。家は皆貧しく、人々は衣服も身体も汚れていた。若い女の中には、石鹸と水を充分に顔に使えば端麗になり得た者もいたかもしれない。だが石鹸は使われず、衣服の洗濯といえば流れの中で砂を少し擦る程度である。滑稽な誤解の仕方を一例示そう。荷馬の凶暴さと攻撃性について多くの話を聞き、同伴の尻を牧草代わりに食べ、人に激しく噛みつくのを防ぐため口輪をつけると言われた。今わかったのは、口輪は旅の間食べないためだけのものだということ。ここでは牝馬だけが使われ、最も温順な一族である。荷物の重さを一頭分と計算しても、弱い馬には重すぎて運送係が二頭三頭に分けても、一頭分しか払わない。木曾居を出るとき、私の一行は四頭の小さな逆立った毛の牝馬——茂った額の毛でほとんど見えない——に三頭の活発な子馬、女一人と少女三人が引くのに、私は一里七銭の二頭分しか払わなかった。  私の馬子は、労苦に鍛えられた、実に好意に満ちた顔——歯を黒く染めて醜くなっている——に、草履、青綿の股引に上着を押し込んだ、あり余に貧しく擦り切れた装い、青綿の手拭を頭に結んでいた。空が荒れて見えたので、藁の雨合羽——二枚の連なったケープで、一つは首、もう一つは腰に留める——を携え、直径二フィート半の平らな葦の笠が背中に盾のように下げられていた。岩の上を下り、深い泥の中を抜け、着実な足取りで歩き、時折振り返って少女たちがついて来るか確かめた。この似合わぬ装いが許す、たくましく確かな歩き方は、きついスカートと高い下駄に押し付けられた、より文明化された女たちの苦痛な足取りより好ましい。  古白から道は不規則な草の谷を通り、密に木に覆われた丘の間を進んだ。谷自体も公園のような松と西洋栗の塊に覆われていた。だが木曾居を出ると景色は変わった。急峻な岩地が鬼怒川へと導いた。鬼怒川は清らかに駆け落ちる川で、色付いた岩を深く切り開き、かなりの高さの橋で渡る——橋の急な曲線は実に恐ろしい——そこから高い山々、その中に二荒山——最も古い神道の伝説が結び付けられている——の眺望が開ける。しばらく鬼怒川の轟きの聞こえる間、馬に乗り、度々その壮麗な姿を捉えた——荒れ狂い斑岩の壁に閉ざされているか、広がり静まり、桃色と緑色の大岩の上に碧色の水を広げ、日に時折照らされ、虹に架けられ、深い日陰の淵で休むか、常に美しい。対岸を押し開いて進む山々は切り立ち、頂まで針葉樹に覆われ、道が沿う緩やかな側は下の斜面で緑の丘に曲がり、まだ花を咲かせていない立派な西洋栗、春も秋も緋色を保つ楓、私に新しい多くの花樹、赤いツツジ、ライラック、天の青と同じ青のアジサイ、黄色いラズベリー、シダ、クレマチス、白と黄のユリ、青いアヤメ、他五十の木と低木が絡み、藤の美しい葉が、我が国のブランブルの葉ほど一般である。植物の過剰さは実に熱帯的であり、最近の雨に滴る生きた緑の輝きと多様性は、午後の斜射日光によっていっそう増した。  通過した少数の集落は農家のみで、深い軒の屋根が住居、納屋、厩舎を一括して覆っている。あらゆる納屋では半裸の人々が種々の作業に励んでいた。米と酒を積んだ荷馬の牝馬が頭尾を結んで列をなし、大きな籠に桑の葉を満載して運ぶ男女に出会った。渓谷はますます美しくなり、矢のように真っ直ぐな杉の暗い森を登って、この美しく位置した村——稲作のために巧みに段を刻んだ数多の小渓谷が鬼怒川の大渓谷へ落ち込む——藤原に着いた。十一時間の旅で十八マイル!  六月二十五日、居切。——藤原には四十六軒の農家と一軒の旅宿——すべて暗く、湿っぽく、汚く、隙間風の吹く、住居、納屋、厩舎の合体である。旅宿は台所——開放式の厨房——と厩舎が下に、小さな屋根裏部屋が上にあり、仕切れるようになっていた。散歩から戻ると、通らねばならない部分に、極めて略式な装いの日本人六人が占拠していた。それが片付くと席に着いて書こうとしたが、畳から砂浜の砂ハゼのように跳ね出る無数の蚤に追われ、軒下の縁側へ退いた。縁端でも、手紙の上を跳ね回った。毛の生えた泥の二重の外壁には生き物が這い、梁がむき出しで蜘蛛の巣が垂れ、畳は年月と汚れで茶色く、米はカビ臭く完全には選別されておらず、卵も日の浅いもの、茶もカビ臭かった。  伊東とともに戸外ですべてを見た——黙々たる勤勉、美しく位置した村、夕刻の営み、静かな退屈——それから縁端からすべてを眺め、アジア学会紀要の論文から引用した、私がこの旅を企てた一節を読み返した。「鬼怒川の上流に沿った、実に絵のように美しいが困難な道筋があり、日本人にとっても外国人にとってもほとんど未知に近い。」上は純粋なレモン色の空、下は一フィート深の泥濘であった。道——今は泥沼——は急流が横切り、所々板で渡され、村を貫いている。この流れは同時に「洗面所」兼「飲み水」である。人々は仕事から戻り、板の上に座り、泥だらけの衣服を脱いで絞り、流れの中で足を洗う。両側には住居があり、その前には朽ちた堆肥の山があり、女たちはそれを砕き、裸足で踏み込んで泥状にしていた。作業中は皆上着と股引を着るが、家の中では短い腰巻きだけであり、数人の格式ある母親がその装いのまま道を渡って訪問するのを見たが、不適切さの感覚は皆無であった。幼い子供は紐とお守りだけを身に着けている。人、衣服、家は寄生虫に満ち、もし「悲惨」という語が独立して勤勉な人々に当てはまるなら、彼らは悲惨であった。暗くなると、部屋では甲虫、蜘蛛、ワラジムシが祭りを開き、同じ家にいる馬のせいで虻も多かった。寝台に虫除け粉を振りかけたが、毛布は一分間床に置いただけで蚤だらけになり、眠ることは不可能であった。夜は実に長かった。行灯が消え、酸っぱい油の強い臭いが残った。原始的な日本犬——クリーム色の狼のような見た目、コリーほどの大きさ、非常に騒がしく攻撃的だが、いじめっ子のように臆病——が藤原に大勢おり、吠え、唸り、争う声が明け方まで続き、争っていないときは遠吠えしていた。豪雨が降り、滴りの避けるために寝床を所々へ移さねばならなかった。五時に伊東が来て、去るよう懇願し、嗚咽するように言った。「眠れなかった、蚤が何千何万もいる!」彼は別の道で津軽海峡まで内陸を旅したことがあり、日本にこんな場所があるとは信じなかった、横浜の人々も彼の話——この場所のこと、女の装いのこと——を信じないだろうと言う。「外国人にこんな場所を見せるのは恥ずかしい」と。旅の才覚と並外れた知恵に、日々驚かされる。彼は俗語ではなく上品な英語を話したがり、新しい語と正しい発音、綴りを得たがる。毎日、私が使う彼の理解しきれない語を手帳に書き、夕方に持って来て意味と綴り、日本語訳を記す。彼の英語はすでに多くの通訳よりずっとよいが、米国の俗語と気軽な振る舞いを拾わなければ、より好ましいだろう。良い通訳が私には重要なので、さもなければこんな若く未熟な従者は雇わなかっただろう。だが彼は聡明すぎて、いまでは調理、洗濯、一般の世話、案内、通訳もこなし、年上の男よりずっと楽だと思う。彼が私を操ろうとしたのが分かったので——特に「搾取」の件——私は彼を操ろうとしている。彼は徹底的に日本的で、愛国心は個人的虚栄心の弱さと強さすべてを含み、外国のものはすべて劣っていると思う。我々の作法、目、食べ方は単に嫌悪に値する。彼は英国人の無作法の話を喜んで語り、道行く人すべてに「おはよう」と大声で叫び、茶屋の女給を驚かせ、力足を蹴ったり殴ったりし、泥靴で白い畳を踏み荒らし、一般に教養のない半人半獣の酒神のように振る舞い、素朴な地方で隠しきれない憎しみを煽り、自分と国を軽蔑と嘲笑に晒すと描写する。彼は私の行儀を非常に気にかけているが、私もどこでも日本式に礼儀正しくあり、日本の礼儀の一般規則を破らないよう同様に気を配っているので、何をすべきか避けるべきかの彼の助言を素直に受け、礼は日ごとに深くなっている!人々はとても親切で礼儀正しいので、外国人が親切でも礼儀正しくないのは実に蛮行である。ご覧の通り、私は伊東に完全に頼っている——旅の手配だけでなく、問い合わせ、情報収集、伴侶——ある意味での——にも。共に厳しく冒険的な旅に乗り出したことが、互いに親切で思いやりある関係にしてくれることを望む。名目上彼は神道家——それは何も意味しない。日光で『ルカ福音書』の前半を読み、放蕩息子の話でやや軽蔑的な笑いと言葉で遮られた。「なぜ、これはすべて我が仏陀の再来だ!」  今日の旅は非常に荒れたが、やや愉快であった。雨は正午に和らぎ、藤原を徒歩で出発した——米国式の「登山用洋装」とウェリントン靴を着用——この国で婦人が徒歩や荷馬の旅を楽しめる唯一の装い——軽い藁筵——地方の雨合羽——を肩にかけ、足首まで深い泥の中を荷馬二頭と共に進み、雨が晴れ、霧の間から山が見え、増水した鬼怒川が下で轟き、空腹のままでも楽しみが可能になった。やがて荷鞍に乗り、高田山の尾根を二千一百フィートの高さで巧みに設計された一連の蛇行路で越えた——一か所では八つが重なって見えた。そこの森は通常ほど密ではなく、山の下の斜面には立派な西洋栗が散在していた。下りは急で滑り、馬の足は弱く、大きくつまずいた後ついに倒れ、私は馬の頭上へ飛び出した——親切な女馬子の大いなる心配。藁靴は藁で蹄首に結ばれ——実に厄介である。「靴紐」は常にほどけ、藁靴は軟らかい地面で約二里、硬い地面では一里にも持たない。足を柔らかく海綿状に保つので馬はこれなしでは歩けず、薄くなると馬はつまずき始め、馬子は不安になり、やがて立ち止まる——鞍から下げた四つの靴を水に浸し、説得しながら結び、馬を地面から一インチ以上持ち上げる。これ以上一時的で不器用なものは考えられない。馬道には藁靴が散乱し、子供たちが堆肥用に腐らせるため集める。一組三、四銭、各村で男たちは暇な時間をこれを作ることに費やす。  次の宿高原では荷物用に馬一頭を得、川と渓谷を渡り、急な登りで開いた表構えと囲炉裏のある孤立した旅宿に着いた。到着時、見目のよい少女の一群が逃げ出したが、伊東が年長者に一言言い、すぐ呼び戻された。パークス夫人は横乗りの鞍と乗馬服で、髪を見るまで男と思われた。近ごろ夫と旅した、非常に美しく色白の若い友人も、髭を剃った男と思われた。私は帽子を被る——畑では女だけが日と雨から身を守るために被る——眉毛は剃っておらず、歯も黒く染めていないので、少女たちは私を外国の男と思った。伊東の説明では、「彼女たちは見たことがないが、皆が外国人が女の子に無礼だという話を持ち込み、実に怖がっている。」食べ物は米と卵だけで、十八組の黒い目の集中した視線の下で食べた。温泉——潰瘍に苦しむ多くの人が来る——川底、粗い石段の開放的な小屋にあるが、温度は確かめられなかった——男女が大勢水の中に座っていた。一日四回入浴し、一度に一時間留まる。  居切への五マイルの徒歩を豪雨の中で始めた——新しく作られた道は、瀑布のように流れ落ちる鬼怒川に完全に閉ざされ、時に低く、時に岩壁から突き出した支柱の上で高く運ばれた。日本でこれ以上美しいものを期待しない。  川は常に水晶のような青か緑で、雨で水量は大いに増し、鮮やかな色の岩の門を押し開き、進路は度々阻まれ、きらめきながら駆け落ちる全行程で休むことは稀である。高い山に壁のように囲まれ、壮麗に木に覆われ、暗い渓谷に裂け、滝が大きな白波の塊となって落ち、轟き響き、反響に増幅され、各渓谷は奥深くにもっと山、裂け目、滝の姿をのぞかせ、植物の過剰さゆえ灰色の崖か裸岩の姿を歓迎した。道沿いには魅惑的な細部——湿熱に喜ぶ多様な緑、シダ、苔、緑藻、菌類、蔓、小さなせせらぎを遮り、優美なエボシシダで羽のように見える洞窟へ落とし、粗い道に垂れ下がり川へ届く——頭上では細かく切れ込んだ、ほとんど羽のような数種の楓の葉が、光を緑の靄としてのみ通した。春の色調はまだ夏の単調な色へ暗くなっておらず、バラ色のツツジがまだ山腹を照らし、杉の塊が深さと陰を与える。それでもすべて美しいが、人は何か——熱帯のココヤシとバナナのような、驚くべき個性と形の優雅さを満たすもの——を求めてため息をつく。楓の羽根のような軽さ、杉の矢のように真っ直ぐな姿と金字塔形が他のすべてより好ましい。だが何を批評しよう? 十分の日照が全体をおとぎの国へ変える。  家も人もなかった。この美しい川を渡り、丘の尾根を越え——すべての木が非常に芳香の白い忍冬により絡み合い——開けた谷へ下り、静かな流れが声高な鬼怒川に合流し、さらに一マイルで二十五軒の美しく位置した集落、山に囲まれ、大川と呼ばれる小川に近い。日本の川名は連続性の欠如から地理的情報をほとんど与えない。川は三四十マイルの行程で、通過する地方に応じて何度も名を変える。これは二日間上流をたどってきた旧友鬼怒川である。狭さは絵になる助けとなる。居切は山坡に密集し、短く原始的な通り、温かい茶色と灰色、「雨上がりの晴れ」では実に魅力的。宿は丘の頂の運送会社——大納屋のような場所、一端に馬、他端に居間、中央に輸送待ちの産物、桑の枝を剥ぐ一群。近くの大名は東京行きの途中ここに止まったので、旅人のための二室——大名の部屋——高さ十五フィート、暗い木の立派な天井、障子は細工の名に値する、襖は芸術的に飾られ、畳は清潔で上質、床の間には古い金漆の刀掛。私の部屋は奥、伊東と旅人四人が手前を占める。非常に暗いが昨夜の後の贅沢。家の残りは蚕飼育に充てられている。藤原とここでの主人は旅券に慣れておらず、伊東は都会育ちの青年を装い、説明し写し取り、村中の男が集まって朗読を聞いた。「学術調査」の語は知らないが、自分の重要さを増すため私のことを誇張し、学者、すなわち博識の者!と人々に語るのを聞いた。警察署はないが、毎月警察が巡回し、辺鄙な旅宿の来客帳を調べる。  前よりずっと整った場所だが、人々は鈍く無関心に見え、大名と封建制度を廃し、穢多を公民に引き上げ、帝国を西洋文明の軌道へ急がせた人々について何を思うのか、私は不思議に思う。  石板葺きが茅葺きに代わって以来、村には称賛すべきものが多い——急な屋根、深い軒と縁台、屋根と壁の温かい赤褐色、農家の風変わりな混在、椿と石榴の生垣、竹の叢と柿の園、(汚れと悪臭にもかかわらず)農民地主の概して満足げな様子。  米と卵以外食べ物は得られず、日光の鶏と魚の記憶に悩まされ——公使館の「肉の鍋」は言うまでもなく——  「——より深い悲しみの冠たる悲しみは、   かつての幸福を思い出すこと」  夜は水銀柱七十度まで下がり、毛布は夏用だけ、蚤のため布団——寝るときも被るときも——で補う勇気はない。たいてい七時半に就寝する——薄暮はほとんどなく、行灯か燭の暗さでは起きている誘惑はわずか——遅く揺れつまずく馬に乗るこれらの日々は非常にきつく、少しでも歩けるなら確かに徒歩を選ぶだろう。 ——イザベラ・L・バード --- ### 第12章:貧困の矢筒と分水嶺——続・日本の渡し(LETTER XII) - Chapter: 12 - Published: 2026-05-24 - Author: Isabella Bird - Series: 日本奥地紀行 > Synopsis: イザベラ・バードによる明治期の日本紀行。第12信、六日間の厳しい旅の記憶、分水嶺、萱島の悲惨な宿、病人の群れ、衛生と早老、そして山伏道と渡しの旅。 六日間の厳しい旅の後、高所の静かな場所での日曜日の休息は、実に心地よい! 山と峠、谷と稲の沼、森と稲の沼、村と稲の沼、貧困、勤勉、汚穢、荒廃した社、倒れた仏像、藁靴の荷馬の列、長く灰色で特徴のない通り、静かに見つめる群衆——これらすべてが、記憶の中で幻想的に入り混じっている。好天に恵まれ、居切から横川まで美しい景色を通り、横川では茶屋の無数の蚤を避けるため、通りで昼食をとった。ほとんど全村の住民が輪になって見ていた。最初は子供たち——老若問わず——が非常に怖がって逃げたが、次第に恐る恐る戻り、親の裾(この場合、比喩的な表現である)にしがみつき、私が見るたびに再び逃げた。群衆は、筆記に尽くせないほど汚く、みすぼらしかった。なぜ「貧困の矢筒」はこれほど満ちているのか、と人は問う。温和で裸同然の、古風な子供たちの群れを見ながら——厳しい労苦の遺産を受け継ぎ、親と同様に寄生虫に食われ、税金に押し潰される運命にある——。鞍が締め付けられる前に馬が蹴り、鞍を落とした。群衆は左右に散り、二時間にわたって外国人を見つめるために中断されていた仕事が再開した。  長い登りが、高さ二千五百フィートの峠の頂上へと導いた。幅わずか三十フィートの突出した尾根から、山々と渓谷、絡み合った数多の流れの壮観が見渡せる。そこから活発な急流となり、数時間その流れに沿って進み、やがて広い稲の沼地をのんびり流れる静かな川へと広がった。地図はこの地方は空白だが、私は——後に正しかったと判明した——その峠で分水嶺を越え、それ以降の流れはもはや太平洋ではなく日本海へ注ぐと判断した。糸沢では馬が耐えられないほどつまずき、最後の一駅は歩き、萱島——五十七軒の惨めな村——に着いた。疲れ果ててこれ以上進めず、藤原よりさらに劣る宿泊に耐えねばならず、その過酷さに耐える力も乏しかった。  宿は実に恐ろしかった。台所には大きな薪の火が溝で燃え、全体を刺すような煙で満たし、朽ちた障子で仕切られただけの私の部屋も免れなかった。梁は煤と湿気で黒く光っていた。床にひたすら跪いていた主人は、伊東に追い出されるまで続け、家の汚れを謝罪した——当然のことだ。息苦しく、暗く、煙い部屋であったが、通りに群衆が集まったため、紙障子を閉めねばならなかった。米も醤油もなく、伊東は自分の快適さを重んじ、主人や召使に大声で乱暴に話し、私の物を投げ散らかす——この振る舞いを即座に止めた。外国人にとっても、人々にとっても、従者が無礼で威圧的であることほど有害なものはない。主人は実に丁寧で、私に近づくときは必ず膝をついた。旅券を渡すと、額に当て、次に額を地面に付けた。  食べられるものは黒豆と茹でた黄瓜しかなかった。部屋は暗く、汚く、卑劣で、騒がしく、下水の臭いで毒されていた——残念ながら部屋はしばしばそうなる。稲植えの終わりには二日間の休日があり、稲作の神稲荷に多くの供物がなされる。この休日を祝う者たちは一晩中宴を続け、固定式と可搬式の太鼓が絶えず打たれ、睡眠を妨げた。  主人の息子の小さな男の子が非常に激しい咳をしていて、私が与えたクロロダイン※訳注:当時広く使われた鎮咳・鎮痛剤。数滴ですっかり鎮まった。その治癒は翌朝早くに広まり、五時にはほとんど全村が部屋の外に集まり、足音の擦れる音と、紙障子の多くの穴に当てられた目があった。障子を開けると、目の前の痛ましい光景に当惑した。人々が互いに押し合い、皮膚病、癩頭、白癬に覆われた裸の子供を抱える親、ほとんど盲目の母を連れる娘、痛々しい潰瘍を見せる男、虻に群がられ眼症でほとんど閉ざされた目を瞬かせる子供——病人も健康な者も、実に「卑しい衣」に、嘆かわしいほど汚く寄生虫に群がれ、病人は薬を、健康な者は病人を連れて来るか、無関心な好奇心を満たす。悲しく彼らに告げた。私は彼らの数多の「病と苦しみ」を理解しておらず、たとえ理解しても薬の備えがなく、我が国では衣服の常の洗濯と、清潔な布による摩擦を伴う皮膚への水の常の当てが、同様の皮膚病の治療と予防に医師が大いに頼ると。彼らをなだめるため、動物の脂と硫黄の軟膏を、苦労して誰かの蓄えから取り出し、最も重い症例への塗り方を教えた。腹帯に慣れない馬は鞍を付ける最中に落ち着きなくなり、群衆の中で大混乱を起こし、馬子は再び触れなかった。彼らは温順な牝馬を豹のように恐れる。子供は皆相当の距離まで付いて来た。かなりの数の大人も同じ方向へ行く口実を作った。  これらの人々は下着を着ず、衣服はめったに洗われず、昼夜を問わず、ほつれない限り常に身に着けている。夜には家を可能な限り密閉し、多数で一室に寝、最初から炭と煙草の煙で汚れた空気の中、汚れた衣服のまま綿入り布団に丸まり、布団は昼間密閉した戸棚に入れ、年の終わりから年の始まりまでめったに洗われない。畳は見かけはまあまあだが、その下は虫で溢れ、塵、有機物などの受け皿である。髪は油と整髪糊で重く、週に一度——この地方ではそれより稀に——結い、嘆かわしい結果について詳述する必要はなく、他にも想像に任せるべきことが多い。人々、特に子供の身体は寄生虫に侵され、皮膚のただれの一因はこの刺激である。家の床は畳に隠され、板の間に隙間を空けてぞんざいに敷かれ、湿った土は十八インチか二フィート下にあるので、あらゆる種類の臭いが畳に入り込み、部屋へ通じる。  この地方(私はどこでもそうだと信じる)の家は、夏冬を問わず夜に密閉される。雨戸は換気口のないので文字通り箱に閉じ込め、崩れかけていない限り——稀なことだが——多数の人の呼吸、身体と衣服からの臭い、不完全な家庭設備から生じる瘴気、炭火鉢の煙によって汚れた空気は、決して新しくならない。運動は自発的にはめったに取られず、女が畑で働かない限り、年間五か月、一日中炭の煙にかがみ、終わりのない調理、または暖を取ろうとする試みに従事する。農民の食事の多くは生または半生の塩魚、粗く漬けて消化しにくくした野菜——すべて驚くべき速さで飲み込まれ、人生の唯一の目的が最短時間で食事を終えることであるかのよう。既婚の女は若さを知らなかったかのように見え、皮膚はなめし革のよう。萱島で五十歳ほどに見えた女主人に年を尋ねた(日本では礼儀ある問い)と、二十二と答えた——同様の驚きの一つ。息子は五歳で、まだ離乳していなかった。  この余談は、人口の一側面を説明する。  田島——かつて大名の居城——で馬を換え、日本の町としてはやや絵になる。下駄、粗い陶器、粗い漆器、粗い籠を作り輸出する。  三十ヤード四方から四分の一エーカーまでの稲田を通り、堤の頂に矮性豆を植えて利用し、荒川——二日間その支流をたどってきた——という大河に至った。数の汚れた村——汚れて勤勉な住民——を通り、舟で渡った。両岸に堅固に打ち込まれた高い杙が、数筋結んだ藤の縄を支えた。一人が手を交互に引き、もう一人が船尾で櫓を操り、急流が残りを為す。この方法でその後も多くの川を渡った。渡し船にも、料金の取られる橋にも、料金表が掲示され、事務所に人が座って金を受け取る。  国は実に美しかった。眺望は以前の日より広く見事で、頂まで木に覆われた尖った山々の大きな弧を取り込み、山伏峠の頂から、群れをなした峰々が夕日の黄金の靄の中で、この世のものとは思えない美に変わった。蚕場、郵便局、運送会社、大名の部屋を兼ねた家に、大内という集落で泊まった——山に囲まれた谷に美しく位置している。翌朝早く出発し、非常に壮麗な騎行をした——火口状の窪地に美しい小湖小宅、それから壮麗な市川峠を登る。皮肉な敬称で「本道」と呼ばれるものから、悪質な道へそれた——横方向の波状の連なり、幅一フィートほど、間の窪みは一フィート以上深く、荷馬が互いの足跡を踏む不変の歩みで形成された。各穴は粘着性の泥沼、登り二千四百フィートは非常に急で、馬子は終始「ハイ! ハイ! ハイ!」と馬に促した——極度の注意が必要であると馬に思わせるものとされている。靴は常にほどけ、四マイルで二組使い切った。峠の頂——多くの他の峠と同様——は狭い稜線で、向こう側では道が突然巨大な渓谷へ落ち込み、その側面に一マイルほど下り、川の反響する轟きが一切の会話をかき消した。壮麗な眺めだった——木に覆われた断崖の間を下り、藍色の影の深さに横たわる起伏のある木立の平原、木に覆われた山脈の連なりに囲まれ、雪を大斑にした高みが上にそびえる! 植物相はより穏やかな気候を示した。朴と竹が再び現れ、熱帯のシダが美しい青のアジサイ、黄色い日本ユリ、大きな青いキキョウと混じった。木の海が美しい蔓(マタタビ)に絡まれ——白い葉の豊富さが、遠くでは大きな白い花房のように見える。だがこの地方の森の下草は魅力的ではない。その構成要素の多くは雑草の名に値する——不格好でぼろぼろの散形花序、粗いギシギシ、盛んなイラクサ、他にも知らない、再び見たくもないもの。下りの終わり近く、牝馬が口金をくわえ、不格好な駆け足で美しく位置した急峻な村市川へ運んだ——見事な滝の飛沫により完全に湿り、木と路傍は緑藻で緑色。そこの運送係は女だった。女も旅宿と店を営み、農場を男と同様に自由に耕す。各村に住民数、男女、馬と牛の数を示す板が立てられ、市川でも、これまでどこでも、男が多いことに気付いた。 ——イザベラ・L・バード --- ### 第13章:若松の平野と車戸峠——貧困と自殺(LETTER XIII) - Chapter: 13 - Published: 2026-05-24 - Author: Isabella Bird - Series: 日本奥地紀行 > Synopsis: イザベラ・バードによる明治期の日本紀行。第13信、若松の平野、高田の群衆、番越の教師大会、阿賀野川の渡し、車戸峠の茶屋と貧困の現実。 市川から短い騎行で、幅十一マイル、長さ十八マイルの平野へ出た。大きな町若松が南端近くに立ち、町と村が散在する。大きな猪苗代湖は遠くない。平野は豊かで肥沃である。遠くでは村の急な屋根と林が実に絵になる。いつものように、柵や門は見えず、裕福な農家の住居を遮る高い生垣以外の垣はない。  悪い道と悪い馬が楽しみを損なった。良い馬なら一時間で平野を横切できた。実際には七時間の疲れる旅を費やした。日は荒れ、静かな暑い雨で終わった。空気は息苦しく電気的、鞍は大きすぎて常にずれ、靴はいつも以上に厄介、虻は苦しめ、人と馬は這うように進んだ。稲田は二度目の泥均しを受けており、従事する男の多くは帽子と、帯に付けた扇子だけを身に着けていた。  杉並木の並木道と、やや金箔を施した二つの立派な仏教寺院が、何らかの重要な場所への接近を示した。高田はそのような場所である——蚕、縄、明人※訳注:麻の一種。の相当な取引があり、県の上級官吏の一人が住む大きな町。通りは一マイル長く、各戸が店である。全体的な様子は貧しく寂れている。あまり旅のない地方では、町の端に着くとすぐ、最初に会う男が振り返り通りを駆け下り、「外国人だ!」と叫び、盲と見える、老いと若い、着衣と裸が集まる。旅宿では群衆があまりに大きく、主人は庭のきれいな部屋へ移した。だが大人はそれを見下ろす屋根に登り、子供は端の柵の上に——重さで柵が壊れ、全体が押し込まれ——障子を閉めねばならず、名ばかりの休息の間、ずっと外で群衆が押し寄せる意識に疲れた。すると黒いアルパカの上着と白いズボンの警察官五人が、旅券を見せよと求めた——一晩泊まる以外では、これまで求められたことはない。洋服では日本式の丁寧な礼はできないが、非常に礼儀正しく、群衆に腹を立て、解散させた——去るや再び集まった。外に出ると、千人が、ガリラヤから来た奇跡の働き手が到着したとき、ユダヤの混雑した都市が送り出した人々——今の彼らと同じような装いで——を思い起こさせた。ただし、長い日の説教と働きの後、群衆の押し寄せとざわめきの疲労が、あの御一人にどれほどだったかは分からない。しかしこれらの日本の群衆は静かで温和、決して乱暴に押し寄せない。あなたにしか文句を言えなかった。警察官四人が戻り、町の外まで護衛した。千人が下駄を引きずる音は、雹の音のような騒ぎである。  この後、五時間の陰鬱な稲田の徒歩が続いた。湿った気候と旅の疲労が健康を損ない、日に日に増す背骨の痛みは、二十分以上乗ることも歩くこともできないほど激しく、足取りは遅すぎて六時に番越——五千人の商業町、文字通り稲の沼の中、貧しく、汚く、湿っぽく、朽ち、黒くぬるぬるした溝から圧倒的な悪臭——に着いた。水銀柱八十四度、動かない空気を暑い雨が速く打ちつけた。干し魚の俵で満たされた納屋に降り、湿って汚れた人々が外国人を見るため押し込み、空気は息ができないほどになった。  だが進歩の兆候もあった。三日間の教師大会が開かれ、空席候補の試験、長い教育討論——特に漢文古典を教育の一部とする価値について——が行われ、旅宿はすべて満員だった。  番越はマラリア地帯で、マラリア熱が多く、政府は追加の医療援助を送っていた。山は一里先、進むべきだった。だが午後十時まで馬が得られず、道はこれまでより悪く、痛みは激しく、私は疲れ果て、留まらねばならなかった。続いて運送会社の使者五人が部屋を探す一時間、暗くなってかなり後、私は古く混雑した旅宿の、主として淀んだ水の上の杭に建てられた部屋におり、蚊の群れは空気を濃くし、熱と苦しみの夜の後、早く起きて出発できて嬉しかった。  二千人が集まっていた。乗った後、鞍の角に下げたドルンド望遠鏡をケースから取り出そうとしたとき、大混乱が起き、老若が可能な限り速く走り、子供は年長者の急ぎで倒された。伊東によると、私が拳銃を取り出して脅すと思ったという。本当の目的を説明させた——彼らは温和で無害な人々、心から後悔なく苛めたくない。多くの欧州国、我が国の一部でも、外国装いの一人旅の婦人は無礼、侮辱、ぼろ取り、実際の危険に晒される。だが無礼も本当の過剰請求も一度もなく、群衆にも乱暴さはない。馬子は私が濡れたり驚いたりしないよう気を配り、旅の終わりに帯や緩い物が安全か細心に見て、礼や酒や噂を求めて立ち止まらず、すぐ馬を下ろし運送会社の書類を取って帰る。昨日帯がなく、暗くなった後、男は一里戻り、渡そうとした銭を拒んで、旅の終わりにすべて正しく届ける責任があると言った。互いに親切で礼儀正しく、実に好ましい。伊東は私への態度は好ましく礼儀正しくないが、同胞に話すとき礼儀の枷から解けず、誰より深く礼をし、丁寧な言葉を使う。  一時間でマラリアの平野を越え、それ以来山の重なりの中にいる。悪名高い道は滑り、馬は数度倒れ、荷物馬に伊東が乗って頭から転がり、雑多な荷が四方へ散った。良い道は実に日本の最も切迫した必要である。政府が内陸の物資輸送のため通行可能な道という実利的な支出で国を豊かにする方が、英国で装甲艦を買い、高価な西洋の虚栄にふけるより国を貧しくするよりはるかに良い。  そんな恐ろしい道に、広い阿賀野川を渡るこれほど立派な橋があるのは驚きである。十二の大きな舟がそれぞれ、編んだ藤の太い縄に固定され、川を高い位置で横切り、舟とその上の板橋が十二フィートの水位変動に応じて昇降する。  伊東の事故で一時間遅れ、阿賀野川の高台に寄せ集まった急勾配の屋根の家々、片門という集落で、米袋の上に座っていた。二百頭を超える荷馬の群れが、噛み合い、鳴き、蹴り合っていた。降りる前、一匹の凶暴な馬が激しく蹴り、大きな木製の鐙だけを打った。蹄や歯の届く範囲外の場所はほとんど見つからなかった。荷物馬は下ろした後も激怒し、歯で左右に攻撃し、前足を乱暴に打ち出し、後足を蹴り、主人を壁に押し付けようとした。  この騒がしい場面を離れ、再び山々の中へ。山脈は尽きず、新しい稜線ごとに以前より壮麗な眺望が開け、いま会津の高い山脈の近くにあり、二峰の磐梯山、切り立つ伊藤山、南西の壮大な妙見岳と、その広大な雪原、雪に満ちた渓谷が一度に見渡せた。裸岩か眩しい雪の頂が、下の山々の緑に埋もれる緑の上に、美味しい青の天へ昇り、私の考えでは通常欠ける日本の景色の個性と強調を与えていた。先に進み、野沢という小さな町に一人で着き、群衆の好奇に遭った。休息の後、急流の川の対岸に灰色の立派な崖、会津の巨人たちが黄金の夕日に紫の色を帯びて見える、稜線の側を三マイルの実に愉快な徒歩をした。  薄暮、稲の谷の端、絵のように美しい野尻に着いた。穴のような所で日曜日を過ごすのを嫌い、丘の頂、千五百フィート高いところに孤立した一軒を見つけ、茶屋だと聞き出して登った。この著しい峠を越える一連の急な蛇行路の登りに四十五分、暗闇と雷電が伴い、着いた瞬間、青い稲妻の大きな折れが家と内部を照らし、大きな一群が薪の火の周りに座っているのが見え、再び厚い闇となった。実に驚く効果であった。この家は壮麗に位置し、車戸峠の刃のような稜線の端にほとんど吊り下がっている。眺望のある旅宿はここだけである。村はほとんど常に谷にあり、最良の部屋は裏にあり、見晴らしは型どおりの庭の垣に限られる。蚤がここでは大軍勢でなければ、もっと長く留まりたい——会津の雪の眺めは美味しく、他に二軒しかなく、群衆に囲まれずに散策できる。  一軒で二歳半の子が昨夜魚の骨を飲み込み、一日中苦しみ泣いており、母の悲しみが伊東の同情を得て、見に連れて行った。十八時間抱き歩いたが、喉を覗くとは思わず、私がそうするのを非常に嫌がった。骨は見え、かぎ針で容易に取れた。一時間後、母は菓子と粗末な菓子をたっぷり載せた盆と、贈り物に常に添える干し海藻を贈った。夜になる前に、足のただれ七人が「助言」を求めに来た。ただれは皆表皮的で同じで、持ち主は蟻の咬みの絶え間ない擦りでできたと言った。  この夏の日、国は繁栄しているように美しく見え、丘の下に寄り添う急勾配の屋根の野尻に急性の貧困があるとは思えない。だがすぐ下の杉から二本の麻縄が垂れ、大家族を養う余裕のない高齢の男が二日前に首を吊った悲しい話を物語る。女主人と伊東によると、若い家族を持つ男が働くには老いすぎ、弱すぎるとき、しばしば自ら命を絶つという。  女主人は子を持つ未亡人で、気立てのよい忙しい女、話好きである。一日中、家は四方開放で、文字通り壁がない。屋根と唯一の上の部屋が柱に支えられ、私の梯子はほとんど台所の火に触れる。昼間、屋根下の広い畳敷きの場所に仕切りはなく、旅人と馬子の一群が横たわる。車戸峠のどちら側からも登ってきた者は皆「茶を飲み食事を」し、女主人は一日中忙しい。火の近くに大きな井戸がある。家具はもちろんない。屋根下に棚が走り、仏壇があり、二体の黒い偶像、その一つは大黒、富の神である。調理器具の棚のほか、六つの大きな茶碗に売り物——塩の貝、黒い液の中、串に刺した干し鳟、醤油の海鼠、根を搗いた餡、川の緑藻を押して干した緑の餅——すべて好ましくなく風味のない食物——が置かれている。午後、服を着ぬ男が畳の上で粉餡を踏み、青い絹の着物の旅人が床に横たわり煙草を吸い、五つの女が緩い装い、凝った結髪、黒い歯で火の周りにしゃがんでいた。女主人の頼みで、家からの眺めの称賛文を書き、英語で読み、伊東が訳し、集まりは大いに満足した。それから扇子四枚に書くよう頼まれた。女は英国を聞いたことがない。この奥地では「名の力を持つ名」ではない。アメリカも知らない。ロシアを大国として知り、もちろん中国も知るが、知識はそこで終わる。東京と京都には行ったことがあるのに。  七月一日。昨夜、蚊と蚤にもかかわらず眠りかけたとき、多くの話し声と家禽の大声で起こされ、伊東が叫び、反抗的な鶏と、なかなか手放すよう説得した男女を連れて、寝床のそばに現れた。弱々しく茹でて朝食にすると言った。今朝伊東に呼ばれたとき、最も悲しげな顔で、殺そうとした瞬間森へ逃げたと告げた! 私の気持ちを理解するには、十日間魚も肉も鳥も味わっていない経験が必要だ! 代わりは卵と、昨日男が畳の上で踏んでいた餡を細切りにして茹でたもの! 粗い小麦と蕎麦だった。見るからに、私も好みがこだわらなくなった! ——イザベラ・L・バード --- ### 第14章:最悪の道と津川——陸路の終わり(LETTER XIV) - Chapter: 14 - Published: 2026-05-24 - Author: Isabella Bird - Series: 日本奥地紀行 > Synopsis: イザベラ・バードによる明治期の日本紀行。第14信、車戸峠から津川へ——最悪の山道、保沢と境山の悲惨、武士の旅宿、そして新潟行きの船出。 昨日の旅は、これまでで最も厳しかった。十時間の激しい旅で、十五マイルしか進めなかった。車戸峠から西への道は悪名高く、宿間は一マイル強しかないこともある。それでも会津の豊かな平野とその数多の町、広大な内陸地方の産物と製品は、少なくとも阿賀野川まで、この道を通って新潟へ出なければならない。すべての近代的思想に反して、道はまっすぐ上り、まっすぐ下り、私は推量を恐れるほどの勾配である。今は完全な泥沼で、大きな石が投げ込まれ、一部は縁立って沈み、他は完全に消えた。私が今まで乗った中で最悪の道であり、それは大いに言う! 車戸峠は、日光を出て以来越えた十七の山峠——二千フィート以上——の最後であった。車戸峠と津川の間の景色は、規模は小さいが、これまでと同様——頂まで木に覆われた丘、渓谷に裂け、時折より遠い山脈をのぞかせ、すべて緑に埋もれる。機嫌が悪いとき、私はそれを「繁茂した植物」と呼びたくなる。急な岩壁か、燃えるような砂漠の帯か、目立つ何かが、たとえ不調和でも、この緑の単調さを破ってくれれば!  その地方の村は、保沢と境山で、汚穢の最底辺に達したと思う。鶏、犬、馬、人が煙で黒くなった小屋に一緒におり、堆肥の山が井戸へ流れ込む。若い男の子は誰も服を着ていない。男の多くは褌だけ、女は腰まで裸で、ある衣服も非常に汚く、習慣の力だけで保たれている。大人は虫の咬みで炎症を起こし、子供は皮膚病に覆われている。家は汚く、しゃがむかうつ伏せに寝ており、野蛮人より少しマシに見える程度。姿と習慣の無作法さは実に忌まわしく、この点では私が交わった数の野蛮民族よりはるかに劣る。日光、箱根、宮ノ下、時間の少ない外国人が訪れる同様の場所に留まっていれば、非常に異なる印象を持っただろう。彼らの精神的状態は、しばしば思うが、肉体的なそれよりはるかに高いのだろうか? 礼儀正しく、親切で、勤勉で、重大な犯罪からは免れているが、日本人との会話や見てきた多くのことから、根本的道徳の基準は非常に低く、人生は真実でも純粋でもないと判断する。  ここでは混雑した旅宿に泊まり、庭の明るい二室を与えてもらい、群衆から離れている。伊東は到着のたびに私を部屋に閉じ込め、翌朝出発まで厳重な囚人にしたがる。だがここでは自ら解放し、台所に座って実に楽しんだ。主人はかつての武士——二刀の階級、今はそのような者は消滅——である。顔は長く、唇は薄く、鼻は下級より真っ直ぐで目立ち、態度と振る舞いにも差がある。彼と実に興味深い会話をたくさんした。  同じ開放された場所で、書記は定形の漆の机——端が丸まった低い台——で書き、女が裁縫をし、力足が畳の上で足を洗い、数人が囲炉裏の周りにしゃがんで煙草を吸い茶を飲んでいた。力足の召使が夕食の米を洗う前に服を脱ぎ、料理する女も、格式ある女の習慣どおり、着物を腰まで落としてから働き始めた。女主人と伊東が私について遠慮なく話していた。何を言っているか尋ねると、「外国人としては、とても礼儀正しい」と付け加えた。意味を尋ねると、畳の上に入る前に靴を脱ぎ、煙草盆を渡されたときに礼をしたからだという。  明日の川の旅のため食べ物を探して町を歩いたが、卵白と砂糖の薄焼き、砂糖と大麦粉の球、砂糖でコーティングした豆しか得られなかった。茅葺きとその絵姿は消え、津川の屋根は大きな石で押さえた樹皮の板だが、家が通りに妻側を向き、軒下に一続きの遊歩道があり、通りが二度直角に曲がり、川岸の高台の境内で終わるので、多くの日本の町より単調ではない。三千人の町で、相当の産物がここから川で新潟へ出される。今日は荷馬で溢れ、大いに群衆に囲まれた。一人の子だけが礼儀の一般規則の唯一の例外となり、中国語の「番鬼」※訳注:外国人を指す蔑称。に相当する名で呼んだ。だが厳しく叱られ、警察官が今、謝罪に来た。切り身の新鮮な鮭が出され、こんなに美味しいものは食べたことがない。陸路の旅の第一部を終え、明日朝、新潟へ船で出発する。 ——イザベラ・L・バード --- ### 第15章:急ぎの出立——津川の便船と急流——新潟の入口(LETTER XV) - Chapter: 15 - Published: 2026-05-24 - Author: Isabella Bird - Series: 日本奥地紀行 > Synopsis: イザベラ・バードによる明治期の日本紀行。第15信、津川から新潟へ下る便船の旅、急流と幻想的な渓谷、川上の生活、そして教会伝道所への到着。 新潟行きの船は八時出航のはずであったが、五時に伊藤が起こしてきて、満員のため直ちに出るという。私たちは急いで出立し、宿の主人は大きな籠の一つを背負って川辺まで走り、「旅人の送り出し」に励んでくれた。二つの川が合流してできた流れの美しさに、私は喜んで長く留まりたかった。朝は色調がことさら豊かで柔らかく、眩しさのない光と、重苦しさのない暑さの、見事な一日へと熟していった。  「便船(packet-boat)」は、長さ四十五フィート、幅六フィートの頑丈な船で、船尾で一人が櫓を漕ぎ、船首ではもう一人が短い広刃のオールを引いていた。オールは船首の藤の輪の中で動き、柄は十八インチほどの長さで、漕ぎ手は一漕ぎごとにくねらせるように回していた。漕ぎ手も櫓手も、ずっと立ったままで、笠を被っていた。船の前部と中央には米袋と陶器の箱が積まれ、後部には茅葺きの屋根があり、出発時には二十五人の日本人がその下にいたが、川沿いの集落で次々と降ろし、新潟に着いたときには三人だけとなった。私は荷の上に椅子を置き、この旅は、一日十五から十八マイルの泥沼を這うような、疲れる旅からの、喜ばしい変化であった。この行程は「津川の急流を下る」と呼ばれる。約十二マイルにわたり、高い崖に挟まれ、見える岩も沈んだ岩も点在し、いくつかの急な曲がり角と多くの浅瀬があり、船を速やかに下流へ押し流すからである。船頭には長い修練と技量、そして冷静さが必要で、さもなければ重大な事故が頻発する、と言われている。だが、急流といっても規模は小さく、見た目は決して恐ろしくはない。今の水位なら、船は八時間で四十五マイルを下り、料金は三十銭——一シリング三ペンス——に過ぎない。逆上りは五日から七日かかり、押し竿と曳き綱の厳しい労役を要する。  船は、日焼けした乗組、茅葺きの屋根、帆柱に吊るされた乗客全員の笠とともに、徹底して「土着」の趣をもっていた。私はその日の一時間一時間を楽しんだ。静かに流れを下るのは贅沢であり、空気は実に心地よかった。事前に聞いていなかったので、津川の美しさは心地よい驚きとして襲ってきた。それに、一マイルごとに、待ち望んでいた故郷からの手紙に近づいていくのである。津川を出て間もなく、下流の通路は幻想的な山々によって遮られたかのように見えた。岩の門が、通すのに十分な幅だけ開き、通過後は再び閉じる。裸の岩の尖塔と針のような峰が、豊かな緑の中から立ち上がっていた——スコットランドのキラインのような奇岩を、荒々しさなく、ライン川のような廃墟なく、どちらよりも美しく描いたかのようである。馬の背ほどしかない稜線でつながった山、大きな灰色の控え壁をもつ山、渓流によって裂けた深い峡谷、高所の五重塔の屋根を持つ寺、花咲く木々の間に隠れた深い茅葺きの日向の集落、そして近い山並みの裂け目から覗く雪山。  この魅惑的な景色の中を十二マイル急流を下った後、津川の残りの流れは、広く満ちた川が、林に覆われた比較的平坦な国を驚くほど曲がりくねって進むものとなった。周囲は部分的に雪山に囲まれている。川上の生活は実に風情があった。カヌーがあふれ、野菜を積んだもの、小麦を積んだもの、学校から帰る少年少女を乗せたものがある。白い皺のある帆を張った三帆船(sampan)が、一度に十数隻の船団となって深い水を這い上がり、浅瀬では乗組が戯れながら叫び、曳き上げていく。やがて場面は、広く深い川へと変わった。懸濁する植物質の量から、特異な沖積の匂いがし、密に林で覆われ、竹に縁取られた岸——周囲の国を隠すのにちょうどよい高さ——の間を、穏やかに流れていた。家はほとんど見えないが、人口の連続性を示す兆候はあふれている。ほぼ百ヤードごとに、密林を抜けて川へ至る細い道があり、その下にカヌーが係留されている。絞首台のような架台に、揺れる竹が吊るされ、一端に桶、他端に石——これが続けざまに現れ、川を水源とする家々の近くであることを示す。岸が許す所では、馬に水を杓で背中からかけて洗い、裸の子供たちが泥の中を転げ、鶏の鳴き声、人の声、働きの音が、岸の濃い緑から絶えずこちらへ漂い、見えなくても岸辺が非常に人口稠密であると感じさせた。船頭と私以外、誰も、この暑く静かな午後には目を覚ましていなかった——夢のようで、実に心地よかった。流れに乗って下るうちに、時折、ブドウ園が見えた。蔓は水平の棚や竹のレールに這わせられ、四十フィートにも及ぶことが多く、杉に水平に釘打ちされ、高さ二十フィートまで及ぶ。その上に大麦の小束が跨がせられ、枠がいっぱいになるまで乾燥させる。  さらに森、さらに夢。やがて森も豊かな植生もすっかり消え、川は低地と礫と砂の岸の間に開け、三時には新潟の郊外に着いた。低い家々——屋根に石が並べられ——は砂地の上に広がり、その向こうには、モミの茂みのある砂丘が続く。多くのバルコニーをもつ茶屋が川岸を点缀し、遊宴の一行が芸者と酒を楽しんでいた。だが全体として、水辺の通りはみすぼらしく、崩れかけており、西日本の大都市の陸側は確かにがっかりさせる。条約港であるとは信じがたかった。海は見えず、領事館の旗も翻っていなかった。私たちは数多の運河の一つ——物産と商品の運搬路——を押し竿で進み、何百隻もの積荷船の間を縫い、都市の中心に上陸し、繰り返す問い合わせの結果、政府庁舎のすぐそばにある、日陰のない、縁側のない木造の教会伝道所(Church Mission House)に着いた。ファイソン夫妻に、最も温かく迎えられた。  家は質素で簡素、不便なほど狭い。だが、戸と壁は大きな贅沢であり、日本人の終わりのない冗談と無作法の後では、洗練された欧州式家庭の作法が、どれほど心地よいか、想像もつかない。  ——イザベラ・L・バード --- **日光から新潟への行程表** (鬼怒川ルート) | 出発地 | 家数 | 里 | 丁 | |--------|------|-----|-----| | 東京から | | | | | 日光 | | 36 | | | 古峰 | 6 | 2 | 18 | | 木曽居 | 19 | 1 | 18 | | 藤原 | 46 | 2 | 19 | | 高原 | 15 | 2 | 10 | | 碇 | 25 | 2 | | | 中三好 | 10 | 1 | 24 | | 横川 | 20 | 2 | 21 | | 糸沢 | 38 | 2 | 34 | | 萱島 | 57 | 1 | 4 | | 田島 | 250 | 1 | 21 | | 豊成 | 120 | 2 | 12 | | 跡見 | 34 | 1 | | | 大内 | 27 | 2 | 12 | | 市川 | 7 | 2 | 22 | | 高田 | 420 | 2 | 11 | | 番越 | 910 | 3 | 4 | | 片門 | 50 | 1 | 20 | | 野沢 | 306 | 3 | 24 | | 野尻 | 110 | 1 | 27 | | 車戸峠 | 3 | | 9 | | 保沢 | 20 | 1 | 14 | | 鳥越 | 21 | 1 | | | 坂山 | 28 | | 24 | | 津川 | 615 | 2 | 18 | | 新潟 | 50,000人 | 18 | | | **合計** | | **101** | **6** |  約二百四十七マイル。 --- ### 第16章:新潟の気候と運河——越後の都(LETTER XVI) - Chapter: 16 - Published: 2026-05-24 - Author: Isabella Bird - Series: 日本奥地紀行 > Synopsis: イザベラ・バードによる明治期の日本紀行。第16信、新潟での一週間——悪天候と虫の害、信濃川と条約港の実態、運河都市の美しさ、冬の厳しさ。 新潟で一週間以上を過ごし、明日惜しみながら去る。都市そのものの魅力というより、ここでできた友人のためである。これほど忌まわしい天候の一週間は、今まで経験したことがない。太陽は一度だけ見え、三十マイル先の山々はまったく見えなかった。雲は褐灰色、空気は湿って動かず、水銀柱は昼八十二度、夜八十度と変わらなかった。家中は倦怠と食欲不振に悩まされている。夕暮れは涼しさをもたらさず、代わりに飛び、這い、跳び、走る虫の群れ——すべて刺す力を持つ——が、昼の蚊に取って代わる。斑点のある脚をもつ悪党どもは、警告の羽音もなく噛み、毒を注入する。夜の蚊は無数である。新潟は砂州の上に築かれた、暑く裸の地であるため、散歩できるのは通りと公園だけである。木造の見晴台の頂上に登らなければ、街の全景も得られない。  新潟は条約港でありながら、外国貿易も、外国人居留もほとんどない。昨年も今年も、外国船は一隻も入港しなかった。外国商社は二つだけで、どちらもドイツ系である。外国人は十八人のみで、そのうち伝道者を除けば、ほとんどすべてが政府の雇用に就いている。新潟の川、信濃川は日本最大の河川であり、支流とともに莫大な水量を運ぶ。だが日本の河は、山から流れ込む砂と礫で大いに詰まっている。私が見てきたすべての河——硬い岩壁に物理的に制限されたものを除けば——河床は砂、玉石、礫の荒野であり、その中央を、砂州と浅瀬の間を縫って、本流が曲がりくねって流れる。毎年、程度の差はあれ、洪水が起こると、莫大な水量がこれらの荒野を溢れ、砂と堆積物を河口へ運び、すべての河口は砂州で塞がれている。信濃川は最大であるゆえ最も手に負えず、入口に砂州を築き上げ、そこを通れるのは水深七フィートのみで、永続的に浅くなりつつある。技師たちの心は信濃川に大いに悩まされ、政府は水路を深くし、西日本に今なき港を与えようと最も切望している。だが必要な工事の費用は莫大で、その間、限られた远洋交通はジャンクと、沖合に寄港する少数の小型日本汽船によって行われている。※訳注:新潟港は信濃川の砂州に阻まれ、大型外国船は直接入港できず、沖合で荷役を行うのが常であった。著者は後に、旅客向け設備のないこうした汽船の一つで籠を函館へ送ったが、条約港間で個人の荷物を送るにも外国人を煩わせる数多の形式手続きが必要で、伊藤が自分の名義で、函館の知人に届ける形でようやく成り立った、と記している。英国副領事館はあるが、踏み台以外の意味は少なく、こんな陰鬱な任地や前哨地を引き受ける者は少ない。  だが新潟は、五万人の立派で繁栄した都市であり、裕福な越後の府県の中心で、百五十万の人口を擁する。県令、主要な法廷、優れた学校、病院、兵営の所在地である。こんなに隔絶した町に、大学に値する学校があるのは興味深い。中等、初等、師範を含み、英語学校は百五十人の生徒を擁し、英米人教師によって組織され、工学学校、地質博物館、見事に装備された実験室、最新で認められた科学・教育の器具を備えている。ファイソン氏の近くに集まる政府庁舎は、白塗りの木造で、規模と無数のガラス窓から威容がある。大きな病院があり、欧州人医師によって整備され、医学校が付属している。※訳注:この病院は広く換気もよいが、入院患者はまだ多く引きつけられておらず、外来患者——とりわけ眼症の患者——は非常に多い。在籍の日本人主任医師は、湿気、砂と雪への太陽の反射、換気不足、炭の煙が、この地方で眼症が多い原因だと見ている。県庁、裁判所、学校、兵営、そしてそれらすべてに匹敵しつつある大銀行は、進取の気象を帯び、欧化した様相で、大胆で目立ち、趣味には欠ける。公園は広く、よく設計され、砂利の道が整っている。街灯は三百灯で、当地の鉱油を燃やす。  それでも暴れん坊の信濃川が海——自然の交通路——から執拗に遮ってしまうため、日本最も富む県の一つの府都は取り残されているのであり、県自体——米、絹、茶、麻、人参、藍を大量に産するだけでなく、金、銅、石炭、石油も産する——は産物の大部分を、私が来た道とほとんど変わらぬ悪路の山脈を越え、馳走馬の背中で江戸へ送らねばならない。  西洋への進歩の徴候をもつ、政府の新潟は、本物の日本の新潟と比べると見た目はまったく魅力がない。後者は、今まで見た中で最も整然とし、最も清潔で、最も居心地のよさそうな町であり、外国人居留の押し合いから完全に免れている。遠方から訪れる者を引きつける美しい茶屋で名高く、劇場の優れさでも知られ、広い地方の遊興と歓楽の中心である。実に美しく清潔で、日光のように、泥靴でよく掃かれた通りを歩くのをためらわせる。エディンバラの当局には良い教訓になるだろう。路端の藁、枝、紙の一片は即座に拾い上げられ除去され、ごみは覆い付きの箱か桶以外では通りに置いてはならない。正方形の区画に正確に区画され、一マイル以上の五本の大通りを非常に多くの横町が横切り、運河が交差している——運河が真の道路である。通りに馳走馬は見なかった。すべてが船で入り、市内の家のほとんどは、運河によって戸口のすぐ近くまで荷物を届けられる。水路は終日賑わっているが、早朝、野菜を積んだ船が入ってくるとき——人々は一日でもこれなしでは生きられない——その忙しさは言い表せない。今やきゅうり船が大見物である。運河は通常通りの中央にあり、両側にかなり広い車道がある。路面よりはるかに低く、ほぼ垂直の岸は木で整えられ、一定の間隔で階段が設けられている。樹木に縁取られ、枝垂れ柳が多く、川水が流れ込み清潔に保たれ、短い間隔で軽い橋が架かるため、新潟の非常に魅力的な特色をなす。  家々は非常に急な石板瓦の屋根を持ち、石で押さえられ、高さが非常に不揃いで、上階の急勾配の切妻がすべて通り向きであるため、町は日本では非常に珍しい絵画的趣をもつ。深い縁側は通り沿いすべてつながり、冬に雪が深く積もるときは日陰のある散歩道となる。運河と並木、立派な公園、清潔で絵画的な通りとともに、実に魅力的な町である。だが改良は最近のもので、近ごろ楠本正形氏——現東京知事——によって完成された。町のどの部分にも貧困の様子は見えないが、富があれば慎重に隠されている。都市の目立つ特色は、木製の細板の出窓をもつ住宅街の数である。人々は見えずに見ることができるが、夜に行灯が点くと、パーム博士のところから歩いて帰る際、たいていの場合、家族が火鉢を囲み、最も薄い身なりで座っているのを見た。  正面は非常に狭く、家は後方へ驚くほど長く伸び、庭では花、低木、蚊が育てられ、橋が何度も繰り返され、通りから見通すと仙境のような効果を与える。すべての日本家屋の主室は奥にあり、こうした縮景を望む——景はしばしば三十平方フィートにも満たない空間に巧みに縮められる。池、築山、橋、石灯籠、奇形の松は不可欠だが、状況と資力が許せば、あらゆる奇趣が取り入れられる。小さな東屋、茶を点てるための離れ、読書、静かな涼しさで眠る、覆いの下で釣る、酒を酌み交わす隠れ家;銅の塔、銅龍の口から落ちる滝;岩穴、金銀の魚が出入りする;岩島のある池、緑の橋で渡る小川——鼠や蛙が下を通れるほどの高さ;芝生、雨天に渡る石板、洞窟、丘、谷、矮性ヤシ、ソテツ、竹の林;様々な矮木、紫がかったくすんだ緑色——獣や這うものへの驚くべき相似に剪定されるか、小さな池の上に歪んだ枝を伸ばす。  新潟を大いに歩いた。ファイソン夫人——現在ここにいる唯一の欧州婦人——と、三歳の可愛らしい撒克遜人の幼児ルースと一緒のとき、巨大な群衆に付き従われた。肩に金色の巻き毛が垂れるこの白い肌の幼児の姿は、最も魅惑的である。男女とも幼児に優しく愛想のよい振る舞いをし、ルースは群衆を恐れず、微笑み、日本式にお辞儀し、日本語で話し、自分の人々をすっかり離れようとする気配さえある。一緒に歩かせるのは最も困難で、二、三度見失って振り返ると、彼女が日本人のやり方で輪の中に座り、数百人の群衆の中で敬慕と称賛を受けているのを見た——渋々引き離された。日本人は子供への深い愛情をもつが、欧州の子供があまり付き合うのはよくない。品行を乱し、嘘を教えてしまうからである。  新潟とこの広大な県の大部分の気候は、山の向こう側——北太平洋の暖流で温められた地方——と不快な対照をなす。秋と冬は静穏な大気、身を引き締める温度、青く晴れた空で、一年で最も快い季節である。平均三十二日の降雪がある。運河と河は凍り、急流の信濃川も時には馬を載せる。一、二月には雪が三、四フィート深く積もり、雲の帳が空を覆い、人々は日光を得るため二階に籠もり、馳走馬の交通は止み、歩行者は粗末な雪駄で苦労して歩き、ほぼ六か月にわたり海岸は強く冷たい北西風のため航海に適さない。この都市では綿入れの衣を着、目だけを出して、縁側の下を這うように歩く。人々は火鉢の周りに集まり震える——水銀柱は夏九十二度、冬十五度まで下がる。緯度三十七度五十五分——ナポリより三度南!  ——イザベラ・L・バード --- ### 第17章:新潟を離れて——山奥の孤独と艱難(LETTER XVII) - Chapter: 17 - Published: 2026-05-24 - Author: Isabella Bird - Series: 日本奥地紀行 > Synopsis: イザベラ・バードによる明治期の日本紀行。第17信、新潟の運河を離れ山奥へ——孤独、祭礼、泥濘の旅路、過密な集落、牛に乗って越える峠。 新潟を去るとき、運河のほとりには、外国人婦人二人、金髪の外国の幼児二人、長毛の外国犬一匹、そして——これらがなければ目立たなかったであろう——外国人紳士一人が、大勢の親切な群衆を引きつけた。土着の者たちは子供たちを肩に担ぎ、ファイソン夫妻は運河の尽きるところまで見送りに来て別れを告げ、三帆船は信濃川の広く渦を巻く流れの上へ滑り出した。恐ろしい孤独感が私を襲った。信濃川を渡り、狭く堤防された新川を押し上げ、アガ野川の氾濫と必死の格闘をし、狭く変色した梶川では嫌な匂いのする肥糞船の列に大いに妨げられ、果てしない瓜ときゅうり畑と風変わりな川上の生活に驚き、六時間の厳しい押し竿の末、木崎に着いた——ちょうど十マイルである。その後、走るべっとのついた人力車三台が、一里四銭半という低い運賃で二十マイル運んだ。一か所では板が道を塞いでいたが、旅人が外国人であると村の長に申し出ると、丁寧に通してくれた。急便係がここまで付き添い、「無事に通過できる」ようにしてくれたのである。道は一日の旅を通じてかなり人口が多く、農村——辻、笠柳、物、鞠——が長い区間に続き、整然としており、多くの農家は竹の垣で道から遮られていた。全体として快い田園で、人々は衣服は少ないが、貧しくも非常に汚くも見えなかった。土は非常に軽く砂質であった。事実、「松の荒れ地」——細いスコッチモミとモミの下木以外何もない砂丘——があった。だがその間の砂地の平野は、たっぷり肥を施され庭園のように耕され、すばらしい作物を実らせた。きゅうりは豆のように棚に這わせ、瓜、ズッキーニ、タロイモ、サツマイモ、トウモロコシ、茶、オニユリ、豆、タマネギ;八フィートの高さの棚に横向きに這わせたリンゴとナシの広大な果樹園は、景色の中で新しさであった。  一日中、東の頂まで林で覆われた山へ近づいていたが、植生の量は重くはなく、水田の沼は少なく、空気はより乾いて、弛緩感が少なかった。走者が松の荒れ地の上を陽気に小走りしているとき、パーム博士が医療伝道の遠征から帰途、裸の苦力二頭のタンデムで猛スピードを出していた——エディンバラ医療伝道協会の最も堅実な理事たちに、その光景の衝撃を味わわせられたらよかったのに! 数週間、欧州人には会えない。辻——非常に整った村で人力車を替え——から礫の道を揺られ、中条へ向かった。条約範囲の内側にある相当な町である。中条の日本医師たちは、他の所と同様、パーム博士の心からの助力者で、率直さ、真剣さ、一途さという稀な美徳を備え、英語の医学書を学んだ五、六人が、共同で調剤所を設立し、パーム博士の指導の下、幾度か滑稽な失敗の後、消毒療法を成功裏に行っている!  中条を人力車の走者はいつも通り町や村を疾走して駆け抜け、霧雨の中、中条から黒川まで延び、三、四重に並ぶモミ並木のある道へ出た。茶と稲が交互の湿った谷間を揺られ、礫の黒川の二つの支流を危うい橋で渡り、黒川の町に轟音を立てて入った。旗と提灯で飾られ、人々はすべて社に集まり、太鼓が打ち鳴らされ、化粧を施し盛装した少女たちが、高く覆われた舞台の上で、当地の神の祭り——祭(matsuri)——に迎えて踊り、姿を見せていた;再び外へ出て、薄暮のモミの下を容赦なく揺られ、一軒家に着いた。主人は受け入れに難色を示した。免許は翌日からのはずだったが、結局屈し、五フィートしかない唯一の二階の部屋をくれた。帽子を被ったまままっすぐ立つこともほとんどできなかった。それから雨戸を閉めて息苦しくした。理由はよく聞くもので、開けたまま盗まれたら警察は厳しく責め、財産を取り返す努力もしない、という。米がなく、私はおいしいきゅうりの饗宴にふけった。その地方で、これほど多く食べるのを見たことはない。子供たちは一日中かじり、背中に載せた赤ん坊でさえ、貪欲にしゃぶる。今や一銭で十二本売られる。  暗くなってから宿に着くのは誤りである。最良の部屋が空いていても、食事と部屋の準備に一時間はかかり、その間、蚊のせいで時間を有効に使えない。一晩中、激しい雨が降り、上陸以来初めて風が聞こえた;松の時折聞こえる軋みと社の太鼓が、日の出——いや、明け方——に起きたくさせた。来て以来、日の出も日没もない。その日、関木から川口まで人力車で旅した。つまり、時には石の上を揺られ、時には泥沼の縁に置かれ降りろと言われ、時には悪名高い馬道——荒川の上——を二、三マイル歩かされ、二人でも空車を押したり引いたりほとんどできない;時には体ごと持ち上げて運ぶこともあり、川口の村に着いてこれ以上行けないと言われ、本当にほっとした。馬は一頭しか得られず、最後の区間は豪雨の中を歩き、紙の雨合羽で貧しく身を守った。  今、日本の中央山脈の真只中にいる。この山脈は、ほとんど途切れることなく九百マイルに延び、幅四十から百マイル、険しい峠——高さ千から五千フィート——によってのみ越えられる終わりのない連峰に分かれ、無数の河、渓谷、谷間をもつ。高所と渓谷は深い林に覆われ、河は急で洪水になりやすく、谷は必ず稲の棚田となっている。集落は谷間に見出されるが、これほど隔絶した地方は見たことがない。悪路によって日本の他の部分から遮断されている。家は非常に貧弱で、男の夏装は褌(maro)のみ、女はズボンに開いたシャツである。昨夜、黒沢に着いたときは、ズボンのみにまで減じていた。交通は少なく、馬もほとんど飼われておらず、大きな村でも一、二、三頭がすべての家畜である。店は、あるにしても、生活の最低限の必需品しか置いていない。主食は稲よりも粟と蕎麦で、どこにでもある大根(daikon)である。気候は夏湿潤、冬は酷寒。今でさえ、人々は濡れて入ってきて、炉端(irori)で指先だけを温め、刺すような煙に窒息し、湿った風が破れた窓紙をはためかせ、湿った風が灰を畳の上に吹き散らす——夜には家を完全に密閉するまで。これらの人々は、我々が快適さと呼ぶものを知らない。長い冬、みすぼらしい馬道が雪で塞がれ、凍える風が強く吹き、家族が煙の多い火の周りに、行灯の陰鬱な明かりの下で、仕事も本も遊びもなく、寒く陰鬱な長い夕べを震えながら過ごし、夜は暖を求めて動物のように寄り合う——その状態は、極貧以外ではこれ以上悲惨になりようがない。  その夜、沼の集落に足で這い込んだとき、事態は最悪を見た。坂道の通りを、増水した小川が流れ、人々は家から水を堤防していた。私は濡れ、疲れ、唯一のみすぼらしい宿の女将に迎えられた。「汚くて、こんな尊いお客様には全く相応しくない、申し訳ありません」と。彼女の言う通りであった。唯一の部屋は梯子の上にあり、窓はボロボロ、火鉢用の炭もなく、卵もなく、米は汚く小さな黒い種が混じって食べられなかった。それ以上に悪いのは、運送屋がなく、集落に馬がなく、五マイル先の農家へ使いを出し、長い値踏みの末、翌朝やっと出発できたことである。日本で、一定の家数の人口を見積もるとき、家数に五を掛けるのが通例だが、私は好奇心から沼を歩き、伊藤にすべての日本家の外に掛けられた、居住者の名前・人数・性別を記した札を訳させた。二十四軒に三百七人! 中には四家族——祖父母、両親、長男と妻と子、娘二人と夫と子——が同居している。長男は家と土地を相続し、ほとんど例外なく妻を父の家に連れてくる。彼女はしばしば義母の奴隷同然になる。厳格な習慣により、彼女は文字通り自分の親族を見捨て、「孝行」の義務は夫の母へ移る。義母はしばしば彼女を嫌い、子がなければ離縁を唆す。女将は息子に妻を離縁させた。理由は「怠け者だから」以上のものはなかった。  沼の人々は外国人を見たことがない、と彼女は言った。雨はまだ激しく降っていたが、早朝から動き出した。私の話し声を聞きたいので、伊藤への命令を公然と下した。昨日は最も骨の折れる一日で、主に不二台、高苗、米生池の大峠を、這い上がり滑り降りた。すべて林に覆われた山々、林で詰まった渓谷に深く裂け、時折、会津の雪山の一つが緑の大洋の単調さを破った。馬の蹄鉄は数分ごとに結ばれ解かれ、一時間に一マイル! ついに玉川の集落の最も見込みのない場所に置かれ、米商人が三日待って国内のすべての馬を取った、と言われた。二時間の値踏みの末、荷物苦力が一人、いくつかの物が米用の馬に載せられ、私には荷鞍付きの「馬」——実は丸く可愛らしい小さな雌牛——が出され、雄大な折峠を安全に越え、稲田の中の置賜の町へ下った。土砂降りの雨の中、木の火のそばで多数の苦力と一緒に避難し、また荷牛が出るまで待ち、稲田を歩き、再び山へ上り、黒沢へ——留まる予定だった。だが宿がなく、旅人を受ける農家は、マラリアの池の縁にあり、暗く刺す煙に満ち、恐ろしく汚く生き物に満ちていた。疲れ果てながら進まねばならなかった。だが暗くなり、運送屋もなく、初めて人々がわずかにぼったくり、伊藤を途方に暮れさせた。農民は暗くなると外に出たがらない。幽霊やあらゆる悪霊を恐れるから、夕方遅く出発させるのは困難だった。  休めるほど清潔な家が一軒もなく、石の上に座り、一時間以上、人々について考えた。頭癣、疥癬、赤眼の子供が群がっていた。すべての女が背中に赤ん坊、よろよろ歩ける子も背中に載せる。綿のズボン以外何も着ていない女は一人もいない。一人の女が酔ってよろめいていた。伊藤は石の上で顔を手で覆い、病気かと聞くと、悲しげな声で「どうしたらいいか分かりません、こんなものをお見せして恥ずかしい!」 少年は十八で、可哀想に思った。女が酔うことはよくあるかと聞くと、横浜ではあるが、たいてい家の中にいる、と。夫が月末の請求払いの金を渡すと、しばしば酒に使い、店で酒を米か茶として帳簿に載せることもある、と。「古くからの話!」 汚さと野蛮さを見て、これが読んだ日本か、と問った。だが、不体裁な装いの女が、休息する場所に通常置く二、三銭をきっぱり拒んだ。水を茶ではなく飲んだから、と。強いて渡しても伊藤に返し、この救いとなる出来事が、大いに慰めとなった。  沼からここまでは一里半のみだが、険しい穂木峠を越える。粗末な石段が数百続き、暗闇では快くない。この峠で初めて白樺を見た;麓で良い橋から山形県に入り、間もなくこの村——見込みのない農家のみ——に着いた。すべての部屋のうち二室を除き蚕を飼っているが、その二室は非常に良く、縮景の池と築山を望む。私の部屋への唯一の難は、出入りするたびに、運送を待つ五人の煙草商人が占める部屋を通らねばならないことで、彼らは退屈しのぎに三味線——恐ろしい楽器——をかき鳴らす。馬も牛も手に入らず、今日はここで静かに過ごしている。休息できてむしろ嬉しい。非常に疲弊している。背中を大いに苦しむとき、伊藤はいつも怯え、私が死ぬと思う——回復後にそう言うが、短く無愛想な態度で不安を示し、最も不快である。奥地を通り抜けられないと思っている! ブルントン氏の優れた地図はこの地方では役に立たず、有名な山形市を目標に路線を考案するしかない。夕べの半分は、日本地図が得られればそれを調べ、宿の主人、運送係、偶然の旅人に問い合わせるが、人々は数里先以外を知らず、係員も次の宿場以外はめったに教えてくれない。「踏み荒されていない道」を尋ねると、「山の恐ろしい道だ」「渡る悪い河が多い」「農家の家しかない」と。励ましは決して与えられないが、進み、きっと進むだろう——今の健康状態では望まないような艱難ではあるが。  ここでは馬はほとんど飼われていない。牛と苦力が物の多くを運び、女も男も重い荷を担ぐ。荷物苦力は約五十ポンドだが、ここでは山形から自分の品を運ぶ商人が九十から百四十ポンド、それ以上を担ぐ。可哀想な連中が、明らかな苦しみで山の峠を這うのに出会うのは胸が悪い。昨夜、五人が峠の頂上で激しくあえいでいた。目が飛び出し、痩せて痛々しく見える筋肉が震え、追い払えない虫に咬まれた血が、裸の体中を流れ、至る所で大量の汗に洗い流されていた。まさに「額の汗」でパンを食べ、家族のために正直な生活を稼いでいる! 苦しみ、重労働ながら、完全に独立していた。この奇怪な国で、乞食や物乞いは見たことがない。女は七十ポンドを担いでいた。これらの荷担ぎは、背中を厚い藁の編み込みパッドで覆う。その上に、そりの走りのように下端が曲がった梯子状の台を置く。荷は腰の下から頭のかなり上まで及ぶよう丁寧に積まれ、防水紙で覆い、しっかり縄で結び、藁で葺き、鎖骨の下の広いパッド付き帯で支える。当然、男はほとんど前屈みに歩き、この姿勢は非常に苦痛なので、頻繁に止まって体を伸ばす必要がある。都合のよい高さの土手に出会えなければ、荷の底を、この目的のために携行するL字の先端をもつ短く頑丈な棒の上に載せて休む。この地方の特色は、莫大な荷の運搬であり、残念ながら、苦力を悩ます赤い刺す蟻と小さな虻もまたである。  昨日の旅は十二時間で十八マイル! 一ノ野は立派で勤勉な集落で、他と同様蚕を飼い、純白と硫黄色の繭が、至る所、日の当たる簀の上で乾燥されている。  ——イザベラ・L・バード --- ### 第18章:美しき牛と米沢の平野——亜細亜の田園(LETTER XVIII) - Chapter: 18 - Published: 2026-05-24 - Author: Isabella Bird - Series: 日本奥地紀行 > Synopsis: イザベラ・バードによる明治期の日本紀行。第18信、荷役用の牛に乗って山を越え、米沢平野と小松、亜細亜の田園、そして温泉の町上ノ山へ。 厳しい山道の一日が、別の地方へと私たちを連れて行った。一ノ野を晴れた朝早く出立し、荷役用の牛三頭——その子牛も——を従えた。私はそのうち一頭に乗った。小さな鼻、短い角、まっすぐな背筋、深い胴をもつ、実に美しい牛たちである。新鮮な牛乳が得られるかと思ったが、子牛以外が牛を搾るという考えは人々にとってあまりに新しく、満場の笑いが起こった。伊藤によると、彼らはそれを「最も嫌悪すべき」と思い、外国人が「こんなに強い匂いと味」のものを茶に入れるのも「最も嫌悪すべき」だ、と日本人は考えているという! すべての牛は、泥と虫から身を守るため、青い龍の模様の染め抜き綿布を腹の下に吊るしていた。藁の蹄袋を履き、鼻の軟骨に紐を通している。天候が良い日だったので、大量の米と酒が運ばれており、同じ美種の荷役用の牛が、四頭ずつの列をなして何百頭も出会った。  桜峠を越えた——そこからの眺めは美しい——白川の山村で馬を得て、さらに峠を越え、午後には手ノ子の村に着いた。そこではいつも通り、運送屋の縁側の下に座り、利用可能な一頭の馬を待った。大きな店だったが、欧州製の品は一つもなかった。一室には女と子供の一群が火の周りに座り、係員はいつも通り、一フィートの高さの机の上——孫が座布団の上に寝ている——に多数の帳簿を広げて座っていた。ここで伊藤は七品の恐ろしい料理で食事をし、私には酒、茶、米、黒豆が運ばれた。後者は非常に良い。国について話をし、男は英字で自分の名前を書いてほしい、また帳簿に自分の名前を書いてほしいと頼んだ。その間、群衆が集まり、前列は地面に座って後列が頭越しに見えるようにした。彼らは汚く、非常に密着し、家の女たちが暑さを感じているのを見ると、優雅に扇を出し、一時間扇いでくれた。料金を尋ねると、何も取らず、受け取らなかった。外国人を見たことがない、何か取れば自分を軽蔑する、帳簿に「尊いお名前」がある、と。それだけでなく、菓子の包みを用意し、男は扇に自分の名前を書いて受け取らせようとした。英製のピンしか差し上げるものがなく、遺憾だったが、彼らは見たことがなく、すぐ群衆の中に回した。日本を思い出す限り彼らを思い出す、と正直に告げ、深く感じて別れた。  石段の数々で登り降りする高い宇津峠は、ぎゅうぎゅう詰めの連峰の最後の峠である。その頂上から、待ち望まれた日光の下、喜びながら高貴な米沢平野を見下ろした。長さ約三十マイル、幅十から十八マイル——日本の庭園の一つ。林と水に恵まれ、繁栄する町と村に覆われ、すべてが林で覆われているわけではない壮麗な山々に囲まれ、南端は七月の中頃でも雪を頂く連峰で限られている。  松原の農村の長い通りで、一人の男が私の前に走り出て話しかけ、伊藤が来ると大声で彼に迫り、彼は私をアイヌ——蝦夷の服従させられた先住民——と思ったことが判明した。以前から中国人と間違えられたこともある!  越後の県中、時折、静かな小川のすぐ上に、四隅を四本の竹で吊るした綿布の一片を見た。後ろには通常、墓地に見られるような、上端に刻み目のある細長い板があり、文字が書かれている。時には各竹の中空の頂に花束が置かれ、通常、布自体にも文字がある。その中には必ず木の杓が置いてある。手ノ子から下る途中、道のすぐそばに一つを通り、ちょうど仏僧が杓一杯の水を注ぎ、ゆっくりと染み通っていくところだった。同じ方向に行くので一緒になり、意味を説明してくれた。  彼によると、板には女の戒名(kaimiyô)が書かれている。花は、愛する手が親族の墓に供えるものと同じ意味をもつ。布に文字があれば、日蓮宗のよく知られた念仏——南無妙法蓮華経(Namu miô hô ren gé kiô)——を表す。布に水を注ぐこと——しばしば数珠を数えながら——は祈りである。全体が「流し念仏(The Flowing Invocation)」と呼ばれる。これほど哀切に心を打つものはめったに見ない。それは、初めての母の喜びの中で逝った女性が、(俗信では)前世の罪のために、仏教の地獄の一つ——血の池——で苦しむことを示す。通りすがりのすべての人に、苦しむ女の罰を短くするよう訴える。彼女は、その池に、布がすっかりすり減って水が一度に通り抜けるまで、留まらねばならないのである。※訳注:産褥で亡くなった女性の冥福を祈る風習。布に水を注ぎ、染み込むのを待つことで、血の池の苦しみを和らげると信じられていた。  米沢平野へ山が降りてくるところには、いくつかの盛り土があり、山腹から平地へ一歩で踏み出せる。接点の土は乾いて砂利がちで、松の尾根が現れ、家々の様子は清潔さと快適さの増加を示唆した。手ノ子から小松まで六マイル歩いた。三千人の美しく位置した町で、綿製品、絹、酒の取引が盛んである。  小松に入ると、最初に出会った男が急いで引き返し、最初の家に「早く、外国人が来た」と叫び、そこで働いていた三人の大工が道具を投げ出し、着物を着るのも待たず通りを駆け下りて知らせ、宿に着いたときには大群衆が押し寄せていた。正面はみすぼらしく見込みがないが、家の中を流れる小川の石橋を渡って奥へ行くと、長さ四十フィート、高さ十五フィートの部屋が見つかった。金魚の大きな池、塔、矮木、その他すべての通常の縮景のある庭に、一面完全に開いている。しわのある青い紙に金を散らした襖が、この「画廊」を二室に仕切った;だが私的な空間はなく、群衆は裏の屋根に登り、夜まで辛抱強く座っていた。  ここは大名の部屋であった。柱と天井は黒檀と金、畳は非常に上質、磨かれた床の間は嵌め込みの文机と刀掛けで飾られ;九フィートの槍、螺鈿の柄が縁側に吊るされ、洗面鉢は嵌め込みの黒漆、飯碗と蓋は金漆であった。  これも、他の多くの宿と同様、総理大臣、県令、名高い将軍の名前を表す大きな漢字の掛軸があり、詩の句も通常の様式で掲げられていた。幾度か、こうして掲示されるものを書いてほしいと頼まれた。小松で日曜日を過ごしたが、池の蛙の夜の合唱のため安らかではなかった。ここも、ほとんどの町と同様、珍重される金魚用の白く泡立ったような菓子だけを売る店があり、一日三度、家の女と子供が庭に来て餌をやる。  小松を去るとき、家の中に六十人、外に千五百人——壁、縁側、屋根さえ埋め尽くしていた。日光から小松までは雌ばかり使われてきたが、ここで初めて恐ろしい日本の馱馬に出会った。二頭の実に凶暴な姿の獣が戸口におり、頭を下げて首が完全にアーチ状に曲がるまで縛られていた。乗ると群衆が付き従い、下駄の音と大衆の声が馬を怖がらせ、頭綱を破り、怖れた馬方が放すと、主に後足で通りを進み、金切り声を上げ、前足で猛々しく打ち、群衆が左右に散り、警察署の前を押し流すと四人の警察官が出てきてそれを捕らえた;しかし再び集まり、より長い通りがあり、私の馬は同じ様式で進み、振り返ると伊藤の馬が後足立ち、伊藤が地面にいた。私の獣はすべての溝を飛び越え、歩行者すべてを歯で攻撃し、野生動物のように振る舞い、これまでの馬の気まぐれに慣れていても対処できなかった。赤湯に着くと馬市があり、すべての馬の頭が柱にきつく下げられていたので、金切り声を上げ後足で打つしかなく、それが我々の動物を刺激し、荷馬が一連の引っ込みと後足立ちで伊藤と荷物の大部分を投げ出し、私が降りると立ち上がり、足が引っかかって地面に倒れ、歯と前足で何度か凶暴に襲いかかってきたが、幸い馬方の巧みさによって防がれた。これらの獣は、「口にくつわと手綱を持たねば、あなたに向かって転びかねない」という言葉を思い起こさせる。  実に美しい夏の日、非常に暑かった。会津の雪の峰は日光にきらめき、涼しさなど感じられなかった。米沢平野は、南に繁栄する米沢の町、北に人で賑わう温泉赤湯をもち、「鋤の代わりに筆で耕された」完全なエデンの園である。米、綿、トウモロコシ、タバコ、麻、藍、豆、ナス、クルミ、瓜、きゅうり、柿、杏、石榴が豊かに実る。微笑む豊穣の土地、亜細亜の田園、繁栄し独立し、すべての豊かな畑は耕す者のものであり、ぶどう、いちじく、石榴の下に住み、圧政から免れている——亜細亜の専制下では驚くべき光景。だが大黒天が主神であり、物質的な善が唯一の欲望の対象である。  魅惑的な地方——美、勤勉、快適——山に囲まれ、明るい松川に潤う。至る所に繁栄した美しい農村があり、彫刻された梁と重厚な瓦屋根の大きな家が、それぞれの敷地に立ち、柿と石榴に埋もれ、棚に這わせた蔓の下に花園をもち、石榴と杉の高く刈り込まれた垣で私的な空間を確保している。吉田、瀬茂島、黒川、高山、高滝——通り過ぎた、またはその近く——のほか、平野に五十以上の村を数え、林の中から茶色く大きく反った納屋の屋根が覗く。耕作の様式に差は見えない。吉田は豊かで繁栄して見え、沼は貧しく惨めに見える;だが沼の狭い畑——山腹から切り出された——は、日向の米沢平野の広い畑と同様、見事に整えられ、完璧に耕され、気候に適した作物を豊かに実らせる。これはどこでも同じである。「怠け者の畑」は日本には存在しない。  四時間、これらの美しい村を幅四フィートの道で馬で進み、驚いたことに、川を渡った後、筑野で地図上は脇道に見えるが、実際は幅二十五フィートの幹線道路に出た——よく整備され、両側に側溝があり、電信柱が並ぶ——まるで別世界である。何マイルも続く道は、身なりのよい歩行者、人力車、馱馬、荷車——実心車輪、またはスポーク付きでタイヤなし——で埋め尽くされていた。見事な馬車道だが、馬車はない。このような文明的な状況で、二、四人の日焼けした男が荷車を引くのを見るのは興味深く、しばしば夫婦——男は裸、女は腰まで裸——が同じことをする。また、電信線の上に、下では日傘と扇だけが衣類の男;本と石板を携え、授業を復唱しながら学校から帰る子供たち——という不釣り合いも目についた。  赤湯は硫黄温泉の町で、泊まるつもりだったが、見た中で最も騒がしい場所の一つであった。四つの通りが交わる最も混雑した場所に浴場があり、男女が大声で水をはねかけ、近くの宿は約四十室あり、ほとんどすべてに関節痛の人が畳の上に横たわり、三味線が鳴り、琴が金切り声を上げ、騒音は耐えがたく、ここから十マイル先の上ノ山へ、新しい良い道を上って来た。祭りで、すべての家に提灯と旗、山上の数か所の社の境内には群衆が押し寄せている。清潔で乾いた場所、高所に美しい宿、庭のある快適な家、山上の散歩路——人々は日本で最も乾燥した場所の一つだと言う。外国人の手の届く所なら、健康的な保養地となり、あらゆる方向への絵画的な遠足ができるだろう。  ここは日本旅行の大ルートの一つである。習慣、娯楽、文明が完全で、欧州から何も借りていない温泉地を見るのは興味深い。ここの温泉は鉄を含み、硫化水素が強く溶け込んでいる。三つの温度を試し、華氏百、百五、百七度であった。リウマチに非常に有効とされ、遠方から訪れる者を引きつける。私の案内役である警察によると、現在、浴の効用のために約六百人が滞在しており、通常一日六回入浴する。リウマチをはじめとする病気について、旧式の日本医師は食事と習慣にはあまり注意を払わず、薬と外部施用に多くを頼む。これらおよび他の医療温泉の効用は、柔らかい布巾による叩きの代わりに、力強い摩擦が行われれば、大いに増すだろう。  ここは大きな宿で、見知らぬ人で満ちている。女将——豊満で最も好感の持てる未亡人——は、丘の上にも浴客向けの実に見事な旅館をもつ。十一人の子供がおり、うち二、三人は背が高く、端正で優雅な娘である。一人は私の明らかな称賛に深く赤面したが、不快ではなく、丘の上へ連れて行き、この実に魅力的な場所の社、浴場、宿を見せてくれた。彼女の優雅さと世慣れした振る舞いに、大いに喜ばれた。宿を継いでどれほど長いか尋ねると、誇らしげに「三百年」と答えた——職業の世襲としては珍しくない例である。  私の宿泊は独特である——格式ばった庭園内の蔵(kura)、倉——に、浴場があり、華氏百五度の温泉を引き、ゆったりと入浴している。昨夜の蚊は恐ろしかった。未亡人と美しい娘たちが一時間扇いでくれなければ、一行も書けなかった。新しい蚊帳は見事に機能し、一度中に入れば、外で数百の血に飢えた連中が羽音を立てる徒労を、むしろ楽しむ。  未亡人によると、宿の主人は看板に二円を一度きり払い、一流宿は年税二円、二流は一円、三流は五十銭、酒を売る免許には五円を払う。  これらの「倉(godown)」——マレー語 gadong 由来——防火の倉庫は、他がすべて灰色のところ白く、他がすべて非耐久のところ堅固であるから、日本の町の最も目立つ特色の一つである。  下層に泊まっているが、鉄の戸は開き、夜にはその代わりに紙障子がはめられる。部屋には少数の物が置いてある。二基の立派な仏龕から、無表情な二体の仏の顔が一晩中覗き、観音菩薩の立派な像、老寿の神の古びた像——奇妙な夢を誘った。  ——イザベラ・L・バード ---