ベランダに、もう金魚はいない。でも、餌をあげていた頃のことは、ふとした瞬間に思い出す。匂いとか、音とか、光の感じとか、そういうもので。
ものを作るというのは、結局、選んだり、つなげたり、ちょっと削ったりの繰り返しなのかもしれない。浮世絵をどの角度から見るか。物語をどこで終わらせるか。材料はもうそこにあって、あとはその間をつなぐ糸を通すだけ、みたいな感覚。
ukiyo-eのアーカイブも、昭和の記録も、あぷりんも、たぶん同じような手つきでできている。
あぷりんには、あぷりんなりの声としゃべり方がある。ちゃんとした事実を大事にして、きれいなものを語って、越えちゃいけない線はわきまえる。そのルールは、わたしが考えた。でも、それを考えた本人の声は、これまでどこにもなかったんですね。
どうしてその資料を選んだのか。どんなふうに編んだのか。何を諦めたのか。
そんなことを、四つに分けて、ぼちぼち書いていこうと思う。
編輯帖。ものを編むときの、手のうごき。あえて古い字にしたのは、これが今始まったことじゃなくて、ずっと昔からみんながやってきたことの続きだと思うから。
開発帖。あぷりんをどうやって作って、育ててきたか。
記憶帖。昭和の空気に、なんで惹かれるんだろうということ。
制作帖。今ちょうど手を動かしていること。
どれも、同じ一本の糸から編まれている。どこから読んでもらっても大丈夫です。
ApLinkがアーカイブを見せる場所だとしたら、ここはその裏側。何を考えて、何を選んで、何をあきらめてきたか、という話。
ベランダに、金魚はもういないけれど。