八国山だより DIGITAL MAGAZINE P.15

近代的所有権という暴力

2026年6月9日 · 創刊特別号

Visual 明治時代の測量図面風の背景。硬質で輪郭の明確な明朝体レイアウト。

明治6年、政府は「地租改正」という法令を発令した。 それは、一見すると、単なる「税制改革」に見える。 だが、実は、それは「空間の再編成」であり、 「共有地という古来の慣習の消滅」であり、 「自然に対する人間の支配方法の根本的な変換」だったのだ。 江戸時代まで、八国山を含む武蔵野の雑木林は、 「入会地(いりあいち)」と呼ばれた。 入会地とは、「複数の村が共同で管理・利用する林野」である。 薪炭採集、茅葺屋根の材料集め、肥料採取—— こうした日常的な生活資源は、 共有地から「みんなで取り分ける」という慣習によって支えられていた。 つまり、それは「所有権」という概念が存在しない世界である。 むしろ、土地とは「使用権」であり、 その使用権は「共有」されていたのだ。 ところが、明治政府は異なる論理を導入した。 それが「私有地」という概念である。 「この土地は、誰のものか?」 という問いに対して、政府は次のように答えた: 「その土地は、『個人』の所有物である。 そして、個人が『納めるべき税額』は、その土地の『評価額』によって決まる。」 この一文が、日本の農村風景を一変させた。 国木田独歩という作家がいた。 彼は『武蔵野』という紀行文的随筆のなかで、 武蔵野の雑木林を「美しい自然」として描写した。 多くの読者は、その文章から、 「武蔵野とは、いつまでも変わらぬ自然の楽園である」 というイメージを持つ。 だが、実は、その「美しさ」は、 すでに「近代的な破壊」が進行中であるという現実を、 巧みに隠蔽していたのだ。 『武蔵野』が執筆された1900年の時点で、 すでに地租改正は27年が経過している。 つまり、独歩が「美化」した武蔵野は、 実は、共有地が細分化・分断された「痕跡の風景」だったのだ。
    Marginal
  • 明治6年(1873年)地租改正
  • 入会地から民有地への転換
  • 武蔵野の雑木林面積:明治初期 25,000ha → 昭和40年 5,000ha
  • 国木田独歩『武蔵野』(1901年執筆)
  • 明治政府の近代化政策と農民反発
  • 地方制度と土地台帳の整備
— P.15 · 和紙地 · 2 段組 —